文芸誌7月号〜9月号あたりから
最近忙しくて触れてなかったけど、しかも未読もちらほらあるんだけど、村上春樹「アフターダーク」も手元にあるんだけど、とにかく印象に残ったものをメモしておきます。(以下、敬称略)
まず少し新しめの9月号(8月発売)から。舞城王太郎「みんな元気。」(新潮9月号)。[注意:タイトルに句点が含まれている。モーニング娘。じゃないんだからって? そういうことは作者にいってくれ。]
告白します。読み出して、ずずい〜〜っと読めた、初めての舞城作品。これまでは途中でどうにも読めなくなって、しばらくしてから再開、やっと読了することが多かった。私が慣れたのかどうか。
今回の作品に見える、時間のジャンプと、突然説明もなく出てくる登場人物による語りは、お姉ちゃんが寝ると宙に浮いちゃうということと、宙に浮く人々が出てくることと、主人公の生きの良さが相まって、とんでもなくマッチしてる。宮崎アニメをイメージの媒介に借りているところも、節を改めるための空白行がまったく登場せず延々と綴られていく饒舌な子供口調の文章もヒット。小学生がカレシカノジョの話をする今の子の状況を踏まえるのもグッド。(あ、空白行は1箇所、まさにクライマックスに突入する瞬間に出てくるよ、その効果も大。)
それだけに、最後の最後の舞城節、うーむ…これでいいのか?という気持ちになったのだ。若い女の子が、人生で選び取る行為を繰り返す際に感じる残酷さを、ここまで描いたなら、もっと大きく終われなかったかなぁ…最後までテンションがきいてただけに、なんだか尻すぼみの感じが強いんだけど、逆に若い子の話ならこれでいいのかもしれないという気持ちもしてくる。
設定は奇天烈、文章は饒舌、だけど話はまっとう。不思議に古典的。
え、なに? あらすじ? そんなもん、読んじゃえばわかります。
さて、次。福永信「五郎の読み聞かせの会」が群像9月号。前作「コップとコッペパンとパン」同様の短編、もちろんまったく別の話。
前作が時間のフレームが滑って登場人物の関わりが変化しつつ、ドキドキするシーンが連続していた怪作(特に銭湯のシーンはすごくドキドキ)。今度は誰がどう発話して行動してきたのかが判然としない、記憶と行動に関する怪作。切れ味は前作のほうがあると思うけど、いやいや、これも読み応えあります。現代美術に見られる視点と空間を小説に持ち込むだけではつまんないんだけど、作者はそういうことをしないのが美点。
ユリイカでZ賞文学賞なるものを受賞されたそうだが、そして私は当該記事を読んでもいないが、とにかく小説を客体的な物質のようなモノにすることに挑戦し続けるすばらしい資質だと思う。がんばってほしいです。(つまり、この作品は筋書きを説明してもわからん、のだが、おもしろい。)
そういう意味では、中原昌也「私の『パソコンタイムズ』顛末記」(文學界7月号)も、一般的な小説のイメージとはかけ離れてる。この作者の三島賞受賞作をある人に勧めたら「こんな気持ち悪いもん、読ませやがって」と文句を言われたくらいだしな。脆弱すぎるぜ。
ただ、個人的には福永作品のほうが肌にあう。
その文學界7月号は、筒井康隆、山田詠美、玄月、大道環貴ら短編名手の特集だったりする。山田詠美「風味絶佳」など、うますぎて舌をまく。でも、最近心に残るのは、上記のような作品だったりする。
じゃぁそんなもんしか読まないのかといえば、絲山秋子、佐川光晴なども読んでいる。
だけど、川端賞受賞作「袋小路の男」の続編である絲山秋子「小田切孝の言い分」は、正直に言うとちょっと肩すかしをくらった感じもしている。前作の持つ静謐な独り語りの切なさを、今度は小説空間に定着させたが…言わずもがな、の数々。それを小説にすると…うーん、結局小田切は尻尾を出しているじゃぁないか。「勤労感謝の日」などをサラリと書く、これほどの技量の作者にして、こう。難しいもんだなぁ。
しかし、先走っちゃえば今月発売の群像10月号、「アーリオ オーリオ」。高校受験を迎える姪と、40過ぎのやもめ男の、メールならぬ手紙の交流。難しい年頃にして、フツーから溢れてしまう二人の話。これは面白かった。誰かが書いていそうで、なかなか書いていない。
あとですね、星野智幸「アルカロイド・ラヴァーズ」(新潮7月号)と、宮沢章夫「秋人の不在」(文學界8月号)は触れるべきところか。だけど、ここでは「秋人の不在」を。
なんというか、200枚以上の、ある地方都市で起きた連続殺人を描いた作品なんだけど(おい、身も蓋もない言い方だな>自分)、おそらく長い作品の序章なのだと思う、いや、そう思いたくなる。だって、読むと「これで終わり?」
しかし、とにかく、気になる。なんでか。都会ではない場に赴いて、静かな暮らしの中にいる人に話をうかがっている時、時々ぎょっとするような人間関係を耳にすることがある。都会でも確かにいろいろあるけれど、日本が経済や人間が流動化し出した1990年代を経て、21世紀に入って何が進行しているかが、耳にする事件や、「秋人の不在」で描かれるような出来事に見えてくるように感じるから。
さてリービ英雄「千々にくだけり」(群像9月号)をいつ読もうか、やることもいっぱいあるし、などと思いつつ、今日はこれまで。
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コメント
管理人のkenkenです。追記。
そうそう、舞城作品で、触れるのを忘れてた。イタリア映画「みんな元気」を下敷きにもしてる。というか、これに触れなきゃだめじゃん>オレ。
投稿: kenken | 2004.09.16 01:51