「ららら科學の子」と読み時
矢作俊彦「ららら科學の子」。
文學界の連載を時々目に触れていたが(そして、時々休載していたが)、ある月に「残りは書き下ろして単行本化」と出ていたので、びっくりした。
単行本は2003年刊行。その後、なんとなく放ったままになってしまった。2004年、三島賞を受賞(新潮社の文学賞ページに情報あり)。
今年(2005年)の正月明けに読んだ。
こんな終わり方になってたのか。それより、連載時と比べるとかなり改稿してるように思うな。文芸誌、奥にしまっちゃっててすぐに出てこないんだな…
なんてことはどうでもよくて。
こりゃ、すげぇ。
まとめて読むと、面白さが倍増する。
(あらすじはあっちこっちに書いてあるし、書評もいっぱいあるので、紹介しない。)
男が出てきて、昔の友人に電話すると、なんだか怪しげな仕事をしているようで、鐘 金には不自由ない状態になって、女子高生(若い女性)と知り合って…とストーリーを無視して登場人物だけを継いでいくと、ハードボイルドのパターンになりかねないようなつくり。
主人公は30年前の中国(レッドチャイナ)に行き、そのまま奥地にやられて暮らしていて、蛇頭に金を払って戻ってきた。そして、30年前の記憶をもって、今の日本を見る。浦島太郎設定を活かすために、あえてパターンを踏襲している。
浮かび上がって来るのは、バブル経済と崩壊を経て、清潔だが虚ろな東京という街。主人公は自分に馴染みにあった渋谷や駒場のあたりから今の東京を踏みしめる。蛇頭とのゴタゴタを経て、最後にまったく新しい場である、お台場へ向かう。
そして、生き別れた妹の講演を聴けず、電話だけかけてから、ゆりかもめに乗る第43節。もちろんここで鉄腕アトムを目にして、タイトルとつながるわけだが。
私が感動したのは、アトムに出てきた風景をなぞっているから、この風景が目新しく感じないのだ、といったことではない。その少し先、アトムのテレビ版最終回についての不満を吐露した、428ページの最後…
空を越え、星の彼方へ飛んで行けるジェットエンジンは、そのとき、たった一人の人間のために法を犯し、海を越えた。
彼は目をつぶった。
電車は空高く舞い上がり、真っ白い吊り橋を伝い、数十万の町明かり、数百万の窓明かりが瞬く夜の中へ駆け下っていった。星はなく、雲がぼんやり浮かんで見えた。東京タワーが、赤々と燃え立つ蠟燭のように光ってそれを貫いていた。
次の独り言へとつながる描写。
これほど的確な、この街の描写はなかったんじゃないかというくらい。
それに、知り合った女子高生とセックスしないのも、とてもいい。
ハードボイルドの主人公って、ストイックだしね。
いや、すごくいい小説だったんだけど、やっぱり出てすぐに読むべきだった。
なにしろ、この小説の重要な装置である東急文化会館が、いまは跡形もなくなっているのだから。(昨年12月にここでも触れた。)
プラネタリウムが限定復活上映をした時、インターネット中継までされたことはよく覚えている。そして、そのことも小説に織り込まれている。
そうだ、そのことを知らぬわけでもなかったのに…なんですぐに読もうと思わなかったのかな>自分
やっぱり、読み時ってある。あー、もったいないことした。
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