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2004.06.14

YES オノ・ヨーコ展 @ 東京都現代美術館

日本で初の大規模な展覧会となる「YES オノ・ヨーコ展」。皮切りの水戸芸術館に行き損ねた。今度の東京都現代芸術館にも行き損ねると本当に見逃すので、ちょっと前に書いたように時間をやりくりして行ってきた。

受付をしてすぐに迎えられるのは、ロビーに立ち並ぶ大小様々な大きさの棺と、その窓から立ち上がる木々。すでに有名な「エクス・イット」。小さい棺を囲むように、大きな棺が二つ並ぶ様など、想像がひどく刺激される。
企画展示会場に入れば、すぐに聞こえてくる「コフ・ピース」(断続的に咳の音が聞こえる)。そして、オノ・ヨーコの初期作品。私家版として500部制作された「グレープフルーツ」の展示から始まる。続いて、絵画ではなく、パフォーマンスの方法を指示した言語によるメモ。こうしたメモは後に、ニューヨークでの個展で作品として結実していった。

しかし、ショックだったのは、はしごにのぼって小さく書かれたものを虫眼鏡でのぞくと「YES」の文字が見えるというあれ…
なんと「作品には手を触れないでください」で、のぼることも、虫眼鏡でのぞくこともできないのである。数十万人が触れることを考えれば、作品保存のために仕方なかった措置なのかもしれない。また、現在は、もっと違う見せ方をするからなのかもしれない。ただ、なぜこうしたかはともかく、彼女の有名なメッセージの一つである「YES」を、直接目にすることが出来なかったため、かなりびっくりし、かつ落胆もした。

しかし、初期作品の中に通じる、非常にミニマルな設計と、あえて素人くさく作ったような造形とが、1960年代という時代をくっきり浮かび上がらせている。同時に、作品が単なるメッセージ伝達手段なのではなく、人間という存在を深くしっかり感じるために提供されていることも、浮かび上がってくる。
ところで、電話が設置してあり、ほんとうに電話がかかってくるのだそうだ。私がいるときはなかったが、実際にオノ・ヨーコからの電話をうけた人がいるそうである。というのは「ウィッシュ・ツリー」にそれがうれしかったと書いている人を見かけたので! これから行く方、かかってくるといいですね。

***

オノ・ヨーコの作品は、単に「鑑賞する」というより「体験する」と呼ぶほうが正確だ。
たとえば、アクリル製の迷路に入ってみる。周囲を見回す時に生じる不安感。透明なのに、縛られているような感覚が蜂起して、いたたまれないような気持ちでたどりつくと、そこにあるのは便器。
こういう体験型の作品は当然、イヴェントの記録としてのムービーにたどりつく。

伝説のイヴェント「カット・ピース」のムービー。オノ・ヨーコは舞台に座っている。参加者一人ずつが登壇して、服を切り取っていく。もちろん、ただの観客も大勢いる。
切り取る人々は男女を問わない。その都度、ハサミの堅い音が響く。次から次へと。黒い服が切り取られ、やがて肌着が見えるところまで至る。
硬い表情の彼女の緊張が伝わってくる。最後、ブラジャーの肩紐をパチンと切ると、彼女は胸を両手で押さえる。
精神のレイプなのか。20分弱のムービーは、見終わるとズキズキ痛くなる。話を聞くのと、体験するのとでは、これほどまでに違うものか。奪い・奪われていく様々な出来事−−−それは権力による略奪から、戦争にまで様々な人を圧迫する事態を連想させる。
ちなみに、このイヴェントは、仏教説話からの発想で、むしろ与えるものなのだという。しかし、このムービーは、そんな穏やかな心境で見ることは出来ないものだった。

また、ニューヨークの1室で、女性が一人、全裸で横たわり、蝿が歩いていくだけの映像を収めた「FLY」。蝿のアップがほとんどのシーンを占め、そこに羽音とも環境音ともつかぬ不思議な声を、オノ・ヨーコがいれている。
オノ・ヨーコはジョン・レノンとともに制作にまわっており、アクトレスが出演。よく承知したもんだ。
まるで死体を連想させるようなこの作品、私は仏教にある不浄観(人の死をみとり、さらにその死体がなくなっていくまでを観察する修業)まで連想してしまったが、作品自体にそのような雰囲気はない。人間の肌が砂丘に見えたり、そこを歩く蝿が別の生き物に見えたり、そこからカメラをひいた瞬間に「あぁ、人間だったんだ」と思い直してみたり、常に聞こえる声が不思議と不快感をもたらさなかったり。感覚が常に新鮮に保たれたまま、カメラが窓の外に向かっていって、作品はおわる。最後の静寂が醸し出す余韻は、脳の中をシーンとなだらかにしていった。

他にも尻のアップだけが延々と続いたり、ジョン・レノンの顔のアップが続いたり、建設中のホテルを完成まで撮り続けたりするだけの作品が、名状しがたい解放感をもたらす。形から自由になると、もっと多くの感覚が立ち上がってくる、そのことが解放感にくっきり結びついている。
翻って、2001年の横浜トリエンナーレに出品されていたビデオ・インスタレーションの多くが退屈だったこと。
オノ・ヨーコはクラシック・ピアノと声楽を、幼い頃から訓練してきた。つまり、絵や彫刻といったものだけでなく、時間芸術の訓練から始まっている。時間経過の中で生じる印象や感覚の変化に一際敏感な人間が、音楽の訓練を受けた。そして、音と画面の時系列変化が総合的に作り出す「体験」を、意識の流れとともに制御しながら伝える手法を、指向していたように見える。だから、作品設計メモからイヴェント、そしてムービーを通じて、新しい表現の地平を切り開くことに成功したのだと思う。
それは、彼女を「単なる前衛の女司祭」という地位から解放し、その解放感自体が当然作品にも反映されているのではないだろうか。

***

最近の作品では、素人っぽさを排除して、きっちりした造形の中からふっくらメッセージが立ち上がってくる。3階まで吹き抜けを利用した「モーニング・ビームス」は、シンプルで大掛かりで真っ白で、そうして凛々しい。また、真っ白なチェス盤と駒(敵味方が判別付かない!)のユーモア。参加型作品でも、願いを紙に書いて木に結びつける「ウィッシュ・ツリー」のように穏やかなもの。
ただ、一番新しい作品である、驚くほど多数の点描画の集積。これを見ていると、むしろ表現に厳しい姿勢を保つがゆえに、穏やかな解放が感じられると思えるのだ。
というのは…昨年、パリで彼女は「カット・ピース」イヴェントを、自ら行っているのである。無論、今の世の中を踏まえてなのだが、「美術手帖」の記事を見る限り、彼女の表情はここで展示されているムービーよりもはるかに穏やかに、そして厳しく厳かに見える。歳月を経て、以前よりはるかにストレートに表現されているようだ。

「イマジン」とはいっても、単にホケーッと想像するのではない。人間の様々な暗黒を前にしてもなお、世界の平和と人間の自由を想像するのだ、想像を通じてしか人は現実を変えられない、という姿勢が、一生を通じてまったくブレることのない、希有の存在。
深く打たれる。「YES」のはしごを上れなかったことは落胆したが、そうであっても、これほど強いメッセージと感動に満ちた作品群は、まず見られるものではない。時間をつくって行って、ほんとうによかった。

できれば、横浜トリエンナーレで見た、機銃掃射で穴だらけ列車から発するレーザー光線を、ここでも見てみたかった。東京で見たらどうなっていたのか。

東京都現代美術館で、6月27日まで(月曜休館)。1,000円。

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コメント

kenkenさん、こんばんはコメントありがとうございます。メカパンダと申します。
オノ・ヨーコ展ホントに良かったです。行けて良かったです。
自分の中の今までのオノ・ヨーコのイメージがずいぶん変わったと思います。含めて今まで自分自身が理解できてないことが世の中にはまだ随分あるのだなという気持ちになりました。そういう変化をもたらすことができる作品ってすごいですね。また機会があったらトラックバックさせていただきます。ヨロシクお願いします。では。

投稿: メカパンダ | 2004.06.29 23:50

お断りが申し遅れましたが、返信はメカパンダさんのWeblogのコメントで代表させていただきます。
ご丁寧にありがとうございました、またよろしくお願いします。

投稿: kenken | 2004.06.30 12:11

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ちょっと遅くなったけどレポートでござる。 木曜日に会期ぎりぎりで念願の YES [続きを読む]

受信: 2004.06.26 23:14

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