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2004.04.21

加賀乙彦「ザビエルとその弟子」

加賀乙彦「ザビエルとその弟子」が掲載されたのは、群像4月号(発売は今年の3月)。
今月の群像5月号で、創作合評に取り上げられている(笙野頼子「金毘羅」の次)。蛇足ながら、合評とは数名で語り合いながら評するスタイル。群像のは創作合評として、文芸誌に掲載された創作について、3名で語り合う伝統。今月は、黒井千次、津島祐子、星野智幸。

「ザビエルとその弟子」について、3名がともに、少々食い足りなさを感じているようだ。
この作品は、話の骨子だけを進めていくような印象がある。
同様の印象を合評の諸氏も感じたようだ。歴史的事実に基づく作品だから、かなり史実の束縛を受ける、その中では、ザビエル臨終のシーンで、日本に残したアンジロウの亡霊との対話くらいが、作者の想像の入る箇所になる、そこが対話で淡々と進むのが、テレビの再現シーンのようでもあり、テンションが落ちるようでもあり。
津島氏は、この作品を導入とする、もっと大きな小説の構想があるのではないか、そうでないと、従来の氏の作品と思うとなんだか落ち着かない、という想像までしている。

でも、私はもう一つ違う感じを抱いている。別の作品を連想したからだ。同じく群像で以前に連載され、すでに単行本になった作品。同じくザビエルをテーマとした作品。
島田雅彦「フランシスコ・X」である。
資本主義の輸出によるグローバリゼーションに対して、どう振る舞うかが日本全体の関心を覆った時期だった、2000〜2001年初頭にかけての連載。イエズス会のフラシスコ・ザビエルが日本を目指し、まさに奮迅する。何が彼をそうさせたのかを、その育ちから追っていく。話が進むに連れて、不吉な挿入句を差し挟む、ト書きのような声。彼が力尽き、やがて遺体が腐らない奇跡に聖人となる。そうして、20世紀の終わりまで、声は突っ走っていく。
この作品に対して思うところあって、同じ雑誌に掲載したような印象を、私は受けていた。史実に対してただ素直に。あえて地味な視点を選んで(ザビエルを、出来のよくない中国人の弟子、死を看取ったことで名前が残っているまじめなだけの弟子が、話を進めて行く)。作者はあえて何も語らず、ただし、日本とそうでない文化との衝突に関する感想だけは一つ添えて。
そういう作品を、あえて提示しているならば、「フランシスコ・X」へのメッセージ(もっというなら違和感の表明)に感じられるのだ。

実際にどうなのかはわからない。ただ、私はそんな連想をした。

ちなみに、「金毘羅」の合評。津島氏が熱を入れて(?)語っている。

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