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2005.05.22

こんなにも濃密な時間

[ベートーヴェン チェロ・ソナタ第3番 イ長調]

バッハの無伴奏チェロ組曲は…え?まだこの話題を引っ張るかって?
いや、ほんのちょっとだけ。
えー、無伴奏チェロ組曲は、イギリス組曲(鍵盤楽器のための組曲)と同じ形式。そして、バッハの独奏器楽曲にはこうした、上質の独り言とでも括りたくなる組曲が多い。
独り言というより、名作をたくさん残した作家の日記、とでもいったほうがいいのかな。
有名なヴァイオリンのシャコンヌも、単独で扱うよりは、とある組曲の掉尾を飾る曲として聞くほうがしっくりくる。(コレルリのソナタ<<ラ・フォリア>>も同様。)
特にチェロ一本の場合、男性の声を連想させるからか、また曲に過度の緊張がなく伸び伸びとしているゆえか、作曲家の裸の声が聞こえてくるような気がする。

こういう曲を聞いていると、思う。
単独音を基調とする楽器だから、単音の組み合わせで世界を形作らなくちゃいけない。
高い音に順に上っていく時は、上昇するように。低い音に順に下っていくときは、下降するように。
5度以上離れた音に動くときは、ジャンプするように。
人は感じる。
視覚や運動なら上昇/下降/ジャンプと感じることを、音の高さから同様に感じる。
こうしたヒトの音の感じ方を活かして、バッハは高い音の動きと低い音の動きが、2つの声のように聴こえるような設計をしている。
テンポだって、ヒトは心臓の鼓動という基準があって、興奮すると鼓動は速く大きくなり、沈静化すると鼓動はゆったり静かになる。
音の高さ、テンポだけでも、ヒトは運動に似た感覚が生じ、視覚的な印象さえ生み出す。これに音色や、和音が加わって、色や空間の認識が生まれる。
そして、高さ/低さ、広さ/狭さ(さらに時間経過に伴う変化)などを認識する際に、ヒトは感情も自覚する。たとえば、急激に高くなる、また速くなることは何らかの緊張と興奮を呼ぶし、高く金属的なキラキラした音色は輝きを連想させるし、低い音はどっしりした安定を感じさせるし、ゆったりしたテンポは落ち着きを覚える。
無伴奏の音楽は、こうした音と心の法則、とでもいうものを、あぶり出してくれる。

***

それでは逆に、ある音を出すことで、人の情緒を簡単に操作できるのかといえば、さにあらず。
ある音を刺激として与えれば、自動的にある感覚を催すわけじゃない。音楽ならば、音の組み合わせ方、流れ、コンテクスト(文脈)の中で、初めて特定の感情や感覚や思いを抱く。
もちろん、それは地域、言葉、生活習慣、囲まれている生活音、そうした下支えの中にあって、日々感じることと、音組織のあり方が結びつくからこそ、生じる。(平たく言えば、先天的な音への情動反応に加えて、音や響きの文脈を後天的に知るからこそ、音楽を聴く心になる。)

この世で、人間の発生させる音が、いまほど濃密でなかった古代。
皆が寄り合って住む安全な地域から離れれば、野獣に襲われたり、毒虫にやられたりして、命を落とすこともそう稀ではなかった頃、世界は広く、時間は今のようにくっきり外部から規定されて流れてはいかなかったんじゃないか。
そういう時、世界は人間でないものが発する音に充ち満ちていたはずだ。そして、ヒトは音を発することで、空間や場所を、時間を、自分達のものとして宣言した。祭り、儀式、宗教の発する音、響き。あるいは、詩歌の持つ繰り返しが持つ安定性と、繰り返しながら少しずつパターンがズレたり変化することを通じて生じる、深層を揺り動かすような呪術性。
ヒトにとっては長らく、韻文の持つリズム、また韻文や生活・儀式などの習慣に裏打ちされたパターンが、心の形だった。音楽もそうした心の形をベースにしてきた。
紀元前にはハープなどを通じて和音を出せたのに、多くの地域の聖歌が単旋律でゆったりしているのも、ヒトより上の存在に対して捧げるのに適していたからなんだと思う。
音楽には、単純に情緒を操るためではなく、その場に適した情緒を共有し、また相互に認識の秩序も共有するために、奏でられてきた側面が確かにある。

都市が出来上がり、人口密度が高まって、そこに住む人々はほぼ人間の発する音に囲まれるようになった。特に西欧の19世紀のように産業革命が始まると、機械音と生活音がかなり長時間、人の耳に入り続けることになる。
世界は、ヒトの発する音でできている。そうなれば、詩歌のような繰り返しやパターンから世界を形作り、自然のまねをするまでもない。むしろ、音は日々大きくなり、人はますます過密していくのだから、適度な距離をとるために、音を使うほうがいい。
クラシカルな音楽は、形式をより自由にし、オーケストラを拡大して、より複雑なイメージを表現できるようになっていく。
いや、それさえも手ぬるく、機関車や自動車のリズムに対抗する?ように、一定の速いビートの上に載った音楽こそが、むしろ望まれるものになっていく。
その中で、音楽は世界を形作るよりも、情緒を操作するものになっていく。音に酔うことで、ある種の心理的な距離をとる…また一方で、音を使って情動を操作する、プロパガンダ的な使われ方も行われていく…
だけど、人間は急にすべてを変えられるものでもなく、ある程度の静けさの中で、生物としていくらか穏やかなイメージをどこかで持ちたくなるケースもある。バラードを聞くこと、静かなホールでクラシック音楽に浸ること、ヒーリングミュージックの流行などは、こんなところにあるのかもしれない。
一方で、そんな商品のような響きじゃなくて、音を通じて世界をとらえる瞬間を求めた音楽もある。前衛や現代音楽など。もちろん、聴く人は少ない(私は好きだけど)。

***

いまの多くの人々が喜んで聞く音楽の原形を作ったのは、ベートーヴェン。
音が人の印象に与える法則を誰より熟知しつつ、それをもっともソリッドな形で作品にしていった。もったいぶった序奏を廃し、インパクトあるテーマで心をわしづかみにすると、好き嫌いに関わらず、あっという間に彼のペースに引き込まれてしまう。
フランス革命を知らずに亡くなったモーツァルトまでは、微かに残っていた宗教音楽に基づく伝統。その中から、次の時代のエッセンスとなる音を聞き分けつつ、最後に彼は、第9で宗教音楽ではない、音楽の殿堂を作る。
この曲を過大に受け止めた19世紀から、いまの音楽がはじまる。

だけど、私にとって印象的なベートーヴェンとは。
実は、チェロ・ソナタや、バガテル(ピアノ曲)のような、メインストリームではない曲だったりする。
チェロ・ソナタは3番以降が特におもしろい。人気のある第3番は、イ長調という明朗な響きの中に、自信あふれる男のつぶやきから小さな嘆き、夢、そして躍動が聴こえてくる。
出世作の交響曲第3番(いわゆるエロイカ)もいいが、引き締まった構成(ことに第1楽章!)の中で、すばらしく濃密な時間が経験できるのは、むしろこっちじゃないかと思うくらい。
こういう曲にむしろ、作曲家の姿がふいに立ち現れてくるような気がする。それとともに、自分もこんなに濃密な時間を作り出してみたい、と思わせる曲でもある。

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コメント

少し文言の修正・補足を行いました。

投稿: kenken | 2005.05.22 10:51

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