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2005.05.05

甘い衝撃、またはFlauto Dolce

[コレルリのヴァイオリン・ソナタ 作品5]

まだCDがこの世になかった頃、新譜のLPレコードは1枚2,500円だった。

バブル経済がやってくる前。
文庫本は300〜500円程度。
喫茶店のコーヒーが350円前後、まだカフェは存在せず、部活のあとは一杯250円の喫茶店が貴重だった。(注:もちろん公式には学校の帰りに喫茶店に寄ってはいけないことになっていた。OBが保護者になるわけだ、こういう時は。)
高校生のバイトも今ほど一般的ではなかった。小遣いは月に5千〜1万円程度か。今の子がきけば「どうやって暮らしてたの?」と言い出しそうな金額だ。

そんな頃、1枚の盤に2,500円を差し出す。そうまでしても、聴きたかった。
バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューマン、ブラームス、ワーグナー、ブルックナー、マーラー、シベリウス、チャイコフスキー、ドヴォルザーク、ドビュッシー、ラヴェル、シェーンベルグ、ヴェルク、バルトーク、ショスタコーヴィッチ、etc.
他にもいくらでも聴きたいものがある。お金が足りない。多くの場合、FM放送を活用する(ポップス、ロック、ジャズなどはすべてFMから)。気に入った、どうしてもほしいものを中心にLPレコードを買う。

こんなラインナップの中に、リコーダー演奏が中心のLPレコードも含めることになるとは思ってもいなかった。
しかし、買わざるを得ない気持ちに追い込まれていた。

***

今はなき新宿のコタニで、全音から出版されている楽譜を買った。バッハの無伴奏チェロ組曲の第1〜3番を、リコーダーで演奏するために編曲した譜面。
編曲は、フランス・ブリュッヘン。
リコーダーの簡素な音色は好きだった。音楽の授業で取り上げるバロック時代以前の古い素朴な響きも好きだった。ただ、チェロ音楽の聖書と呼ばれる難曲を、ほんとにあんな単純な楽器で吹けるものかと不思議な気持ちになり、買ってみたのだった。
家で吹いてみて、絶句した。
「こりゃなかなか音楽にならない…プロはどうやってんだろう?」

石丸電気(当時最大のレコード屋)で、初めてバロック以前のコーナーをちゃんと見た。リコーダーのコーナーもあった。ハンス・マルチン・リンデのLPがたくさん出ていた。バッハの管弦楽曲組曲の演奏を聴いたことがある。他に、フランス・ブリュッヘンのレコードもたくさんあった。
なるほど、楽譜の前書きにある通り、自分で吹きたくて編曲したのか…
そう、1960年代には熱烈な支持者が多数いて、1970年代には天下に名が轟いていたリコーダー及びフルート・トラヴェルソ奏者だったフランス・ブリュッヘンを、私は知らなかった。
迷った挙げ句、リンデではなく、ブリュッヘンのLPを買うことにした。しかし、バッハの無伴奏チェロ組曲の盤は見当たらない。お小遣いは限られているから、慎重に曲を比べて、バロック音楽初心者でもよく知っているコレルリ、ヴィヴァルディ、テレマンなどの名が刻まれた「涙のパヴァーヌ」という盤に定めた。
特に、1曲目に収録されたコレルリのヴァイオリン・ソナタ、作品5-12<<ラ・フォリア>>のリコーダー編曲版が気になったのだ。バッハの編曲が聴けないのなら、こちらを聴いてみよう。オーケストラのヴァイオリン弾き達がレッスンで通過する曲でもあったし、それがどんなものか聴いてみたかった。
帰り道に思った。これが全然気に入らないようなら、きっとこの系列の音楽からはしばらく離れそうだな、と。

針を下ろした瞬間。
ため息の出るような甘い音が流れ出した。
学校教材の笛どころじゃないのはもちろんのこと、フルートでもこんな音は聞いたことがない。
どこか冷たいのに、なにか懐かしい音色。
ト短調のゆったりした3拍子に揺れている。それは乾いたチェンバロの音と、緩急自在のチェロに乗り、甘さを失わないままに、疾走する。走っては立ち止まり、うっとりと歌ったかと思うと、激しく跳躍する。そうして、10分近くの長い曲を、最後の一点に向かってなだれ込んでいく。
超絶技巧などといった言葉を安直に使うことさえ許さないような、ひたすら音楽的な、きわめて純度の高い演奏。
誇張でなく、ヴァイオリンの演奏が興ざめになるくらい、輝いていた。
魂を揺るがすようなあの衝撃は、いまだに忘れられない。

***

バロック時代の音楽は、ヴァイオリンの興隆ともおおいに関係している。そんなヴァイオリン音楽の発展期に、技術をひけらかすのでなく、格調高い作曲と演奏で全ヨーロッパから尊敬を受けたまま亡くなったコレルリ(Arcangelo Corelli、1653-1713)。
気に入らなかった作品を残さなかったため、楽譜の出版点数は非常に少なく、しかしそのいずれもが名曲。
コレルリの真骨頂はやはり、2つのヴァイオリンが美しい旋律を問いあうトリオ・ソナタ、そして弦楽合奏が有機体のように精妙に組み立てられた合奏協奏曲だろうか。技巧を誇らず、爽やかな旋律が走り抜けるコレルリの美点は、ソロよりもアンサンブルにこそある。この合奏協奏曲と同じ形式の曲を、バロック音楽最後の大物にして、大柄の旋律を生み出す名人だったヘンデルが集大成しているのも、偶然ではないはず。

ヴァイオリン・ソナタはまた別の美しさがある。12曲で1セットのソナタ集では、第3番ハ長調の落ち着いたたたずまいも、第7番ニ短調の簡素で堅実な構成も、第11番ホ長調の自由自在な軽さも、また他の曲もすばらしい。
しかし、最後におかれ、<<ラ・フォリア>>の名が付いた第12番だけは、ちょっと性格が異なる。La Folliaは17世紀初頭から100年ほど全ヨーロッパで流行した舞曲で、これをテーマにした作曲家は非常に多い。熱狂的な踊りの曲が、貴族の鑑賞になるうちにゆったりした格調高いものになっていったというが、ヴァイオリンという楽器の音に潜む魔性に、実はぴったりだったのかもしれない。
他のソナタは4〜5楽章構成であるのに対して、<<ラ・フォリア>>は16小説のテーマを、23回変奏していく1楽章構成。ゆったりと始まるテーマは、やがて速いパッセージで動き回り、また緩やかに歌い、緩急強弱自在、他の曲にない振幅の大きさとなる。コレルリは格調高い曲をたくさん残し、演奏も穏やかだったという一方で、時に目をぎょろりとむいて、と書かれてもいる。ヴァイオリンの持つ振幅の強さ、魔性をよくよく知っていたからこそ、堅牢な構成美による貴婦人のような音楽を残すことに心をくだいたのか、と思うくらい。

バロック音楽、とりわけヴィヴァルディなどは、ロマンティックな19世紀の音楽を愛する人が「子どもの頃に通過する音楽」とまで言うことがある。(私はそうではないと思うけれど、ここまで率直に言う人の感性を否定する気もない。)
だけど、コレルリの<<ラ・フォリア>>をヴァイオリンの教材に組み入れているのは、19世紀の音楽とは違うけれど、独特のロマンティックな(というより蠱惑的な)空気をまとっているからかもしれない。

そして、ブリュッヘンの妖気漂う演奏も、やはりこの曲に潜む魔性そのものに思える。いまやバロック・ヴァイオリンによるすばらしい演奏−−−シギスヴァルト・クイケン、寺神戸亮、アンドリュー・マンゼ等々−−−がある。だけど、この曲の特性を伝えてくれるのは、いまとなってもやはりブリュッヘンの1本の笛のような気がする。

P.S. ちなみに、フランス・ブリュッヘンは1981年以降リコーダー及びフルート奏者を引退。古楽器奏者を集めた18世紀オーケストラを主宰する指揮者として活躍中。また、現代の通常のオーケストラも振る。

[追記]
エントリーを出した翌日、タイトルを変えました。

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