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2004.09.27

「アフターダーク」未読の方々へ

村上春樹の新作「アフターダーク」を未読の皆様。「海辺のカフカ」などを読んで、どーかなーなどと思っていた方々も、今回は読んどいていいかも。デビュー作「風の歌を聴け」を思わせるところがあるけどもちろん、ぜんぜん違う。少しの間、評価の定まりにくい作品かもしれない。そんな作品こそ、むしろ多くの人に読まれるべき。
氏の代表作は相変わらず「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」だと思う。だけど、今回は読んでおいたほうがいい何かを感じる。

それから、この記事を読んでいる、主人公と同じくらいの、19〜22歳くらいの方々へ。
この小説は、時間の設定がきっかりしている。もしも可能なら、この小説の書き出しの時刻に読み始め、この小説の終わる時刻まで、主人公達と同じ時間を、一晩の読書により「体験して」みてほしい。
あなた方は、それが行える特権的な年齢にある。もちろん、行使する/しないは、各自の自由に決まっている。それでも、とっくに二十歳を過ぎた私とはまた違う様々なことを、夜に耳を澄ませることで経験できるかもしれない。
あぁ、そりゃ作品の感じ方など人によって様々だし、あなた方が何かを得られることを私も保証などできやしない。けれど、ファウスト第1部を(ヘタすると全部を)徹夜で読み切るなんて集中力があるような年齢のうちに経験したことは、人生のどこかで効いてくることがある。
この小説はきっと、そんなことに触れていると思う。

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iTunesで見るもの

iTunesで、時々見たくなるものがある。
「え? 見るもの? 聴くんじゃなくて?」
そう、見るもの。Visual Effect。メニューに「ヴィジュアライザ」とある、あれ。Appleのデフォルトのままでね。

***

曲が常に定まっているわけじゃない。見たくなる周期が定まっているわけでもないようだ。ただ、ぼんやりと眺めたくなることがある。

クラシック、ジャズ、ポップス、ノンジャンル…曲調によって、様々な表情がある。
リズムセクションがないクラシックや、アカペラのポピュラー、教会音楽など、実に不思議よ? 色が落ちて、暗くなる。そこに不思議な形の乱舞が始まる。音楽にあっているわけじゃないんだが、かといって大はずれというわけでもない。ただ、その形を眺めながらたゆたう。
リズムがあっても、ジャズ、フュージョン、ロック、ポップスなど、ジャンルによってまた全然違う。
あまりに曲調にあった画像の流れに驚いたとしても、二度と再現されることはない。いや、再現されないからいいのかもしれない。

もしかして、おいらは、この抽象図形のストリーム(流れ)に、洗脳でもされてるんだろうか、この形には禁断症状でもあるのか、などと不気味な考えが浮かばないでもない。
もちろん、見なくてイライラするようなことはないし、見なけりゃ見ないで済む。
ほんのたまにぽっかりと5分くらい、つまり1曲だけ、眺めてみる。眺めればそれでおしまい。
音楽って、ある情緒や気分を引き起こすことが多いけど、ヴィジュアライザとともにあると、それとはまた別の経験になるように思う。音楽からもう一つ離れて客体化するというか。それは、iTunesの、決してほめられるほどではない音質も関係してるのかな。

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いつかは出ると思ってたブログ、発見

なんか、寒い。もうタイトル通り。時々降ってくる雨のせいか、重くて冷たい空気が窓からさぁっと入ってくる。
だけど、猫だまりの猫達は元気だったな。たまたま通ったとき、雨が上がったからかな。

あ、それから、更新が10/5くらいまで止まるかも。というわけで今日はちまちまと3つほど。

***

QRコードが世に広まり出したとき、いつか誰かがやるかも、と思っていたこと。
WebページやWeblogの記事を、QRコードので書いて、画像として貼付ける、というおバカな行為。
まさかねと思いつつ探したら、やっぱりホントにあった!!

その名もQRコードBlog
「世界で一番読みにくいブログ」だそうだ。
わっはっは。

念力Blogといい、ライブドアのブログは、こういうおバカ系ブログも多いみたい。

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2004.09.24

竹本泉となかじ有紀のビーナス最終巻を読んだ

マンガだと、最近コミック・ビームとアフタヌーンの感想を書いてないね。いや、ずっと続けて読んでるんだけど、新連載も多いし、少し様子を見てるつー感じ。いや、両方ともけっこうおもしろいっすよ。
それはさておき。

***

竹本泉「トランジスタにヴィーナス」第7巻。これで完結ですか…って、今頃言ってるってことは、フラッパー読んでない証拠で、♪すんません、すんません、すんまソングですんません〜((c)有馬しのぶ)
…ネタのわからん人、すみませんでした、「モンキー・パトロール」をどうぞ。ぢゃなくて>自分

竹本泉って、線の太い絵柄で、わけわからん話と童話みたいなマンガからいろいろ経て、青年誌でこんなの書き出して、どうなることやらと思ってた。話は地球のコピー星がたくさん作られる宇宙時代、中立地帯のリスボン星で活躍する、美女とのキスが好きな女スパイ、イーナスが主人公。この時代のスパイはパラ(特殊能力者)としての訓練を受けるらしいんだが、イーナスの特徴は周りに人死にが出ないこと。死なないだけで、怪我人は出る。だけど、この誤解されがちな能力ゆえ、妙な依頼が多く、しかもこの女神能力を本人が気に入ってなくて…
これが存外おもしろかった。露出度が高いからとかいうんじゃなくて、竹本氏は恋の話を描くより、他のこと書いてるほうが面白いからなのね。割合映画的な展開らしく見せながらも、適度に肩の力が抜けてて、新境地というか、傑作かも、と思ってたくらい。第3〜第5巻くらいまでは。
いや、なんかね、6巻で急にテンションが落ちたような気がするんだ。イーナスの訓練生時代の話ね、このあたりはえらいまじめやなぁと。どうしたんだろうと心配になったり。ビームで連載してる話も、なんだかえらくふつーになってきていたし。
で、その7巻。ちょっと調子が戻ったところで、おしまい。次を書いて、ということになったそうだ。いいタイミングかもしれない。

ちなみに、最終巻のあとがきによれば、コミックス(マンガの単行本のことだ)があんまり売れてなかったらしい、とか。そうか、そうだったのかー。竹本ファンにとっては、あんまりうれしい話じゃなかったのかな。

***

もう一つの最終巻は、なかじ有紀「ビーナスは片想い」第12巻。夏の初めあたりに出たはずなんだけど、今頃になって読んだ。
この方も長く活躍されてますね。なつかしいなんて思っちゃう人も多いか?
この「ビーナスは片想い」、数年前にたまたま単行本5巻くらいまでをたまたま読んだのがきっかけ。いや、驚きました。まるで1980年代前半のようなキャンパスライフ! 希望に満ちた入学(舞台は神戸)、サークル、テニス、季節の思い出、これでもかと能天気ライフが繰り出される。
1990年代が終わる頃からの連載だけど、「これが不況のまっただ中の連載か」はおとなげないツッコミっつーもんです。女優みたいな美人さんが親友で、おばかで陽性で肝心なところでシャイになる男の子たちと同じ寮で、後輩にモデルをやってる男の子がやってきて、家族がみんないい人たちで…お約束がてんこもり。しかも、恋は進みそうで進まない、つーか、清すぎるよ、いまどき。結ばれたのはやっと終盤戦に入ってから。
そうか、いまはこんなのは逆に新鮮なのかぁ〜と。ヴィヴィッドなものを読みたければ、南Q太、魚喃キリコ、安野モヨコその他、大勢いる世の中だし、逆にこんなのもあっていいんだろうな。ストレートアヘッドな少女漫画を読みたい人だっていっぱいいるはずだし、なかじ氏のキャリアにあった話だよね。むしろキラキラしているし。
大学4年を終えて、卒業とともに終わる。就職の悩みは、おそらく今の子はもっと深いだろう。男が好きな美男子というキャラが本当に活きてるかといえば、クエスチョンつけちゃう人もいるだろう。
そういうリアリティとはまた別の、マンガという文化の、ばかばかしいくらい楽しい生活を描くという文脈の一つがちゃんと最終回を迎えるのは、いいことだと思うよ。

***

どっちもビーナス、どっちも能天気な漫画で、ちょっと仕事の疲れをとりました、というところ。
秋分も過ぎて、さぁがんばりましょう。

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2004.09.21

文學界の青山BC鼎談、読んでみた

忙しいんでほっぽっとこうとも思ったけど、あんまりなので短時間で書いた記事をば。
9/7に「文學界に青山BCについての鼎談」があると触れた。そう長い座談会ではないんだけど、1週間くらいかけてチミチミ読んでみた。首都圏だけに展開していた書店の倒産が、全国(死語?)で販売される雑誌に載るのは珍しい事態でもあるし。
でも、この長さの記事を読むのに1週間…理由は、えらい忙しいのと、なんとなく気合いが入らなかったことの両方。

青山ブックセンターがメディアでおしゃれ書店として紹介され、その倒産にあれこれ意味を見出す向きもあるけど、それは違うんじゃないか、という発言は共感。だけど、柴田元幸氏が「私がトークショーに出るくらいだから」というのもちょっと違うかも。氏の翻訳を読むこと自体がファッションになってる方々もいると思いますぜ。
それはともかく、担当者が熱心で自らの裁量で企画を進めていたようで、柴田氏のトークショーでも質問を受ける形式で進め、いつも適切な質問が出てくる、いい場として機能していたと思う、といった、出演側の感想はおもしろいです。倒産直後の支援署名集めの経緯等も、載っています。

青山ブックセンターの全盛期は過ぎていたという内部認識も一応出てくるし、ここや他のページで追いかけていた方は、一応目を通しておいてみては?
ただ、デザインや建築系に携わっていた人々はまた違った印象を持っているとも思うし、ちょくちょくWebなどで生の声を追っていた方々にはあまり新鮮でないかもしれないんだけどね。

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2004.09.18

渡部さとる写真展 「PORTRAIT−PORTRAITS」1カット15分の出会い

Studio KenKen本館の「おもしろそうな催し」でも紹介している、渡部さとる氏の写真展へ。

1990年代から昨年10月までに撮影された、ポートレイトの数々。すべて国内外第一線で活躍されている方々のもの。
入ってすぐに目を引く美輪明宏の写真。そこにいて、こちらを見通すほどの眼差し。生のプリントは、色と情報量が圧倒的。写真も絵も、可能ならば生で見るに限ると思う瞬間。藤村俊二の穏やかな、品のある光の加減もすてき。
藤沢周の写真も目を引いた。鎌倉の寺の、ちょっと湿った匂いを思い出させるプリント。そこには、淡い光の中に凛とした輪郭の顔がある。最近の写真と、顔つきが違う。渡部氏の解説に、昇り調子の人が持つ独特のオーラが出ていた、この後で芥川賞受賞、とある。

緊張感漂うもの、佇まいの雰囲気を味わうもの、ちょっとした狂気が魅力のもの。数々の写真の最後に、ジェームズ・ラブロック夫妻がある。見ているだけで、幸せな気持ちになれる。夫妻の穏やかな笑顔は、なかなか理解されなかったガイア理論提唱者を支え合ってきた、山あり谷ありの生活の果てのもの。
包み込むような暖かい光のこの写真は、海外のヴィジュアル誌に載っていても全然違和感がないんじゃないかな。
会場にいる氏にうかがうと、やはり大好きな1枚、快心の1枚だそうだ。

とてもいい気分で外に出ると、海の香り。銀座は海風がすぐに吹き寄せてくるんだなぁ。

ポートレイトがこれだけ並ぶもの圧巻なら、それぞれの解説も読み応えあり。2000年あたりを境に、写真のテイストががらりと変わるのも、楽しいです。
21日まで、入場無料。銀座コダックフォトサロン。

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青山ブックセンター再開間近

あ”〜〜。肩凝りがひでぇ。
ところで、iMac G5、背中を撫でるとけっこうあったかいのね。あと、思ったより厚いわ。その割にはすっきりしてたのが不思議。
いや、それはさておき。

青山ブックセンター、9月29日、六本木店と青山本店が再開。ということで、いつの間にかURL(http://www.aoyamabc.co.jp/)が復活してます。

オープニングイベントもあるそうです。シブヤ経済新聞と、plus87に掲載されてました。

青山ブックセンター本店、営業再開で記念イベント(シブヤ経済新聞)
青山ブックセンター、青山本店&六本木店9月29日OPEN関連(plus87、9/15)

URLの本格的復活は、9/22以降とシブヤ経済新聞にありますね。

アラーキーのトークでオープニングかー。しっかし、9/29はまず行けないですな。むーん。
その次は、大竹伸朗、10/4。これも無理だー。
行けた方は、とても楽しめるイベントじゃなかろーか。

行けないこと確定でなんか悔しいけど、一応貼っときます。

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2004.09.15

文芸誌7月号〜9月号あたりから

最近忙しくて触れてなかったけど、しかも未読もちらほらあるんだけど、村上春樹「アフターダーク」も手元にあるんだけど、とにかく印象に残ったものをメモしておきます。(以下、敬称略)

まず少し新しめの9月号(8月発売)から。舞城王太郎「みんな元気。」(新潮9月号)。[注意:タイトルに句点が含まれている。モーニング娘。じゃないんだからって? そういうことは作者にいってくれ。]
告白します。読み出して、ずずい〜〜っと読めた、初めての舞城作品。これまでは途中でどうにも読めなくなって、しばらくしてから再開、やっと読了することが多かった。私が慣れたのかどうか。
今回の作品に見える、時間のジャンプと、突然説明もなく出てくる登場人物による語りは、お姉ちゃんが寝ると宙に浮いちゃうということと、宙に浮く人々が出てくることと、主人公の生きの良さが相まって、とんでもなくマッチしてる。宮崎アニメをイメージの媒介に借りているところも、節を改めるための空白行がまったく登場せず延々と綴られていく饒舌な子供口調の文章もヒット。小学生がカレシカノジョの話をする今の子の状況を踏まえるのもグッド。(あ、空白行は1箇所、まさにクライマックスに突入する瞬間に出てくるよ、その効果も大。)
それだけに、最後の最後の舞城節、うーむ…これでいいのか?という気持ちになったのだ。若い女の子が、人生で選び取る行為を繰り返す際に感じる残酷さを、ここまで描いたなら、もっと大きく終われなかったかなぁ…最後までテンションがきいてただけに、なんだか尻すぼみの感じが強いんだけど、逆に若い子の話ならこれでいいのかもしれないという気持ちもしてくる。
設定は奇天烈、文章は饒舌、だけど話はまっとう。不思議に古典的。
え、なに? あらすじ? そんなもん、読んじゃえばわかります。

さて、次。福永信「五郎の読み聞かせの会」が群像9月号。前作「コップとコッペパンとパン」同様の短編、もちろんまったく別の話。
前作が時間のフレームが滑って登場人物の関わりが変化しつつ、ドキドキするシーンが連続していた怪作(特に銭湯のシーンはすごくドキドキ)。今度は誰がどう発話して行動してきたのかが判然としない、記憶と行動に関する怪作。切れ味は前作のほうがあると思うけど、いやいや、これも読み応えあります。現代美術に見られる視点と空間を小説に持ち込むだけではつまんないんだけど、作者はそういうことをしないのが美点。
ユリイカでZ賞文学賞なるものを受賞されたそうだが、そして私は当該記事を読んでもいないが、とにかく小説を客体的な物質のようなモノにすることに挑戦し続けるすばらしい資質だと思う。がんばってほしいです。(つまり、この作品は筋書きを説明してもわからん、のだが、おもしろい。)

そういう意味では、中原昌也「私の『パソコンタイムズ』顛末記」(文學界7月号)も、一般的な小説のイメージとはかけ離れてる。この作者の三島賞受賞作をある人に勧めたら「こんな気持ち悪いもん、読ませやがって」と文句を言われたくらいだしな。脆弱すぎるぜ。
ただ、個人的には福永作品のほうが肌にあう。

その文學界7月号は、筒井康隆、山田詠美、玄月、大道環貴ら短編名手の特集だったりする。山田詠美「風味絶佳」など、うますぎて舌をまく。でも、最近心に残るのは、上記のような作品だったりする。

じゃぁそんなもんしか読まないのかといえば、絲山秋子、佐川光晴なども読んでいる。
だけど、川端賞受賞作「袋小路の男」の続編である絲山秋子「小田切孝の言い分」は、正直に言うとちょっと肩すかしをくらった感じもしている。前作の持つ静謐な独り語りの切なさを、今度は小説空間に定着させたが…言わずもがな、の数々。それを小説にすると…うーん、結局小田切は尻尾を出しているじゃぁないか。「勤労感謝の日」などをサラリと書く、これほどの技量の作者にして、こう。難しいもんだなぁ。
しかし、先走っちゃえば今月発売の群像10月号、「アーリオ オーリオ」。高校受験を迎える姪と、40過ぎのやもめ男の、メールならぬ手紙の交流。難しい年頃にして、フツーから溢れてしまう二人の話。これは面白かった。誰かが書いていそうで、なかなか書いていない。

あとですね、星野智幸「アルカロイド・ラヴァーズ」(新潮7月号)と、宮沢章夫「秋人の不在」(文學界8月号)は触れるべきところか。だけど、ここでは「秋人の不在」を。
なんというか、200枚以上の、ある地方都市で起きた連続殺人を描いた作品なんだけど(おい、身も蓋もない言い方だな>自分)、おそらく長い作品の序章なのだと思う、いや、そう思いたくなる。だって、読むと「これで終わり?」
しかし、とにかく、気になる。なんでか。都会ではない場に赴いて、静かな暮らしの中にいる人に話をうかがっている時、時々ぎょっとするような人間関係を耳にすることがある。都会でも確かにいろいろあるけれど、日本が経済や人間が流動化し出した1990年代を経て、21世紀に入って何が進行しているかが、耳にする事件や、「秋人の不在」で描かれるような出来事に見えてくるように感じるから。

さてリービ英雄「千々にくだけり」(群像9月号)をいつ読もうか、やることもいっぱいあるし、などと思いつつ、今日はこれまで。

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三寒四温じゃなくて

15日(水)、関東は晴れて爽やか。昨夜から温度が下がっていたし、天気予報も温度が下がって秋らしい一日になると言っていたから、気持ちの準備はしていた。けれど、朝の風の冷たさは予想以上だったな。
昼間に外へ出ると、まっすぐに陽光が肌までおりてくる。湿度が低い分、光が透明。あっちーと思うんだが、日陰に入るや「涼しい!」
風があっという間に熱をほぐす。そよそよではなく、ピューッと吹いてくる、気温差が激しいのだ。じっとしてると寒いくらい。

ここ数日、涼しかったり暑かったりを繰り返していたが、14日の残暑はきつかった。その翌日、いきなり26度程度。三寒四温じゃなくて、一寒一温である。

涼しくなった証拠には、猫がヘタれずに、座って通行人の様子をうかがっている。猫だまりで今年生まれの若い子が一匹、我が家ではチビ子と呼んでいる(そのまんま)。相変わらずチビなんだが、最近は一人(?)で佇んでいることが多い。
徐々にパーソナルなテリトリーがはっきりしてきたらしい。夏前に大人っぽくなってきたなぁなんて思ってたけど、ほんとうに単独行動をとるようになってきた。でも、なんとなく泣きそうな情けない顔をしてる時がある。餌をあげている人がいるので、半野良、半飼い猫。いいのかわるいのか、微妙な心境。猫は猫らしく、妙になつかずにがんばってほしい。姿を見るだけでうれしいもんだし。

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2004.09.13

EWIはフュージョン向けの楽器?違うと思うんだけどね

昨日の記事の補足というか、続きというか。

EWIはジャズ・フュージョン系のミュージシャンが活用することが多く、それ以外の分野の人が仕事に使う例をあまり聞かない。スタジオでは、ポップ系でもシンセの音を管楽器っぽく表情つけようとほんのたまに使うことがあるらしい。でも、目立つ使用例は少ない。Tom Scottや伊藤たけしのLyriconのイメージが強いからか、またMichael Breckerという強力な人が演奏しているからか。
まぁでも、内蔵のアナログ・シンセサイザーを鳴らす、またはMIDIシンセサイザーを駆動する、あるいはその両方をミキサーで混ぜる、といった使い方からすれば、どうしてもフュージョンかポップくらいになりやすいのかな。

確かにジャズ・フュージョン畑の人が使い出したんだけど、別のその分野のための楽器というわけじゃないはずなんだよな。

EWI以前の管楽器型シンセは、Lyriconというもの。これは商標名であって、Lyriconという楽器の分野があるわけじゃない。クラリネットとソプラノ・サックスを混ぜたような独特の管体で、最初は内蔵音源を鳴らしていたそうだ。私が吹いたことがあるのは内蔵音源がなく、MOOGやOberheimのアナログ・シンセサイザーを鳴らすタイプ(Lyricon Driverという)。
音源内蔵の初期のLyriconを活用していたミュージシャンに、Chuck Greenbergという管楽器奏者がいる。ウィンダム・ヒル・レーベルに録音が多数。ギター奏者William Ackermanのアルバムへの参加、及び自身のグループであるShadowfaxでのアルバムなど。分類からすれば一応ニュー・エイジ系の走りということになるようだが、いわゆるニュー・エイジ系とは違うように感じる。民族音楽やアコースティックな響きと、エレクトリックやジャズ・フュージョンとの融合とでもいうか、いわゆる癒しを目指した音楽とは異なる。
聞いてみるとわかるけど、笛やオーボエのような音色を使いつつ、アイリッシュ・フルートなどでは素直に出来ないパッセージを吹いている。Tom Scott他の、ジャズっぽさをどこかに残した音楽とはまったく違う分野で使われてきた。
William Ackermanのアルバム "Confering with the moon"、及びShadowfaxのアルバム "Shadowfax"は、一度耳にしてみていいです…こういう音楽が退屈な人もいるだろうけど、元祖はやっぱりどこか違うもんです。
(Chuck Greenbergは1995年に亡くなったという。)

EWIが出た頃の1988年、日本サキソフォーン協会でウィンド・シンセと弦楽器のための協奏曲を演奏したという記録がある(こちら)。残念ながら、私は聴いたことがない。フレデリック・ヘムケといえば、アメリカのクラシック・サックス界の大御所だ。こういうところはアメリカらしいかもしれない。
そっち系といえば、マイケル・ナイマン・バンドのサックス奏者、サイモン・ハラームはEWIを吹くという話を聞いたことがある。マイケル・ナイマンの響きを思うと、さもありなんという気がする。

でも多分、こんなところのようだ、いろいろな試みは。
EWI、あるいはLyriconやWXといった楽器は、内蔵音源で音を作るから、その楽器でないと出来ない表現というのを、見出しにくく感じるのだろうか。でも、電子管楽器らしい表現って、やっぱりある。アナログ・シンセの音に、息の強弱をのせていて、息に対する音の変化が独特。
しかし、音色の変化と音量の変化の幅が、もっと広いといい、ということは、吹いていても聴いていても思う。そういう意味では、まだあれこれと改良の余地もあり、面白い発見があるのかもしれない、電子管楽器は。

***

オンド・マルトゥノという楽器がある。フランスで20世紀前半に発明された、シンセ以前の電子楽器。日本では原田節氏(節でタカシと読む)が第一人者。メシアンのトゥランガリラ交響曲では極めて重要なパート。オーケストラの大音量を飛び越えて、天の声のように響くのだ! 地上から放たれる光、歌。聴くと鳥肌が立ちますよ。
この楽器の場合、多彩な音を持っているけど、基本的に聴けばすぐ「あ、オンド・マルトゥノだ」とわかる。そういう決定的なナニかがあって、生きてるみんなに響き合う音として、作曲家に「書きたい」と思わせるところまでいかないと、楽器としてのジャンル確立は難しいのだろうか。
その意味では、覚えやすいメロディを、声とはまったく違う音で響かせる、というスタイルを確立したスクェアはえらいのかもしれない。

それにしても、私はヘンな楽器が好きなのかも。リコーダー、バロック・オーボエ、コルネット、アコーディオン、笙、オンド・マルトゥノ、テルミン、EWI…
リード系の楽器が多い! しかも、メジャーじゃないもんばっか。

それはともかく、EWIなどの電子管楽器は、決してフュージョンだけのための楽器じゃない、ましてや歌的旋律を奏でるだけの楽器じゃない、ということで。

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2004.09.11

Mt.Fuji Jazz Festival '04での新型EWI

マウント・フジ・ジャズ・フェスティバル '04で、マイケル・ブレッカーが久々にEWIをメインに吹いたという情報を発見!
jazz-fusion.comライブレポートに詳細が出ている。これ、行きたいけど日があわずに断念したんだけど、がんばって行けばよかったなー、最近マイケルはサックス中心の日々だったし。

EWIって、何かって?
いや、失礼。ごもっともな質問かと。
Electronic Woodwind Instrument Electric Wind Instrumentの略。イーウィと発音する、管楽器型シンセサイザー。この手の楽器、みんな「リリコン」と呼ばれるけど、Lyriconは1980年代のアナログ・シンセ型電子管楽器で、EWIとはまったく別のもの。
EWIの原型は、ナイル・スタイナーが開発したスタイナー・ホーン。元々は金管楽器型だったが、その木管型をサックス吹きのマイケル・ブレッカーが気に入るようになった。ニューヨークの腕利きミュージシャンが集まったバンド、STEPS AHEADで吹いて、一躍有名に。このバンド、ヴィブラホーン&MIDIヴィブラホーンのマイク・マイニエリに、テナー・サックス&スタイナー・ホーンのマイケル・ブレッカーという二人のソロがいる。ギターはマイルス・バンドで弾いていたマイク・スターン、それにベースのダリル・ジョーンズ、ドラムのスティーヴ・スミスという5人編成。1986年の東京ライヴは、電子楽器で武装したミュージシャン達の驚くべき名演として有名。
そのスタイナー・ホーンを、アカイ電機が製品化。EWIという名は、YAMAHAのWXと並んで、電子管楽器の標準に育った。日本ではスクェアのソリスト(伊藤たけし、本田雅人、宮崎隆睦)が吹くことでも有名。
アカイは経営譲渡が何度か行われ、電子楽器部門は現在アカイ・プロフェッショナル・エムアイという会社になっている。そこで今でもしっかり、EWIの看板を守っている。ちなみに、EWIの製品情報にて、どんな楽器かがわかる。
ここの本館であるStudio KenKenに音楽ページがあって、その中のWindSynthesizerでも、取り上げてます。

ただ、EWIは楽器としてかなり洗練されてきた側面、最近は大きな動きがなかったことも確か。(テレビ朝日系金曜深夜のタモリ倶楽部で、スクェアの「Truth」を吹こうとタモリらが挑戦した、というのはあったけど。)
アカイのEWIと、上記ライブレポートを見比べれば、楽器の違いは一目瞭然。もはや、木管楽器らしい形を放棄してるみたいだな、この形は。新型として出るらしい。
しかも、音源をPowerBookにソフトウェア・シンセサイザーを入れて、MINI MOOGなどを再現した音でやってるとか。
うーん、聴いてみたかった! 最近のマイケル・ブレッカーは、表現の柄が一回り大きくなった感じがするからなぁ。ライヴ盤にならんもんだろうか。

[追記] EWIの正式名称について、勘違いがあったので直しました。すみません。
もう一言添えておくと、最初に発売された管楽器型コントローラーは、木管タイプと金管タイプがあったんです。ナイル・スタイナーは金管楽器奏者で、自身はそちらを吹いていますした(最初の教則ビデオがそうだった)。アカイが製品化する際に、金管型をEVI、木管型をEWIという名称で販売しました。金管型は売れ行きがよくなかったらしく、結局木管型のEWIが残ったようだ、という経緯もありました。参考になれば。

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2004.09.09

水上勉氏、逝去

作家の水上勉氏が逝去された。昨日、外出先で知った。帰宅して、新聞でも確認する。享年85歳。

アサヒ・コムの記事(9/8)

YOMIURI ONLINEの記事(9/9)

どちらも「飢餓海峡」や「五番街夕霧楼」に触れているけど、「一休」などに触れているのは朝日のほうなのね。私は氏の小説がもっともよく売れていた頃は触れておらず(まだ幼かった)、「一休」が発刊されてだいぶ経ってから入った。大学生の頃、哲学や宗教や心理学や認知科学などの本に埋もれている中で読んだ。理屈を超えた生身の人間の濃さを一休に見出した直後に、見つけた。水面に浮上して呼吸をしたような気分になった。水上勉氏と柳田聖山氏の一休が、私にとっての双璧。
それに、もうひとつ。京都を散歩するのが好きな私にとって、鍵善良房の喫茶部でくずきりを注文したあと、そこにある水上勉氏のくずきりについての文を読むのも好きだった。何度触れても飽きない。今のきれいな建物になる前、真夏に2階へあがって麦茶とお干菓子でほっと一息ついた時、ふと目に入った。それ以来、何度読んだことだろう。

晩年の「電脳ぐらし」も含め、ご尊敬申し上げておりました。素敵な方が亡くなられるのは寂しいけれど、どうか安らかに。合掌。

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2004.09.07

文學界に青山BCについての鼎談

文學界10月号(9月7日発売)に「青山ブックセンター騒動を考える」と題した鼎談あり。柴田元幸氏、永江朗氏、柳瀬徹氏。
一応メモっときます。ご興味のある方、どうぞ。
(私ですか? 買ってきたばかりで、未読。しかも数日は積ん読が確定状況。)

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めまぐるしい天と地

4日、土曜日。所用で外出。一応折り畳み傘は持つ。早めに切り上げた午後6時半過ぎ、大雨に気づく。繁華街から地下鉄まで、どうにか辿り着いた。電車を乗り継いで自宅の最寄り駅で降りると、まだ大雨。時間をつぶす余裕もない。覚悟して飛び出す。家に着けば、川にでもつかってきたようなびしょぬれ。その処置でかえって時間を食う。靴もろくに乾かない。

5日、日曜日。深夜0時前、嫌な地響きとともに、ゆ〜らゆ〜らと気持ち悪い揺れがやってくる。驚いていると、同居人が「今日、地震多いね」「え?」
そう、午後7時頃の地震に気づいてなかったのである。「気づかなかったの?」「うん…たぶん、移動中だ、電車も止まんなかったよ」。
それにしても、長い揺れ。思わずしばらく地震情報を見る。はたと気づく。忙しいんだってばよ。

6日、月曜日。また台風という。台風、地震ときて、また台風か…
おとなしく仕事をする。

7日、火曜日。朝、晴れているけど、風は強い。と、また地震。前と同じように、遠い震源からの横揺れ。やはり5日と同じ東南海沖が震源という。5日の余震という位置づけだそうな。
台風で九州から山陽、関西はえらいことになってるそうだ。東京はお昼前、急に曇った途端、めちゃくちゃな横殴りの雨。すぐに止む。続いてめちゃくちゃ蒸し暑くなる。風は強いが、重くて湿っている。風神様がのしかかって、わーっと息でもはいているみたい(我ながらイヤな形容だな)。
広島で瞬間最大風速60.2mを記録とのこと。東京もすごい強風。夜、また短時間、横殴りの雨。

心静かに、やるべきことをやりませう、と自分に言い聞かせる。

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2004.09.02

種村季弘氏、逝去

ニュースソースはこちら(アサヒ・コム、9/2)。

ものすごく格別なファンだったわけではないのだが、その独自の目線に触れるたびに敬意を払ってきた。あぁ…
合掌。

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青山BC六本木再建前の洋書フェアに行けそうもない

以前の記事「青山ブックセンター、再開のしらせ」で触れなかったこと。
六本木店で、再開PRのために洋書フェアをやってる。8/30〜9/11のAM11〜PM9。

青山ブックセンター、六本木店で営業再開PRフェア(アサヒ・コム、8/30)

青山ブックセンター営業再開へ、支援署名1000人超す(アサヒ・コム、9/1)

予定が詰まってる真っ最中で、行けねぇ…まだ青山店のほうが行ける確率が高いんだが。
行ってきた人の話によれば、現金のみで、クレジットカードはまだアクセプトしないとのこと。まだ開店前だからね。カードで大人買いしようと思ってる方は、現金おろしてから行きましょう。この売上が開店準備金の一部ということでしょうね。
行ったら、お祝儀代わりに何か買って帰るのがよしとは思うけどね。今回は無理そう。
「再開、よかったですね、和書が入ったらまた来ます」と声かけていく人もいるとか。(なんか買っていけばいいのにと思うけど、それこそ余計なお世話だな。)

その一方で、こんなニュースも。

ヴィレッジヴァンガード、六本木ヒルズ店を閉店(日経、9/1)

それにしても動きの激しい街だ。

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iMac G5、ようやく

8月29日、Apple Store, Shinsaibashiのオープンには2,500名が並んだそうだ。

ま、それはそれとして。
iMac G5、ようやく発表(プレスリリースはこちら)。
ちなみに、こちらのフォト・レポート(PCWatch、9/1)も便利です。

7/1「WWDCと新製品」で触れたように、2ヶ月もiMacの製品ラインに穴があいた状態になっていたから、やっと埋まったというところ。

まだ現物を見ていないけど、フォト・レポートやApple Computerの写真等を見る限り、eMac真正面像と似ている気がする…
私は前の、iMac G4 (Flat Panel)のデザインはよかったと思うんだ。大地に身体をしっかりのせて、そこからディスプレイが伸びている。新しいカタチだと思ったけど、そういうと、周囲のマックユーザーのほとんどに「え? あれがいいの?!」と驚かれる始末。
今回はどうだろうね。これ以上削ぎ落とすのが難しいくらいシンプルに見えること、机を広く使えることから、評判はよいかもね。無難な性能の、適当な値段の製品がほしい人にぴったりだし。

こういう、フラットな形にコンピュータを納める発想は、特に新しいわけじゃない。IBMなどが既に試みている。
今回のiMac G5は、そういった過去の製品達よりもさらにシンプル。机を広く取って、ゆっくりDVDを観ることもできるし、その気になれば壁にかけられる。
ただ、PowerMac G5でやったような、徹底的に細部にこだわる造形になってないように見えて、それが不満。現物を見てからじゃないとわかんないけどね。

それでも、次に買い替えるとすれば、これかもしれない。いや、手元のMacはまだまだ元気だから、そう簡単には買い替えないけどさ。
ここまでシンプルなら逆にまぁいいかと思えるんだ。退屈という人もいるだろうけど、あえていうなら、そういう製品になったほうが道具としてはまっとうなんだよ、コンシューマーマシンというのは。iBookやiPodが売れていることを思えば、この形しかなかったのかもしれない。
(メモリ・スロットが少ないんで、2GBにするとえらく高くなるのが難点だけどな。)

んで。ここまで削ぎ落としちまったあと、どんなマシンがあるのだろう。
わたしゃむしろ、すごく小さな筐体に納めた、ディスプレイ分離型のデスクトップマシンを見たいんだが。教育市場だって、そういうほうがいいと思うんだが。
なぜそこまで一体型にこだわるのか?>ヂョブズさん

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びっくりしたなぁ

昼間、いきなり揺れたのでびっくりした!
9月1日、正午前って、出来過ぎだヨ!
思わず火を止めたけど、大きくなりそうにはない…まぁよかった…と思ってると、なかなか止まらない。震源、近いのかな…

調べてみたら、福島県沖で発生して東北から関東が広く揺れたようだ。(アサヒ・コムより、9/1)。東京は震度2程度、最大でも震度3とのこと。
なにしろ防災の日、すなわち関東大震災が起きた日、しかもお昼時だしね、おどろくよ、そりゃ。

で、浅間山が噴火だそうだ(同様にアサヒ・コムより、9/1)。おまけに、鹿児島でも揺れたそうだ(これもアサヒ・コムより、9/1)。
台風の当たり年、水害も多かったし、せめて地面はお静かに願いたいです、ほんと。

* * *

1週間ぐらいあけると、すごく久しぶりな気分。

台風が去った翌日。ようやく風がおさまってきた日暮れ時、猫の声が聞こえる。おやと思うが、姿が見えない。ゆるゆる歩いていると、左後方、頭の上から一声。
ふりむくと、アパートの階段を上がった突端。まるまる太った毛皮が見える。む、あの後ろ姿は、ふてぶてしくて、あんまりかわいくないヤツか?
そんな周りの思惑など気にせず、もそもそ動いては「にゃー」。
よそのうちだし、階段をのぼったりはしないけど、餌を食ってる様子じゃない。風が通るたびに声をあげていて、気持ちよさそう。

猫って、意思をもって鳴くこともあるけど(撫でてほしい時とか)、多くは思わず声が出ちゃうんだという話を聞いたことがある。これなんか、確かにそうかもね。
あぁ、それにしても、この声から想像するに、前夜の台風がたいへんだったんだろうね。よかったね。

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