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2004.06.19

ココログのメンテ、一区切りか

6/15に「ココログが深夜に不調とのこと」で、ココログを提供している@niftyの対応に関する不満を軽く書いた。同様の不満をもっと激しく書いているココログもいっぱいみつかった。翌日、@niftyはココログのトップページで、アナウンスをした。
6/18の午後までに行っていたメンテで、一応の区切りがついたようだ。ログインも、管理ページも、まっとうに動くようになった。

「もうココログはやめやめ」という人も出ちゃってるみたい。
MovableType互換のよそに引っ越すのは簡単。それが無理でも「今までのはリセットしてまたゼロから」を気楽にやる人だっている。はてなだってあるしね。
パソコン通信会社として始まった@niftyは、一箇所に固まってコミュニティを作る発想から抜けきれていない人々が多いのかなぁ。対応が後手後手にまわったことが、少々気になるところ。

***

たとえば、公私に関わる大量のメールを失うことは、仕事や連絡の履歴・連絡先を失うから、たいへん面倒なことになる。縁が切れてしまう人も出るから、こわいと感じる人々だっているはずだ。
だが、新しいPCに移行するのをきっかけに、メールデータをリセットしたり、どうしても必要な最近のメール以外は捨ててしまう人々も、少なからずいる。

こういうことは、ある程度PCの技術に通じていて、データ移行の知識がある人々には、なかなか難しいことかもしれん。PCやネットワークを含めた技術者・研究者などは、「もうめんどうだから全部捨て!」などという発想を、あまり持たない人々が多いような印象を受けている。
科学やそれをベースにした技術は、論理の積み重ねの上に成り立っていくものだ。知識さえあればデータ移行くらいできるし、失うよりもよいだろうと考えれば、メールデータをとりあえずみんな引っ越すくらいの労力は払う。そういう人々のほうが多いように感じる。

@niftyがかつてNifty-Serveと名乗っていた頃、パソコン通信として最大の会社に成長していく過程で、フォーラムというコミュニティを支えるのに協力してきた多くの人々は、少なくともこのような性格をいくらかでも持ち合わせている人々も多かったんじゃないか。過去ログ(会議室でのメンバーのやりとりを記録として残すもの)の整理と、その活用なども含めて、純度の高い情報を生み出すべく努力していた。また、その恩恵を享受しつつ、自分もいくらかは貢献しようと入会する人々が、巨大コミュニティに発展させていった。
けど、インターネットの普及からもうすぐ10年、ごく一般の(少なくともまったく凝り性でない)人々がネット上に大量にいる世の中になった。検索すれば、どこかに何かある。それをうまく編集すれば、とりあえずほしい情報は手に入る。どこか一つのコミュニティに集約させて、有用で純度の高い情報を整理するよりも、雑音が多くても手軽に入手できる情報を集めたほうが、話が早くなってきた。

そういう世の中で、@niftyのサービスを、コミュニティをつくる場としてとらえる人々は、むしろ少ないように思う。
でも、@niftyは、いまだにそういう方向を指向しているように見える。ココログのトップページを見ていると、フォーラムとは別のゆるいコミュニティ形成に、Weblog(より正確にいえばTypePad)を活用したいという空気を感じる。トラックバックを積極的に練習させる場などは、トラブル防止の側面もあるだろうけど、それ以上にメンバー間のゆるい連携ととらえているように見える。
それが悪いといってるんじゃない。
だけど、@niftyのトラブル対応について、運営の古くささを感じ、それはパソコン通信全盛期の発想の名残なのかなぁ、などと思ってしまったりするのだった。

まぁ半分は与太話。@niftyには、今後すばやく対応していただければいいんだけれどね。

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