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2004.02.12

秋葉原から思う東京の変化

ヤマギワソフト館、確かに死傷者はなかったけど、店としての被害は甚大だろう。イベントなどで集客力ある建物だからね。
しかし、このニュースが流れてすぐに「あぁ、最近アキバ、行ってないなぁ」と思い当たる人は(私も含めて)おじさんだ。電気街でなく、オタクの街になってから行かなくなった30代以降のおっさんは多い。

でも、私にとって秋葉原は、最初こそラジオ組み立てキットなどを買う電気街だったけど、むしろレコードを買う街と長く感じていた。ラジオ熱は割合早く冷めて、音楽に関心が向いたから。
1990年頃までは、今のVirgin、Tower Record、HMVのような大規模CDショップは少なかった。1970年代に秋葉原の石丸電気がレコード館を開き、ビルの上から下まで全ジャンルのLPレコードで埋める、というのは画期的だった。オーディオマニアがまだたくさん存在していたし、そういう人たちに機械だけでなくソフトも売るという形態を確立したんじゃなかろうか。私も幼い頃からお世話になった。
その頃はしかし、オーディオ・ブームが去りつつあったんだよな。かつてラジオ少年だったことがあっても、学生オーケストラに所属して、LPレコード以外は見なくなり、マイコン・ブームもほとんど縁がなく通り過ぎた。
そうそう、大学の卒論で実験をやるために、パーツを買いにきたことはあったな(注:私は理系学部ではありません、しかし、心理学では実験をやるんです)。あの頃はまだ16bit CPUが普及していなかった・・・いや、古いな〜。でも、必要なものだけ買ったら、レコードやCD以外の用事で通うことはなかったな。

もう一度、電気街としての秋葉原に戻ってきたのは、社会に出てしばらく経ってからだ。パソコンが32bit CPUを積み、急激に性能を向上させていった。仕事でUNIXをメインに扱うようになり、自分ではMacintoshを購入した。そして、本格的に丁寧に秋葉原を回るようになった。なにしろインターネットなどなく、やっとパソコン通信が普及し始めた頃だ。普段は紙の上で読む論文や情報を、足で稼ぐ情報とつきあわせる。なかなか面白かった。どのメーカーの製品も今のように市場規模が大きくなく、ソフトも店によって品揃えが違うし、海外のニューズペーパーが必ず置いてある店もある(MacWEEKとかPCWEEKなども含めて)。
いまから思うとウソみたいだけど、Web上の日刊紙もなく、技術動向を見据えながら、自分の足と嗅覚でいろんな情報を見ていたんだな、あの街で。

Windows95/98あたりから事情が変わり出し、頻繁には訪れなくなった。単なる情報ならインターネットがあるし、流通網が発達したのであちこちの量販店で何でも買えるようになった。神保町から人が減っていったのも同じ頃だ。
つまり、東京という都市の中での人の流れが変わり出したのだ。
たぶん、六本木ヒルズのような自己完結型都市ビルというのは、この変化の究極の形態なんだろうな。
でも、ゲリラ的に動くアキバのような街があってこそ、あぁした新しい流れを生み出すもとになるんだろうと思う。

ヤマギワソフト館の火事は、なんだかいろんなことを思い出し、また考えてしまった。うーむ、象徴的な出来事のように感じられてしまう。

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