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2005.03.25

新潮3月号、文學界4月号

先日の記事の続き。

***

先月発売の新潮3月号に掲載されていた、井伊直行「青猫家族輾転録」、読了。移動がある時に電車でちまちま読んでいたんで、時間がかかった(原稿用紙で370枚と、ちょっと長めということもあったけど)。
不思議なおもしろさ。中年の、今は小さな会社を経営している「僕」にふりかかった、友人・荻田の癌、かつて好きだった(そして今でも好きな)友人の妻・桃ちゃんとのやりとり。高校生の娘の変化。そして折に触れ思い出す、おじさんの不思議な経験談。
20代の人間にはまず垣間見えない、そして1990年代への問いがなければ生まれない話。いろんな出来事を通過せざるを得ない年代の人にしか経験できない苦さが、若くして交通事故でなくなったおじさんと対比させながら、苦みの中に含まれる甘さや辛さやしょっぱさも含めて提示される。つまり、地味だけど味わい豊富。
おそらく遠くないうちに単行本になるでしょう。読むべし。

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文學界4月号には「村上春樹ロング・インタビュー」が掲載されている。
もちろん話題の中心は「アフターダーク」
あれを読んだ人は、目を通してみては?

私がちょっと「おや?」と思ったこと。
「シンプルな文章と複雑な物語」という節(186〜189ページ)は、

できるだけシンプルな文章で、できるだけ複雑な物語を語りたい。

という言葉を裏打ちする話題が続いている。そのために、ブライアン・ウィルソン(ビーチボーイズですよ、念のため)が来日した際の、アルバム『スマイル』が順番通りに演奏される瞬間の話に触れる。『スマイル』を初めて耳にしてから40年近くかけて、やっと理解できてきた実感を吐露する。そして、ブライアンの音楽、そして彼自身に潜む空白と謎に言及し、自分はそういう物語を作りたいんだ、という意味のことを語る。
インタビュアー(文學界編集部)はそれについて、
−−クラシック音楽にたとえると、たとえばベートーヴェンの後期カルテットみたいなものでしょうか。

と尋ねる。村上春樹氏は、ベートーヴェン的な難解さというよりも「シューベルトの長大なピアノソナタに似ているかもしれないですね」という。確かに、あの巨大なソナタについて(もしくは最後の交響曲の「天国的な長さ」について)、なぜこんなものを書いたのか、という問いは、私自身長く感じていたことではある。
ただ、
ベートーヴェン、モーツァルト、バッハみたいなところはいちおう通りすぎたんじゃないかなという気が僕はするんです

と語ったことについては、妙な気持ちになった。

小説、とりわけロマンと呼べる大長篇は、19世紀の華。その精神が芽生えた瞬間に立ち会っていたのが、シューベルト、そして後続のシューマンの頃に全ヨーロッパの趨勢となった。それはワーグナーによって、音楽が(楽劇が)他の全ジャンルを巻き込みながら、巨大なうなりとなった。
意識の流れと感情表現がすべてという、19世紀ロマン。その最初期に、わけのわからないくらい巨大な表現物−−ベートーヴェンのように一切が音の論理に支配されているわけではなく、ただただ感興の羅列が巨大に発展した物−−を打ち出したシューベルトは天才すぎて忘れられ、後にシューマンに見出されたりしている。
そんな世界から離れる必要を感じた20世紀だからこそ、シューベルト以前の音楽を聴いていたんじゃなかったのかな。音楽を心理の化け物から解放すべく、古典派から遡って古楽まで、また現代音楽(という妙なジャンル!)も生まれた。ただし、科学の世紀に望まれた音は、ベートーヴェンの論理性だったのかもしれない。一方で、19世紀の音は相変わらず好まれていたけど、それは19世紀ヨーロッパ上流階級の心情が、全世界を塗りたくっていったから。

今、シューベルトのバカ長いピアノソナタなどが以前よりも聴かれている。それは、やっと20世紀精神から離れていく時、19世紀最後のマーラーの巨大さではなく、19世紀初期に示された最初の巨大な音世界が、あまりに新鮮だからだと、私は感じていた。決してみんなが「ベートーヴェンやバッハなどはもうわかったから」と感じてるのとは違うような。
…まぁ結果をみれば同じようなことなのか。
ただ、何かが違う。

大学の、ある文学の授業における1年間のテーマに「小説はなぜ新しい(Novel)のか?」という問いがあった。
教壇に座る作家の言葉を耳にしつつ、リルケの詩集などに目を通していた。けれど、あとで思った。あれこそ、根本的な問いだったのだ、と。
たぶん、インタビューの音楽談への違和感は、この根本的な問いに連なる何かに触れている気がする。
まぁそのことは、別の機会に。

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