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2004.08.07

カルロス・クライバーが聞かせてくれたもの

カルロス・クライバー逝去に対して、独善概論から、トラックバックをいただきました。多謝。

私が最初に買ったクライバーの録音(当時はLP)は、実は父のエーリッヒのものだった。ウィーン・フィルを振ったベートーヴェンの交響曲第9番と第3番。もう手放してしまったのだが、すっきりとバランスがよくて、こういうドイツ系音楽家もいるのか、と気持ちよく聞いていたことを覚えている。
そのすぐ後、カルロスがえらく有名になった。日本デビュー盤の第5番を聞いてみて、ビックリ。バランス感覚のよさは共通するところがあるものの、響きがまったく異なる。オケの合奏への集中度がきわめて高く、メゾフォルテのなんでもないフレーズがしなやかに響き、そのしなやかさを失わないままにフォルティッシモへ登り詰める。クライマックスでのテーマ(有名なダダダーン)、その強靭さに鳥肌が立った。実際の速度以上に速度感を感じさせるリズムの運びにも驚いた。ヤラれてしまった。
こういう路線では、ベートーヴェンの第7番が最上のものだと思う。木管と弦と金管が寄せては返し、異常に音が豊富な第4楽章。速くないのに、ものすごく速く感じる。
逆に、第4番など、オケはたいへんかもしれない。あの速度の第4楽章は!

私はオペラ鑑賞がどちらかといえば苦手なほうで、特に昼メロ以下の内容のないお話だと我慢できなくなることがある(オペラなら歌舞伎のほうがいい)。見るなら20世紀以降か、18世紀以前のものがありがたい。その意味でも、彼が得意とした「ばらの騎士」のすばらしさは、得難いものがあった。内容のある台詞と筋運び、一流の歌手に、文字通り錦上添花のオケ。
ヴェルディ「椿姫」(私は作品としては「?」だが)、ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」、またベルクの「ヴォツェック」など、真摯な葛藤を強いる状況自体をテーマにした作品に注力し、他は振らない。彼がいかに、心身ともに中身の濃い音楽体験を重視していたかがよくわかる。また、20世紀がいかに人に葛藤を強いた時代だったのかにも思い至る。そういえば、エーリッヒが南米に逃れ、そこで育ち、後にヨーロッパで音楽を志すも父に反対された、それがカルロスだった。

そう多くはない録音の中で、一時期ずっと心を占めていたもの。
それはブラームスの交響曲第4番。ウィーン・フィルがあんなに熱心に弾きながら、醒めた目がどこかで見つめているようで、響きは枯れているのになお生々しい。諦観などという落ち着いたもんじゃない、こんな風に、地上に異世界(黄泉の国と言ってもいい)を呼び寄せるような演奏がなんで可能なのか。スコアを見ながら何度も繰り返して聴いた。
ブラームスをあまり聴かなくなり、後にアーノンクールがベルリン・フィルを振った第4番で新しいフレージングに耳を洗われたとき、思い出したのはやはりカルロスの録音だった。
19世紀に生まれ育ち、自分達は18世紀の極上の作曲家達には比較すべくもないと述懐していたこともあるブラームス。その覆しようがない葛藤自体が音になる様に自らを没入させるからこそ、蒼く深く広く燃え上がるあの音が出たのだろうか。

20世紀は本当に終わったのだと、感じ入った。

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