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2004.06.30

コミックビーム7月号

6/12発売のコミックビーム。

しりあがり寿、復活。巻頭カラーで「真夜中の水戸黄門」
やっぱりというべきか、「弥次喜多 in DEEP」の弥次喜多が、いきなり助さん角さんに転じるんですかい!
どっちにしろ、しりあがり寿はこういうネタがいいなぁ。ついでに、「地球防衛家のヒトビト」も、もうちょっと活をいれてくれると、とってもうれしい…

気を取り直して。
桜玉吉「御緩漫玉日記」。連載も本格的になり、伊豆の家に引っ越してからの暮らしが淡々と。それはもう淡々と。幽玄がこっちなんじゃないかつーくらいに(注:前回の連載が「幽玄漫玉日記」というタイトルだった)。
東京に生まれ育った人間が地方に行くとまず感じる事は、単位面積あたりの自然濃度が高いこと。すなわち、草は生えるし、虫はわく。家の中にムカデが出るというのは、ちょっとゾッとするな。最後のコマにある「今日対話した人」も、東伊豆に買った家での生活がみえてくる。このかたは、どこまでゆくんでしょう。

志村貴子「放浪息子」。修一(主人公、女の子に目覚めつつある)とよしの(同級生のハンサムで背が高くズボンをはく女の子)が、学校についた下駄箱前で日記を交換しようとした。それをいきなり岡孝典(修学旅行篇で修一をからかった男)が取り上げたのが、前号まで。
岡は、土井伸平(他のクラス)にパス、土井は自分の教室で大声で日記を朗読する。担任が来て「自分のクラスに戻れ」といい、土井が「おかまだと思ったんだ」とからかう声を聞いた途端、よしのはノートを取り戻して破き、クラスを出る。
よしのはその足で帰宅。怒った修一が岡に詰め寄ろうとすると「おめーらのわけわかんねー趣味のせいだと思うよ おれは」と開き直り、「いいじゃん 人それぞれ!」と笑い飛ばす。
修一は保健室へ。先客で保健室登校の千葉さおり(仲良し)は、その話に憤慨し、自分がなぜ教室に行かなくなったかを打ち明ける。
その翌日、修一はさらしもの状態。保健室へ行くと、さおりは教室に行ったという。修一が見に行くと、案の定さおりは先生と土井に詰め寄っていて…
以前に「小学校6年の頃」でも触れたけど、小学校高学年のことを真剣に考えているなら、必読書の一つだろう。悪意がないからといって許されるわけでもないことが、ガツガツ出てくるあの年頃の空気を思い出してしまう。すっかり大人になって「思春期っていろいろあったけど、あとになればただの思い出だから」などと思う時は、あの頃の細かな出来事を忘れたか、自分が無意識のうちに加害者に回っていたことを覚えていないかのどちらかだろう。
今号は、それまで少し明るい方向にふっていただけに、読んで落ち込んだ人もいるかもしれないね。前作「敷居の住人」でも、そういうことがちょくちょくあったけど、今回は現実世界でも12歳の事件が起きており、静かに深く迫ってくる。

森薫「エマ」は、前号からの続き、ウィリアムの父と母の結婚から別居に至るまで。回想シーンは今号までのようだ。徐々にテンポが上がっていく感じが、するりと現在に持ち越されてきて、今回も秀逸。作者は英国取材で来月は休載とのこと。というわけで、再来月は大きく注目。
いましろたかし「ラララ劇場」もほんとにいい感じでこなれてきている。盆掘って、いいオヤジ・キャラだなぁ。
山川直人「コーヒーをもう一杯」。4回目で、だいぶ安定してきた感じ。離婚して子を引き取っている母が、面会日に喫茶店に息子を連れてくると、父がやってくる前に自分は去る。父は子を気遣うが、「いつもおとうさんがしているあそびがいい」という。本屋の街、それも古本屋を連れ歩き、1冊プレゼントをあげると、古びた喫茶店に入ってコーヒーを飲む。帰りには…
毎回、どうってことない話。でも、こういう話が好きな人は一定層いるものだ。コーヒーがネタだと、古本は出てくると思っていたが、今回はいい感じ。神保町がモデルと思われる街、ラドリオなどがモデルと思われる喫茶店も、絵柄にあっている。
水野純子「ファンシージゴロ♡ペル」も、ここでは触れてこなかった。ホスト篇、どうなるかと思ったが、その後の動き、けっこういいなぁ。悪夢を経てどうなるか、ちょっと気にしてます。
単行本が出た安永知澄「やさしいからだ」。これは来月を読んでから。それにしても、絵柄は先月からこの調子のようですね。

ところで、初掲載入江亜季「アルベルティーナ」。人によってえらく評価が分かれそう。大絶賛か、まったく琴線に触れないか。
絵は細かく描けていて、それはすごくいい。だけど、看板娘とおとうちゃんの間を、もうちょっと踏み込んで描いてくれないと…って、そういうページ数じゃないな。連載になるなら(編集部はそれを狙っているのでは?)たぶんそのほうがおもしろいんだろうけど、それなら登場人物をもうちょっと増やして、奥行きがほしい。「エマ」はそのへんがすごかった。

来月は、須藤真澄と福島聡が戻ってくるそうだ。
というわけで、今月はこれくらいで。

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6/29の本館更新

Studio KenKen本館の更新です。
6/15 6/29、京都ページ観光篇を更新。
五条通の東端から北に上がっていく、六波羅〜建仁寺のあたり、またそこから四条を挟んだ祇園などを歩く際の概略をアップしました。
祇園は歩いたけど六波羅ってなに?という方はぜひ。

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2004.06.28

コメントに記事でそれとなくこたえる

コメントに対して、サイトのオーナー(私、kenken)がすぐに返答を出さない場合。
こういうときは、その記事の続きになるような、別の記事を上げることがあります。

氷雨と桜」→「台風一過

わかりにくいかもしれんし、時間がかかってしまうのですが、こういう形式をとりたくなったら、やります。念のためにお伝えしておきます。

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すんげぇ肩凝り

日曜日からすんげぇ肩凝り。ちょっと気持ち悪くなるくらい。
50分のマッサージを受けたけど、凝りが少しほぐれたことで、かえって右肩の芯が固く痛いことが自覚されてきた…
メモをとってあるネタなどあるんだけど、落ち着くまで更新ペースが落ちます。

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2004.06.27

バロック音楽と一口にいうけど

西洋の古い音楽、特にバロック音楽が好きだ。ただし、音楽は様々なものを聴く。中世でもルネッサンスでも現代ものでも、またまったく違うジャンルのものも聴くけど、演奏にまで手を出すのが古楽分野になっている、というところか。

バロック音楽と一口にいうけど、時代の幅はけっこう広い。17世紀初頭の1607年、モンテヴェルディのオペラ「オルフェオ」の初演前後に端を発して、バッハやテレマン、ヘンデルらの活躍した18世紀後半に及ぶ200年弱。
大バッハと称されるヨハン・セバスチャン・バッハの息子、エマニュエル・バッハが活躍した18世紀中葉から末にかけては、古典派の完成に向かう時代であり、エマニュエルの晩年はモーツァルトやハイドンの活躍期とダブる。
古典派が18世紀後半から19世紀初頭にかけて、そして19世紀のシューマンがロマン派宣言をして音楽がさらに変わっていったように言われるが、よく見れば古典派以降は1つの時代が100年もない。つまり、世界史という概念が誕生した19世紀の人々の捉え方をもとに、音楽史が記述されている。
その意味では、バッハ以前の音楽の長い累積を、中世→ルネッサンス→バロックととらえるのは、少々乱暴に思えるのだ。

ただ、コレルリがバロック中期、イタリアのヴァイオリン音楽を完成の域に高めたといっても、現在のヴァイオリンのレッスンでのコレルリは、中級者の通過点のような印象が強い。ヴァイオリニストは非常に多くの曲を習得しなければならなし、その中でもコレルリなどが一般に好まれることはあまりないのだろうか。
モーツァルトの持つこわいくらいの純度、ベートーヴェンの深々とした響き、それ以降の作曲家達の情緒の深さや振幅の大きさ、ドビュッシー以降に出てきた不思議な風通しのよさと色彩感などととは、まったく方向性が異なる。
こんな話がある。19世紀後半、一度忘れられたモーツァルトが、ブラームスらの活躍により、再び聴かれるようになってきた。ロシアでも交響曲が初めて演奏されたとき、リハーサルを聴いていた評論家が言ったこと。
「これはこどもの音楽だ」
そう聴こえる人は現代にもいると思う(そして件の評論家は悪い意味で言った)。モーツァルトでさえ、こうである。コレルリを聴いて、そこに表現されたものに深い情緒を見出せない人は、こういうかもしれない。「人間としての感情や繊細さのまるでない音楽だ」などと。
いまだに19世紀〜20世紀前半の音に価値をおくことが多い、現在のクラシック音楽市場をみれば、バッハ以前を十把一絡げにまとめがちになっちゃうのも仕方ないのか。

でも、音楽の聞き方、捉え方、枠組みをいったんとっぱらって聴いてみれば、ずいぶんと音が様々なことを教えてくれる。
私が特に感じるのは、17世紀から18世紀にかけての音楽の変遷は、西欧が今のようになっていく過程を色濃く反映している、ということ。宗教と哲学・科学の位置づけが逆転して戻らないことが決定的になり、都市や国家の交流、さらに植民地による大規模な資本の動きが活発になった時期。スペインからオランダやイギリスに強国の地位が移り、フランスに強い王権が存在し、北イタリアの文化的リードが衰えつつあった時期。その狭間にあるドイツ語圏は、戦乱と混乱の中から、安定を模索していく時期。
いや、話を広げすぎた。音楽に関わる事で言えば、ヨーロッパ世界がそれまでに比べて飛躍的に豊かになり、人やモノの動きが活発になり、時間や空間の感覚が変化していく時期。

***

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iMac 15 & 17 inchが販売終了

ビックピーカンにて、iMacの15インチ・モデルと17インチ・モデルが販売終了だそうである。20インチ・モデルはまだ売っているようだ。(15インチ、17インチ、20インチは、液晶ディスプレイの大きさのこと。)

15、17インチの両モデルは発売されてからしばらく経っているし、液晶の品質が良くなってきた最近では、少し見劣りするものだった。
おまけに、6/28からAppleは、WWDC (World Wide Developers Conference、開発者向け会議)を開催する。初日の基調講演で、新しいOS 10.4 Tigerの紹介が行われると発表されているが、それ以外に新製品が出るのか。
(注:日本時間では6/29の深夜〜早朝になる。)

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なんか梅雨

25日、上京してくる知人らと久々に会った。梅雨らしくないカラッとした天気が続いていた東京は、見事に梅雨になった。これが正常な気候なのだが、ちょっと歩くだけでじっとりしてくるんで、やっぱり不愉快。
だけど、歓談は楽しく終わり、帰りには深夜まで開いている本屋でアフタヌーンも買えた。湿気には閉口したけど、なんだか効率のいい日だった。

26日は雨が降らず、薄曇りのまま気温が上昇。じっとりしていた。が、夜になってから気温が下がってきた。
猫は察するのが早い。すでに夕方には塀の上で、吹いてくる風に目を細めていた。ほんとに暑い日は、日陰の地べたに身体をひっつけて放熱しているが、風がいい日は塀や木の上によくいる。これだけはなんだか、うらやましいね。

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2004.06.23

VAIO type Aを一言で表現するなら

家電量販店をちょっと巡回してみた。価格を見たり、何を前面に押し出して売ろうとしているかを眺めたり。
5月に「SONY、動いた」で触れた、VAIO type Uなどはかなり前に見ていて、よくできるけど、手に持つと熱いんで買わないな、という判断まではしていた。
一方、VAIO type Aとまじまじ対面したのは、なぜか初めてだった。(見た事ない方は、リンクをクリックして、製品写真を見てください。)
展示台にのる勇姿。でかい液晶ディスプレイの両脇に、のっぽのスピーカーが控えている。

でかい……ほんっとーに、でっかい。
この机全部を占めちゃうような、でかくて黒っぽいのが、鎮座ましまして。
一言で表現すれば。

仏壇PC!

いや、マジで。
ステレオ・スピーカーから声明なんかが流れてきて、スクリーンセイバーに蓮の花や、金箔仏像の絵でもあれば、なお。

そんなこと、思うのは、私だけですか。そーですか。

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台風一過

絵に描いたような、台風一過。見事な快晴、しかし、少々湿度を含む空気は真っ青とはいかない。風もかなり強かった。
それも午後になってくると徐々に乾いてきて、風も安定してきた。暑いけど、気持ちいい。

午前や日中には、猫だまりに一匹もいない。
夜、帰宅時に通ると、塀の上やコンクリートで、猫が3匹、伸びていた。立ち止まると、こっちを向くのだが「あついんで、今日はもうだめー」と寝入る。

繁華街を歩いても、今日は警官の巡回に厳しい表情がない。

***

先週、新宿に出た日。移動のために西口のターミナルを歩いていると、以前より妙に警官が目に付いた。それも、ブラブラと一応警戒して廻るという雰囲気じゃなく、重心を下腹部において、少しがに股気味の臨戦態勢で、ガシガシと歩いていく警官が。
池袋なども含めた大ターミナルでは、駅構内、地下の乗り換え通路などにも警官がよくいる。監視カメラも当たり前になった。みんな忙しいし、とりあえず気にしないで歩いている(気にしないフリなのかもしれないけど)。
先週、日本もアルカイダの攻撃候補にあがっていたことがニュースで流れた(アサヒ・コムより)が、歩いていたのはその前だった。

米国でブッシュ大統領の支持率は続落傾向(アサヒ・コムより)。米国賛同を表明し、その外圧を利用しつつ政局だけを見ながら手を進めていく現政権も、支持率が下がりだした(アサヒ・コムより)。他紙でも、決して与党にやさしい評価が出ているわけではない(特に年金法案の強行採決について)。

そうはいっても、結局選挙を切り抜けてしまうのが、この国の常態だったけど、今度くらいは動いてもいいはずだ。

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2004.06.22

ルビは意外に面倒

ルビをふる必要が生じた。滅多にない、というより、いままで必要だったことがまずない。
通常テキストエディタで文を書くが、こういう場合はワードプロセッサか、TeXのような文書システムにお願いすることになるな。

あれこれ試していたが、よく考えれば私の使ってるエディタのひとつであるLightWay Textは、ルビがふれる。ちょっと使ってみたのだが、頻出する単語すべてにルビをふりたい場合も、一々指定してやる必要があって、意外に面倒。
ワープロソフトのEGWordも全然気が利かない。
こういうことは結局、MS-Wordが無難に効率がよいらしいことがわかる。うーむ…あんまり好きじゃないんだが、しかたないか…

そのMS-Word、ルビをいったんふると、今度は通常のテキスト検索でひっかからないことが判明。
通常のテキストではなく、拡張書式を持ったオブジェクトにしてしまうから、ルビを二重三重にふってしまったり、間違えて上書き処理する可能性が著しく減る、ということらしい。
ただ、あとであれこれ軽く手を加えるには、かえって面倒な状態。

どのソフトで処理するにせよ、一度それで走り出したら、なかなか他のソフトに切り替えられない特殊データになっちまう。RTFなどで相互に引き渡す、とかはうまくやれないし。(HTMLにするという手もありますけど、ちょっと役不足のようだ。)
まぁWordでやっちゃうけど、いずれをとっても帯に短し襷に長し。

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夏至に台風

6/21は夏至なり。この季節、夜の7時になっても明るいので、なんかトクしたような気分になるけど、気分だけのこと。
スローな夜を、という企画もあるけど、PCの前にすわって仕事をするなり。(ちょっとかなしひ。)

ところで、台風は東京にも午後3時くらいから暴風雨をもたらしてくれた。いやー、すごかった。みっしょり濡れた。だけど、空がめちゃくちゃに暗くなるわけでもなく、なんだかハイになって歩いている人も多かったような。

風雨がすごいと、窓を開けられない。昨日、エアコンをフル稼働できる状態にしておいて、ほんとによかった。けっこうさわやかな日もあったので、のびのびになっていたが、昨日の蒸し暑い風で一念発起したのだった。
明日はいい天気になりそうな予感。

んー、いろいろやることあって、今月の10日あたりから文芸雑誌が再び積ん読状態。コミックビームは読んだし、音楽についてもちょっと触れたいことあれど、また後日。

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2004.06.20

小学校6年の頃

ここんとこ、よく晴れる。ほんとに梅雨なのか? 雨が苦手な私はうれしいけど。
さわやかな風が吹く日と、ねっとり湿気た風が吹く日が交互にやってきたりするもんで、身体が毛穴を広げるべきかどうか、戸惑っている。

***

 ・佐世保女児死亡事件(アサヒ・コム)
 ・佐世保・小6死亡(YOMIURI ON-LINE)

痛ましい。死亡した女子のご冥福を祈るとともに、被害者のご親族の平安を祈念する。また、加害者となった女子の反省と真の意味での回復も。
この事件が起きて、世間の反応がネットから子どもを救うには?という論調になってみたり、それはいきすぎだという人々が出たり。

気になるのは、年齢が小学校6年ということ。この頃のことを思い出しても、私はあまりいい思い出が出てこない。周囲の人々にたずねてみるが、そういうケースは意外に多く、自分だけじゃないんだと思った。
本格的な思春期を前にして、多くの子が自分の中で動き出したパワーの前に突き動かされたり、たじろいだりしていた。ちょっとしたことでひどく傷ついたり、突出してきた言葉や腕力をとにかく誰か身近にぶつけてみたり。
私がとりあげてきた(2/153/164/205/20)志村貴子のマンガ「放浪息子」は、こういう側面を切り取って描かれている。

それでも、これまで学校の中で女子が同級生を刺してしまうような事件に発展しなかったのは、どうしてなんだろうか。単に映画やネットの刺激が大きかった大きくなったからか。私が子どもの頃だって、級友勢力同士の誹謗中傷合戦などひどく醜いことはたくさんあったし、中学生になればカッターやかみそりを出す子だっていたぞ。
思うに、大人たちのほうに、出来事に対する耐性が弱まっているんじゃなかろうか。イラク人質事件、小泉首相2度目の訪問についてコメントした拉致家族の会などへの、極端な世間の反応を見ると、大人が感情的になって右往左往し、子どもがその空気を吸っているから安定しないようにさえ思えてしまう。
じゃぁどうすりゃいいかといえば、一朝一夕にやれることはないんであるが、少なくとも大人と呼べる年齢に達している人々は、今後の世の中のためにも、バタバタと延髄反射的情念反応を繰り返すのは思いとどまったほうがいい。
とはいえ、いまは政治家が、論理より情動操作に適した言説を多用する世の中なんだよなぁ。こういう時代はきっと、一呼吸おいて、深く息を吐いて・吸って、腹を落ち着けてから、頭を使うほうがいいのかもしれない。

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2004.06.19

ココログのメンテ、一区切りか

6/15に「ココログが深夜に不調とのこと」で、ココログを提供している@niftyの対応に関する不満を軽く書いた。同様の不満をもっと激しく書いているココログもいっぱいみつかった。翌日、@niftyはココログのトップページで、アナウンスをした。
6/18の午後までに行っていたメンテで、一応の区切りがついたようだ。ログインも、管理ページも、まっとうに動くようになった。

「もうココログはやめやめ」という人も出ちゃってるみたい。
MovableType互換のよそに引っ越すのは簡単。それが無理でも「今までのはリセットしてまたゼロから」を気楽にやる人だっている。はてなだってあるしね。
パソコン通信会社として始まった@niftyは、一箇所に固まってコミュニティを作る発想から抜けきれていない人々が多いのかなぁ。対応が後手後手にまわったことが、少々気になるところ。

***

たとえば、公私に関わる大量のメールを失うことは、仕事や連絡の履歴・連絡先を失うから、たいへん面倒なことになる。縁が切れてしまう人も出るから、こわいと感じる人々だっているはずだ。
だが、新しいPCに移行するのをきっかけに、メールデータをリセットしたり、どうしても必要な最近のメール以外は捨ててしまう人々も、少なからずいる。

こういうことは、ある程度PCの技術に通じていて、データ移行の知識がある人々には、なかなか難しいことかもしれん。PCやネットワークを含めた技術者・研究者などは、「もうめんどうだから全部捨て!」などという発想を、あまり持たない人々が多いような印象を受けている。
科学やそれをベースにした技術は、論理の積み重ねの上に成り立っていくものだ。知識さえあればデータ移行くらいできるし、失うよりもよいだろうと考えれば、メールデータをとりあえずみんな引っ越すくらいの労力は払う。そういう人々のほうが多いように感じる。

@niftyがかつてNifty-Serveと名乗っていた頃、パソコン通信として最大の会社に成長していく過程で、フォーラムというコミュニティを支えるのに協力してきた多くの人々は、少なくともこのような性格をいくらかでも持ち合わせている人々も多かったんじゃないか。過去ログ(会議室でのメンバーのやりとりを記録として残すもの)の整理と、その活用なども含めて、純度の高い情報を生み出すべく努力していた。また、その恩恵を享受しつつ、自分もいくらかは貢献しようと入会する人々が、巨大コミュニティに発展させていった。
けど、インターネットの普及からもうすぐ10年、ごく一般の(少なくともまったく凝り性でない)人々がネット上に大量にいる世の中になった。検索すれば、どこかに何かある。それをうまく編集すれば、とりあえずほしい情報は手に入る。どこか一つのコミュニティに集約させて、有用で純度の高い情報を整理するよりも、雑音が多くても手軽に入手できる情報を集めたほうが、話が早くなってきた。

そういう世の中で、@niftyのサービスを、コミュニティをつくる場としてとらえる人々は、むしろ少ないように思う。
でも、@niftyは、いまだにそういう方向を指向しているように見える。ココログのトップページを見ていると、フォーラムとは別のゆるいコミュニティ形成に、Weblog(より正確にいえばTypePad)を活用したいという空気を感じる。トラックバックを積極的に練習させる場などは、トラブル防止の側面もあるだろうけど、それ以上にメンバー間のゆるい連携ととらえているように見える。
それが悪いといってるんじゃない。
だけど、@niftyのトラブル対応について、運営の古くささを感じ、それはパソコン通信全盛期の発想の名残なのかなぁ、などと思ってしまったりするのだった。

まぁ半分は与太話。@niftyには、今後すばやく対応していただければいいんだけれどね。

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2004.06.16

6/15の本館更新

Studio KenKen本館の更新です。
6/12、軽くリンクページのメンテを行いましたが、これは軽めだったので告知せず。
6/15、京都ページ・観光篇を更新。
三十三間堂を中心とする七条通の東端の概略情報を入れました。
たまにはこんなのもどうぞ。

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2004.06.15

ココログが深夜に不調とのこと

ココログが深夜(23:30以降)に不調とのこと。投稿がうまくいかないことがあるとか。
ちょうど、自分が更新したくなる時間帯だなぁ。
6月13日からで、現在原因を調査中というアナウンスが、ココログの契約者向けに出ていた。

私の分だと、「YES オノ・ヨーコ展 @ 東京都現代美術館」あたりからだな。もっとも、その後は更新をかけてないんですが。
それに、ここ1ヶ月ほど、重くて重くて仕方ないことも結構多いんだけど。
@niftyの対策が落ち着いてくるまで、こちらも落ち着こう(更新の手を緩めよう)と思います。もともと密な更新頻度とはいえないけど。

そう高くはないとはいえ、一応は@niftyの会員料金は納めた上で受けられるサービスなんだし、ピリッとした対応をお願いしますよ、ほんとに。>@niftyさま
特に、ココログのトップページでのアナウンスを、なんらかの形で行っておかないと、やばいんでないかい?

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2004.06.14

YES オノ・ヨーコ展 @ 東京都現代美術館

日本で初の大規模な展覧会となる「YES オノ・ヨーコ展」。皮切りの水戸芸術館に行き損ねた。今度の東京都現代芸術館にも行き損ねると本当に見逃すので、ちょっと前に書いたように時間をやりくりして行ってきた。

受付をしてすぐに迎えられるのは、ロビーに立ち並ぶ大小様々な大きさの棺と、その窓から立ち上がる木々。すでに有名な「エクス・イット」。小さい棺を囲むように、大きな棺が二つ並ぶ様など、想像がひどく刺激される。
企画展示会場に入れば、すぐに聞こえてくる「コフ・ピース」(断続的に咳の音が聞こえる)。そして、オノ・ヨーコの初期作品。私家版として500部制作された「グレープフルーツ」の展示から始まる。続いて、絵画ではなく、パフォーマンスの方法を指示した言語によるメモ。こうしたメモは後に、ニューヨークでの個展で作品として結実していった。

しかし、ショックだったのは、はしごにのぼって小さく書かれたものを虫眼鏡でのぞくと「YES」の文字が見えるというあれ…
なんと「作品には手を触れないでください」で、のぼることも、虫眼鏡でのぞくこともできないのである。数十万人が触れることを考えれば、作品保存のために仕方なかった措置なのかもしれない。また、現在は、もっと違う見せ方をするからなのかもしれない。ただ、なぜこうしたかはともかく、彼女の有名なメッセージの一つである「YES」を、直接目にすることが出来なかったため、かなりびっくりし、かつ落胆もした。

しかし、初期作品の中に通じる、非常にミニマルな設計と、あえて素人くさく作ったような造形とが、1960年代という時代をくっきり浮かび上がらせている。同時に、作品が単なるメッセージ伝達手段なのではなく、人間という存在を深くしっかり感じるために提供されていることも、浮かび上がってくる。
ところで、電話が設置してあり、ほんとうに電話がかかってくるのだそうだ。私がいるときはなかったが、実際にオノ・ヨーコからの電話をうけた人がいるそうである。というのは「ウィッシュ・ツリー」にそれがうれしかったと書いている人を見かけたので! これから行く方、かかってくるといいですね。

***

オノ・ヨーコの作品は、単に「鑑賞する」というより「体験する」と呼ぶほうが正確だ。
たとえば、アクリル製の迷路に入ってみる。周囲を見回す時に生じる不安感。透明なのに、縛られているような感覚が蜂起して、いたたまれないような気持ちでたどりつくと、そこにあるのは便器。
こういう体験型の作品は当然、イヴェントの記録としてのムービーにたどりつく。

伝説のイヴェント「カット・ピース」のムービー。オノ・ヨーコは舞台に座っている。参加者一人ずつが登壇して、服を切り取っていく。もちろん、ただの観客も大勢いる。
切り取る人々は男女を問わない。その都度、ハサミの堅い音が響く。次から次へと。黒い服が切り取られ、やがて肌着が見えるところまで至る。
硬い表情の彼女の緊張が伝わってくる。最後、ブラジャーの肩紐をパチンと切ると、彼女は胸を両手で押さえる。
精神のレイプなのか。20分弱のムービーは、見終わるとズキズキ痛くなる。話を聞くのと、体験するのとでは、これほどまでに違うものか。奪い・奪われていく様々な出来事−−−それは権力による略奪から、戦争にまで様々な人を圧迫する事態を連想させる。
ちなみに、このイヴェントは、仏教説話からの発想で、むしろ与えるものなのだという。しかし、このムービーは、そんな穏やかな心境で見ることは出来ないものだった。

また、ニューヨークの1室で、女性が一人、全裸で横たわり、蝿が歩いていくだけの映像を収めた「FLY」。蝿のアップがほとんどのシーンを占め、そこに羽音とも環境音ともつかぬ不思議な声を、オノ・ヨーコがいれている。
オノ・ヨーコはジョン・レノンとともに制作にまわっており、アクトレスが出演。よく承知したもんだ。
まるで死体を連想させるようなこの作品、私は仏教にある不浄観(人の死をみとり、さらにその死体がなくなっていくまでを観察する修業)まで連想してしまったが、作品自体にそのような雰囲気はない。人間の肌が砂丘に見えたり、そこを歩く蝿が別の生き物に見えたり、そこからカメラをひいた瞬間に「あぁ、人間だったんだ」と思い直してみたり、常に聞こえる声が不思議と不快感をもたらさなかったり。感覚が常に新鮮に保たれたまま、カメラが窓の外に向かっていって、作品はおわる。最後の静寂が醸し出す余韻は、脳の中をシーンとなだらかにしていった。

他にも尻のアップだけが延々と続いたり、ジョン・レノンの顔のアップが続いたり、建設中のホテルを完成まで撮り続けたりするだけの作品が、名状しがたい解放感をもたらす。形から自由になると、もっと多くの感覚が立ち上がってくる、そのことが解放感にくっきり結びついている。
翻って、2001年の横浜トリエンナーレに出品されていたビデオ・インスタレーションの多くが退屈だったこと。
オノ・ヨーコはクラシック・ピアノと声楽を、幼い頃から訓練してきた。つまり、絵や彫刻といったものだけでなく、時間芸術の訓練から始まっている。時間経過の中で生じる印象や感覚の変化に一際敏感な人間が、音楽の訓練を受けた。そして、音と画面の時系列変化が総合的に作り出す「体験」を、意識の流れとともに制御しながら伝える手法を、指向していたように見える。だから、作品設計メモからイヴェント、そしてムービーを通じて、新しい表現の地平を切り開くことに成功したのだと思う。
それは、彼女を「単なる前衛の女司祭」という地位から解放し、その解放感自体が当然作品にも反映されているのではないだろうか。

***

最近の作品では、素人っぽさを排除して、きっちりした造形の中からふっくらメッセージが立ち上がってくる。3階まで吹き抜けを利用した「モーニング・ビームス」は、シンプルで大掛かりで真っ白で、そうして凛々しい。また、真っ白なチェス盤と駒(敵味方が判別付かない!)のユーモア。参加型作品でも、願いを紙に書いて木に結びつける「ウィッシュ・ツリー」のように穏やかなもの。
ただ、一番新しい作品である、驚くほど多数の点描画の集積。これを見ていると、むしろ表現に厳しい姿勢を保つがゆえに、穏やかな解放が感じられると思えるのだ。
というのは…昨年、パリで彼女は「カット・ピース」イヴェントを、自ら行っているのである。無論、今の世の中を踏まえてなのだが、「美術手帖」の記事を見る限り、彼女の表情はここで展示されているムービーよりもはるかに穏やかに、そして厳しく厳かに見える。歳月を経て、以前よりはるかにストレートに表現されているようだ。

「イマジン」とはいっても、単にホケーッと想像するのではない。人間の様々な暗黒を前にしてもなお、世界の平和と人間の自由を想像するのだ、想像を通じてしか人は現実を変えられない、という姿勢が、一生を通じてまったくブレることのない、希有の存在。
深く打たれる。「YES」のはしごを上れなかったことは落胆したが、そうであっても、これほど強いメッセージと感動に満ちた作品群は、まず見られるものではない。時間をつくって行って、ほんとうによかった。

できれば、横浜トリエンナーレで見た、機銃掃射で穴だらけ列車から発するレーザー光線を、ここでも見てみたかった。東京で見たらどうなっていたのか。

東京都現代美術館で、6月27日まで(月曜休館)。1,000円。

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2004.06.12

訃報・野村万之丞氏

狂言師の野村万之丞さんが死去(アサヒ・コム、6/10)
おくやみ/野村万之丞さん=狂言師(YOMIURI ON-LINE、6/11)

44歳とのこと。神経内分泌がんだという。ショック…
先日触れたピアノフォルテ奏者の小島芳子氏と同年代、がんというところも共通している。

私は能や狂言には詳しくない。ただ、野村万之丞氏の仕事にあった、伎楽や田楽などの復興は、気になるものだった。ある意味、西欧音楽の古楽器復興と似た側面を持っている。
どちらも、その時代に本当にそうやって演じられていたかは、もちろんわからない。文献や残された楽器・面・衣装、周辺諸国の音楽や舞踊の事情などを調べ、その結果に加えて、演じる者の直感も総合していく。そうした試みを通じて、踊りや響きを感じ直す。それが既存の演目の目や耳に新しい風を通し、演技・演奏・演目に活力をもたらしていく。
単なる伝統への挑戦ではないだろう。むしろ、伝統を活性化することが、真の目標であるはずだ。
ただ、こういう仕事をする方々は、世間の誤解や圧力をはねのけながら進まなくてはならないだろう。心身に加わる圧力は、大きなものだったのかもしれない。

ご冥福をお祈りいたします。

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Oh my god!と叫んだ時

ちょっと前。放っとくと行けなくなっちゃうと、なんとか時間を捻出していってきた、「YES オノ・ヨーコ展」@東京都現代美術館。やはり、よかった。帰りに食った深川丼も、シンプルでうまかった。

今日は笙のソロを聞いた。よかったし、そのあともバーで楽しい会話のひとときと、うまいタイ・カレーがあった。
いい催しが続いて、いい気分だった。

その帰り、雨の中、慣れないバスに乗った。小銭がなくて、千円札を機械につっこんでくずそうとするが、認識しない。バスは発車し、手元は暗くなる。表示もよく見えない。なんどやってもだめ。
停車時に、運転手が2度トライして、やっと認識した。急いでいたし、手元も暗いままだったので、出てきた小銭の中身を確認せず、料金210円を抜き出して、入れた。

帰宅後、本日の精算をする必要があって、財布の中身を確認した。おかしい、お金がちょっとだけ少ない……
そう。バスにあったのは両替機ではなく、きちんと210円とって、お釣りを返してくれる機械だったのだ。
Oh my god! なんてこったい、往復分のお金を払っちまった!

15年ほどバスをほとんど使わない生活をしていたし、たいてい小銭がどっかにあったし、以前は両替機だったような記憶が…京都のバスと記憶がごっちゃになってるか?
せめて、運転手さん、私がお金を突っ込んだのを見てたなら、なんかいってくれればよかったのに…

損した金額はすごく少ないのに、なんかヘコんだ。
オノ・ヨーコ展やら他の話題は、後日。m(_ _)m

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2004.06.11

コミックFantasy No.4、届く

昨日、ポストに書籍サイズの宅配メール便。榎本司郎事務所から。
「コミックFANTASY」No.4が届いていた。

1990年代、偕成社から「コミックFantasy」が出ていた。季刊、書籍扱い。
森雅之、坂田靖子、めるへんめーかー、ますむらひろしらが描き、須藤真澄も連載していたし、大雪師走「ハムスターの研究レポート」紺野キタ「ひみつの階段」らを輩出。間口の広いファンタジー専門マンガ雑誌は珍しい存在だった。

編集長の榎本司郎氏がご自身の事務所版として復刊させて、第4号を数えた。えらい! 確かに形は同人誌だが、最後の頃の連載陣は共通しているし、ますむらひろし氏のコミック大賞も継続されている。

まだ全部読んでいないのだが、今号は、紺野キタ「ひみつの階段」シリーズが載っている。また、イタガキノブオ「ネコムシ・ストーリーズ」に加えて、中編「吸血鬼」がある。ファンの方は、必須かも。
単発作品でなく、連載が増えてきたのが何より。
また読んだら、ここで少し触れたい。

公式ページに紹介と、購入申し込みがあるので、気になったらクリックを。

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アフタヌーン7月号(2)

パート1の「新連載と、目に付いたもの篇」から間が空きましたが、通常連載その他について。

まずは、第2回となる田中ユキ「神社のススメ」。もうストーリーは説明しません。おっかない先輩巫女二人、逆に感じのいい巫女の新田さん、不思議巫女少女の真鍋に囲まれて、とんだ新人歓迎コンパで右往左往する図。思わせぶりということはなく、むしろストレートでわかりやすい。わかりやすすぎるくらいかな。
主人公、里見信二郎の家庭の事情がさりげなく見え隠れしてきたし、連載5回目くらいまで少し様子を見たいところ。ある程度、ネタを出してからのほうが、おもしろくなりそうだし。

次、木尾士目「げんしけん」。部室で新会長・笹原、新人・荻上と服の話をしていたサキ。そこへ斑目が眼鏡だけおしゃれして登場。就職活動して外に出たもんで、ちょっと気になってやってみたんだが、サキに爆笑される。そして、臆病にならんでもっとどんどん自分で選んで着てみりゃいーじゃん、と煽られる。(斑目の好きな対決に持ち込まれたというか。)
斑目、発心して洋品店を廻るも、売り場にいるだけでいっぱいいっぱい、ゲーセンで休憩。気を取り直して次は値札を見ると、アニメのDVDボックスやゲームの値段と比較を始めてしまう。そんな値段を服に出すなんてばかばかしいと帰りかけた時に、その価値判断の倒錯に気づいた斑目。自分の目で判断して服を選ぶ決意し、買い物をはじめ…
いや〜…こういう話、別に最近のオタだけのことぢゃない。オタはオタでも、昔の技術オタク(マンガやアニメのオタではない)。
昔、とはいえ、1989年くらいか。技術者向けソフトウェア・エンジニアの職場。ひとり、おもしろいオッサンがいた。エンジニア35歳定年説などなんのその、楽しそうに論文を読んで、ソフトを書いて、たまには徹夜もする。まだ事件を起こす前のヨガ道場もどきのオウム真理教の広告を見て、「この空中浮揚を2階でやらせて、床板スパーッと抜くとどうなるのかな」などと真顔で言い出す、ヘンなおっさん。秋葉原のジャンク屋やパーツ屋を、喜んで走り回っては見て、買い込む。神保町で専門書の古書を走って探しては、買い込む。CDショップでもたくさんのクラシックのCDを買い込む。そのまま職場に持ち帰って、周囲のエンジニアを集めて自慢大会やら音楽観賞会やら…って、仕事はいつするかというと、深夜したりするわけだが。まぁ、当時の研究職らしい生活パターン。(←いや、ちょっとつくってるか。一応いっときますが、もちろん仕事はすごく出来る人。)
ただし、服が地味で妙。なにしろタオルを外に干したまま忘れてしまい、しばらくして発見すると、今度は放っておいたらどうなるかという実験を始めちゃうような人である。ちなみに、30日を経過して、ぼろぼろと崩れていったそうだが…って、ちがうわい。つまり、服装を中心にしたラグジュアリーな快感への欲求があまり湧かないらしい。
人前に出る服くらいどうにかすれば?と言われたおっさん、女性社員とともに、伊勢丹の紳士館に行ってみた。入っただけで固まる。値段を聞けない。金ならじゅうぶんに持ってる、ただ、場の雰囲気になじめない。同行の女性社員がてきぱきと服を選び出すと、頼むから勘弁してくれ、早く過ぎ去ってくれと、固まったまま。
結局、女性社員に見立ててもらってすべてを済ませた。出てきてからのセリフ「ジャンクやパーツのまっとうさはわかるが、あぁいうのはわからん、だいたい店員のあの笑顔はなんだ、慇懃無礼で緊張してしまう!」
その一方で、さわやかに日焼けしていて、週末はテニスというエンジニアもいたりするわけだが…いや、脱線しまくりだけど、まぁいつの世でもオタのパターンはあんまり変わってないらしい。
眼鏡を違うものに変えてみた斑目はまだ、真性オタとはちがうのか。まぁげんしけんだしな。最近の若い子は結構、服に詳しいようだし…あ、でも男達が後ろから撃たれるスレ(含む電車男)のように、オタはやっぱり知らんのか。
で、もう発売してだいぶ経つからネタばれするけど、斑目の選んだ服は結局、アキバ専用になっちまったつーオチがつく。先のヘンなおっさんの場合は、そういやどうだったんだろう…やっぱり自分で選ばなかったからかなぁ、あんまり見かけなかったかも。

ひぐちアサ「大きくふりかぶって」は、相変わらず好調。前ふりが長い瞑想の話だけど、メンタルトレーニング、イメージトレーニングで何をするかって話に踏み込んでる。これ、音楽の練習で緊張をとる際にも使うことがある。先月、増ページで勝利を描いたから、静かな展開になるのだが、単なる中継ぎの話にせず、ページを利用して推進していくリズムがいい。
連載を再開した冬目景「ACONY」。この作者のことなので、休みつつ進むのかもしれないけど、いい感じです、期待してます。
木村紺「神戸在住」とよ田みのる「ラブロマ」。今月はちょっと違う方向に話をふってみた感じで、揃い踏み。これもよし。
だけど、五十嵐大介「リトル・フォレスト」の、大根タルトの話が新鮮、今月はここの印象が強かった。
もひとつ、今月は熊倉隆敏「もっけ」の月(隔月連載)。絵はマンガ絵(しかもアニメ化しやすい絵)なのだが、妖怪がきちんと出てきて、それが人と関係してくるところが楽しく読めるなぁ。

あんまり触れてきていないけど、、あさりよしとお「るくるく」も、毎号ちゃんと読んでる。これは、「ワッハマン」以来の定着路線になってるみたい。
園田健二「砲神エグザクソン」が完結。長い話、しかも宇宙もの、完結はめでたいことなんだけど…とにかく「GUN SMITH CATS」の印象が強烈だったからなぁ、私には(←オッサンの証拠、と自分でつっこんではおくけどさ)。
星野作品も完結済み。これで、スペースオペラやその影響下の作品は一応なくなったわけですな。あればいいってもんでもないけど、世の中ガンダムばっかりじゃないというのはいいことかもしれないとは思う。

細かいところで北道正幸「プーねこ」も悪くないんだけど、たまーに長いの読みたいよ〜。

というわけで、アフタヌーン7月号は、このへんで。まぁ売れる作品を続々登場させようという意欲はいいと思うけど、もうちょっとシュールな作品や妙な作品もほしいかなぁ…それはコミックビームなどがやっとるわけなのか?!
新連載攻撃はまだ続くようだが、モーニングの広告によれば、次は「大合作」のムービーがつくという。そうか、あの「大合作」か…うまくいけばいいけど、まぁあけてみないことには(下手すると単なる内輪受けになるし)。
狂気の合作マンガのことを思うと、アフタヌーンにトニーたけざきがいないのは、かな〜りさびしいかもしれんな。

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2004.06.10

Mac OS Xのセキュリティアップデート2004-06-07

ここに書くのが遅くなっちまったけど、Mac OS Xのセキュリティアップデート 2004-06-07が出ている。
ソフトウェアアップデートで更新をかけられる。
また、アップルダウンロードページにも、Ver10.3.4用Ver10.2.8用が出ている。
これは、以前「Mac OS Xのセキュリティ問題、続いてる?」触れた件の、解となるもの。

アップルは、セキュリティアップデートの説明を開始したようだ。これまでの各セキュリティアップデートの内容について、簡潔にまとめている。
こういうものを出すのはいいことだけど、もっとわかりやすい場所にはっておいてほしいなぁ。
ただ、ページの最初にこうある。

===引用開始

この記事では、アップル製品に対するセキュリティアップデートについて概要を説明します。ユーザを保護するために、アップルはセキュリティの問題に関して、完全に調査を完了して必要なパッチやリリースが利用可能になるまでは、問題についての公開、説明、確認を行いません。

===引用終了

うーん…万が一、アップルがパッチやアップデートを出すのに手間取った場合に、一時的な回避策だけでも情報が提供されないのかな。うーん…一歩前進したけど、もう一歩前進してほしいなぁ。

P.S.
新製品については、またあらためて。

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2004.06.08

アフタヌーン7月号(1)

だいたい読了しているのだが、書く時間があんまりない。
グダグダいっても仕方ない。ので、パート1は、新連載と、目に付いたもの篇。

隔月新連載の瀬尾浩史「アキバ署!」。連載の準備は前もってやるものだけど、Winny作者逮捕と発売時期が重なった偶然。おもしろいもんだ。
警察ものだが、内容は想像通りIT犯罪関連。外神田警察署に新設された「ハイテク犯罪相談室」。本庁から出向してきたのは、若い女性の久遠あまね。現場教育係を兼務する巡査の二人で、活動が始まる。第1号の客は、剣道部に所属する女子高生、神崎千夏。彼女のホームページは莫大なアクセス数をかせぐ人気サイトだが、実は彼女が作成・運営しているわけではなかった。ストーカーめいたページをつくる犯人をあばいて、根性をたたき直すという彼女の願いにのって、ハッキングの上でページ作成者をつきとめる。だが、その男がすぐにやめたとしても、Peer to peer ファイル交換ソフトにのって出回っている、彼女を撮影したビデオこそが、問題なのだった。カレシからでなければ出回らないはずのビデオ。しかも、ファイル交換ソフトにのってしまえば、とりしまることなどできやしない。傷ついた神崎を公式には救えない久遠は…
非常に手堅い構成、見せ方。しかも、2〜3回にわけてもよさそうな内容を、70ページ強で一気に描いて、テンポもよし。連載第1回としての王道をキメすぎている気もせんではないが、それはないものねだりというところか。
Winnyなどで話題になるファイル交換ソフトだが、大手新聞では官公庁(含警察)や企業のデータ流出のことを大きく取り上げる傾向が強い。しかし、セキュリティの専門家のほとんどは、本人の与り知らぬところで、映像や個人情報が流れ出てしまうことが一番危険であり、しかも一度出回り始めたら止める術がないところが、一番やっかいだと指摘している。一般紙・一般誌で取り上げられにくいことを、エンターテイメントに載せてタイムリーについているのは、ポイント高し。絵柄も、こういう内容にあってるしね。
逆にいえば、警察が法律スレスレではなく、積極的に踏み込んで法を破って捜査する内容を、正々堂々と正義のようにやるマンガでいいのかってハナシも出るだろうな。(あたしゃ、そういうことにはうるさくない方だ。オハナシだしさ。)
作者や編集は、議論を喚起することも含めて、あえて描いたように感じる。けれどまぁ、そのあたりは、第2回以降もみるということで。

一方、春の四季賞受賞作、松木洋一郎「Flat Out」
モトクロス・レーサーとして、やっと国際A級で走れる近藤。10年を経て、やっとここまできた彼は、今28歳。これを最後のレースと決めて出場するが、本業で残業があって、ほとんど寝ていない。一方、彼が追いかけてきたレーサー、日比野タケシは既に国際A級のチャンピオンねらいである。近藤が初めて走る国際A級のテスト走行、そして予選…
登場人物も筋も、まぁパターンといえば、パターン。だけど、レース準備から時間を遡って二人を描き、今の近藤と日比野の競り合いに至る流れは、ていねいな映画。アップの画像が多いカメラワークは、迫力がある。欲を言えば、コースの引きが見えて、走り全体に立体感を見せるところが一点あると、もっと引き締まったかも。モトクロスのことをよく知らない人も読むのだし。
もう一つ、アフタヌーンで連載するなら、もうひとひねりあるといい気もするんだけど、それこそないものねだりってとこだろうか。

ほか、あいかわらず岩明均「ヒストリエ」は、おそろしいほど冴えてる。
有力者ヒエロニュモスの息子という立場で公聴会に出ていたエウメネスが、反撃をするかに見せて終わったのが先月
今月、すでに出自を暴かれたエウメネスは、すでにバルバロイ(蛮人)としての教育を受け直し、使用人に格下げされている。かつての母を「奥様」と呼び、かつての兄を「若旦那様」と呼ぶ。いきなりそこまで話が飛ぶか?と唖然とするが、同時に、連載当初の伏線の多くがここに連なっていたことに感心しちまう。今月の終わりも、必見。
芦奈野ひとし「ヨコハマ買い出し紀行」。カフェ・アルファでバイト?手伝い?をする、マッキ。あまりに客が来なくて、居眠りしてしまうマッキを見ながら、ほとんど人間並みのアンドロイド、アルファさんの思うこと…いい感じです。

他は、また次回に。(「げんしけん」には触れるよ。)

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梅雨入りなど

6月6日、前日のさわやかさがうそのように、重たい空気に雨が降り続けた。やはり、梅雨入り。

6月7日、湿った重い空気の中で、なんどか強い雨が降る。夕方、急に晴れてきた。
所用で移動中の午後六時頃。すばらしい青空に散らばる雲がそそくさと流れていく。
シャツの袖をまくると、午前中の風がうそのような、適度な湿りと土の香り。
猫が塀の上にでてきた。今夜中くらいは、お天気がもつのかな。

五月末、私用公用で忙しく、なんだか押せ押せ気味。おかげで、先月25日発売のアフタヌーンにも触れていないな。もう数日くらいでペースがあがりそう。

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2004.06.05

ビル・アトキンソン氏の語るMac誕生

Apple Computerが開発し、GUI普及の起爆剤となった、LisaとMacintosh。Lisaの誕生は1983年、Macintoshは1984年。(ちなみにTRONプロジェクトは1980年に提起され、1984年に立ち上がっていたことも、念のために並記しておく。つまり、Mac同様、TRONも20周年。)
そのGUIに関わる開発のほとんどを受け持った、Bill Atkinson氏の講演があったそうだが、日程があわずに私は行き損ねた。
以下にレポートがあがっている。

・「ビル・アトキンソンが語る『Mac誕生ストーリー』」(CNET Japan、5/13)

・「ビル・アトキンソン氏講演 in mACademia」(マサトレ、5/17)

個人の報告。だからこそというべきだろうか、貴重な写真がいくつも掲載されている。深謝。

・「ビル・アトキンソンが明かす Mac 誕生秘話」(Mactopiaのスペシャルコラム、林信行氏、5/28)

(上記リンクは最新コラムへのリンク、違う内容が表示された場合は「過去の記事一覧」の第166回第116回をクリック)

・「特別企画 AltoとMacのミッシングリンクがいま明らかに ビル・アトキンソン マッキントッシュを語る」(MacPeople 2004年7月号、柴田文彦氏、5/29発売)

最後の一つは雑誌を直接読まなければならないが、他は直接Web上の記事を参照できる。読めることに感謝。
上記の記事は、いずれもそれぞれの執筆者のアンテナにひっかかった部分を、写真なり記事なりでかいつまんで取り上げている。できればすべて目を通すことをお勧めしたい。

***

これらを読むと、かなりおもしろいことがわかる。特に、Smalltalkを一度でも起動して、簡単なプログラムでよいから、何か組んでみたことがある人には。
Alto上で動作するSmalltalkのデモを見たアトキンソン氏は最初、Smalltalkに非常によく似たウィンドウとスクロールバーを作っていた。ウィンドウは黒線の枠、タイトルはウィンドウ上部左端にあって、スクロールバーは左側。いくつかのSmalltalkシステムをいじったので記憶が混同しているかもしれないが、確かSmalltalk-80準拠の場合、スクロールバーはマウスのフォーカスが当たった場合に、ウィンドウの左側に現れる仕組みになっていたように思う。しかも、Smalltalk-80ではウィンドウを複数のペインに区切ることもよく行われていた。各ペインごとにスクロールバーが現れたり引っ込んだりしていたようにも記憶している。
これに比べれば、確かにLisa/Macintoshの示した、ウィンドウ右側に固定したスクロールバーが現れることは、視点の複雑な移動をなくし、現在作っているコンテンツに集中しやすい環境を形成していったことがわかる。矢印カーソルがテキスト選択しやすいようにI-Beam型に変わることも同じで、カーソルの形の変化がむしろテキスト作業をしやすくしている。また、最初は各ウィンドウ上部についていたプルダウンメニュー。ウィンドウの大きさが変化するたびに、メニューの見え方が変化するために好ましくないとして、画面上端に固定したメニューバーを発明することで解消している。
MacPeopleのみに入っている写真に、初期のLisaの画面のWindowがある(p.18の4番目の写真)。ウィンドウが画面上に散乱することがわかりにくくなるとして、ウィンドウを縮小してデスクトップに並べる写真。これなど、見る人が見れば「UNIXのX-Windowで、1990年代前半のウィンドウマネージャとして人気があった、twmによく似てるなぁ」と思うかも。
後続の人々が考えそうなおおよそのことを、試行錯誤をしながらかなり実験して取り上げていったことが、よくわかる。もちろん、これはアトキンソン氏の記録と記憶に基づくものであり、他の資料をあわせるとまた様々な側面が浮かび上がるはずだが、非常に興味深いものだ。やっぱり無理しても行けばよかったかなぁ、と思わせるほどに。

ちなみに、Altoは研究所で試作された贅沢なコンピュータであり、特に画面上にビットマップを高速に転送することは、ハードウェアによって行っていた。これをソフトウェアですべて実装していると勘違いしたアトキンソン氏は、どうすればあの高速表示が可能かを研究して、QuickDrawに結実したという伝説がある。
実際、ちょっとでもグラフィッカルなソフトウェアを書いたことがあれば、MC68000という非力なCPUであの速度をたたき出すこと自体、只者でないことは理解できると思う。
そうした技術的な側面を、これだけの情熱と実験を通じて、わかりやすく・使いやすく・楽しい操作経験に結びつけようとしたことが、なおすごい。「使っていてなんとなく楽しい」といわれるが、開発者がそう望んでいたからこそなのだろう。

Macintoshを「画像や音楽に強いプラットフォーム」として売っていた時期があった。いまでもそのような認識で販売しようとするケースもある。
しかし、それは違うんじゃないか。
上質で楽しい使い心地があるからこそ、様々なことを情熱をもってやれる、そういう道具であることに力を入れてきたプラットフォームなんだと思う。
その意味においてMac OS Xは、見かけこそ違うが、やはりMacintoshらしい空気を纏い続けていると思う。

***

被験者を用意して、実際に使ってもらい、その様子を観察したりインタビューしたりする役を、ゼロックスPARCから移籍してきたラリー・テスラー氏が行っていたと、MacTopiaの記事にある。
氏は、Smalltalkにおいて、オブジェクト指向言語に必須のクラス階層構造を示すクラス・ブラウザを開発した方だったはず。
そして、その画面の見かけによく似た印象を持つアプリケーションが、現存している。しかも、大量に使われている。

アップルのiTunesだ。いわずと知れた、音楽ジュークボックスソフト。
多数の楽曲をジャンル/アーティスト/アルバムの階層構造で整理・表示してくれる。インタラクティブで、作業モードによる操作の制約も非常に少なく、気持ち良い使い心地を提供してくれる。もちろん、Mac OS Xの開発ツールにおける、JavaBrowser(Javaのクラス・ブラウザ)も同様のユーザインタフェースを持つ。
こんなところに間接的な子孫がいたりするのも、おもしろいところ。

***

ところで、アトキンソン氏の講演は、Mac開発の過去を振り返ることではない。こういう経験を経て写真家になり、既存のカラー印刷システムに不満を持ち、新しい色管理システムを開発した。それを採用した最初の商業印刷会社が日本の帆風であり、記念講演を行ったというもの。
この本題についても、上記記事にあるので、どうぞ。

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六月に五月晴れ

乾いた空気、すばらしい青空。六月に入って、やっと五月晴れの空模様とは、これいかに。

6/4はまさしくピーカン。
だけど、6/3のように、少し雲が見えて、それが絶え間なく流れていく日のほうが、表情があって美しい。特に、昨夜の満月ときたら! 月がいやに大きく見えると思ったら、地球に接近した状態での満月という。
今夜も今夜で美しいけどね。

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2004.06.04

久々の整体

ちょっと身体を使う用事などが重なった。
歯と顎の噛み合わせの治療を進めているのだが、力を入れることが続いて、噛み合わせの位置が治療以前の状況に揺り戻し気味。しかも、筋肉痛があちこち。
そもそも噛み合わせの治療は身体のセンターをしっかりさせようと相談して始めたもの。これが再び動いてしまった上に、筋肉痛を逃がす姿勢をとるため、身体が微妙にねじれているような感じ。

というわけで、久々に整体をうけた。
私の場合、頭に血が上ってしまうことが多いのだが、今回はむしろ巡りが悪くなっていたという。どういうことかといえば、血液の更新量が減って、代謝があまりよくない状況なのだとか。かなりみっちり治療してもらったら、腹・足・手に暖かみが戻ってきた。
でも、整体で一番大きいのは、身体の芯から静かになる感覚だと思っている。心身の中で立ち動く埃が落ち、ざわざわとした感じが消える。
これで、次の歯医者の相談まで、持ちそう。

というわけで、久々の更新が短くなってしまってすみませんが、徐々に平常営業(?)まで戻していきます。

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