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2004.02.02

大学で学ぶこと、大学改革

都立大学の再編成を都がトップダウンで決定した(しかも予備校に相談した)ことが昨年報道された。話題に…あまりならなかったのかしら? ちょっと検索してみても、新聞などの記事はあまり引っかからず、教職員組合の作った問題提起文書などがすぐに見つかる(注:PDFなので、Adobe Reader等のビュアーが必要)。個人的に話をした卒業生も、驚いていた。

都立大学、科学技術大学、短期大学、保健科学大学の4大学を統合し、新大学として発足させる。まぁそのあたりまで聞くと多くの人は「よくある組織改革だろう、企業だって無駄に広げた組織を統廃合でわかりやすくするもんさ」と思う。
今回の統廃合をよく見てみる。都市教養学部(人文系、法学系、経済学系、理工学系)/都市環境学部/システムデザイン学部/保険科学部の4学部となる。大学院も人文・社会系研究科/理工学研究科/都市環境学研究科/システムデザイン学研究科/保険科学研究科である。
人文系の研究には、社会学・教育学・心理学・哲学歴史などはあっても、文学や言語学が入っていない。つまり、それらは取り除かれることになるらしい。

確かに世間で言われることがある。文学部を出ても英語その他の外国語が話せない、文芸批評ができるわけでもない、トリビアの泉みたいな教養があるわけでもない、等々。
でも、文学部って、そういう実用知識を学ぶわけじゃない(トリビアは贅沢な無駄知識ですけど)。そもそも、大学ってそういう側面がある。もちろん役に立つことも学ぶ、しかし、すぐに役立つ訳じゃないことを延々と学ぶものだ。

世間では実用的と思われがちな理工系学部、たとえば、情報処理学などでコンピュータを専攻したとする。大学で学んだプログラミングは会社に入ってすぐに役立つのか。そうではない。じゃぁ、大学はしょぼいことを研究と称してやっていて、まっとうなことを教えていないのか。そうでもない。
一般企業では、たとえばWindows上で動く業務システムをすぐに開発できるか、といったことが実用知識になる。ところが、技術にも流行り廃りがある。Windows単体で処理できるものから、UNIXサーバとの連携が必要になり、さらにサーバを自前で持つための知識が必要になり、次はJavaをサーバで動かしつつクライアントのWindowsはどうするか、今後携帯電話もつなげるぞ、携帯電話のJavaはどうするかなど、次々に変化していく要求に応えなければならない。
そういう時に、コンピュータはどう動くのか、なぜプログラミング言語で記述するのか、その言語を解釈するプログラム(コンパイラ)はどう作るのか、いい設計ってなんなのか、通信がうまく行えるのはそもそもなぜか、プロトコルを設計するってどういうことかなど、技術そのものの背景にある捉え方・考え方を踏まえる習慣がついていれば、上記の要求にも対応できる。
そういった、対象の背景や背後を見抜く力を磨き、学ぶ場が大学だ。

文学部では、じゃぁ、何を学ぶのか。文学作品の批評をしたり、感想文を一生書いているわけではない。人間とは何か、それを主に言語という側面を通じて学ぶ場と言える。哲学も歴史も文学も社会学も心理学もみんな詰まっているのは、言葉というのが人間と他の動物を分つ最大の営為であり、それを踏まえて人間を徹底的に考える場だからだ。本気で学べば、術語から始まって、論文作法やら専門課程の高度な内容やら他の学問との連携やら、いくらでもやることがある。
それこそ、社会に出てすぐに役立つものではないだろう。しかし、社会に出て若年層から中堅層に移り変わった人々が「若い頃、もっと学べばよかったなぁ」と思い、定年退職後にカルチャースクールや市民大学に通う人々がたくさんいるのを見れば、文学部こそつぶしてはならない学部なのではないか。
私個人としても、実用的とは言えない文学、心理学、歴史などの講座を通じて学んだことは、直接の仕事ではなく、コンピュータのシステム作りにおいて人間とはどう反応するかを考える際や、開発時のメンバーの扱いなどに、間接的に活かす程度だった。しかし、後になってみればそれこそが重要なことだった。それに、論文作法をきちんと学べば、企業の中で企画書や報告書を書く時にもすごく役立つものだ。

だいたい、母国語で徹底的に考えることのできない人間が、海外できちんと議論もできるわけがない。これは産業界のカンファレンスなどで海外の人に触れればすぐにわかることだし、私もよく実感している。そういうバックグラウンドを学ぶはずの文学部を、経済的に役立たないからと切り捨てる大学が、本当に改革になるのだろうか。
もっとも、そういうことは旧帝大や一部の私学でやればよく、一般的な大学はもっと役立つことを、ということなのかしら。それでも、言語学や文学をきちんと考える研究科を残さなけりゃ、大学ではなくなってしまう。多くの大学生が、実際に学会やカンファレンス、あるいは仕事で海外に出て、初めて痛感するようでは、むしろ遅い(現在でもそうなのだから)。
改革するなら、学びの中心が若年層だけでなく、社会人や定年退職後の人々をもっとずっと積極的に受け入れるようにするだけでも、かなりいい空気に変わるんじゃないのか。すでに仕事をしている人間が学生に戻り、若い人々に話をするのも意義があることだろう。まだ学ぶ人がいる学問そのものの統廃合を、軽々しく行うもんじゃない。

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