三島由紀夫展 @ 神奈川近代文学館
4月末から続いている、神奈川近代文学館の三島由紀夫展(正式には「三島由紀夫ドラマティックヒストリー」)。最終日は今週末の6月5日(日)。
4月に展示を見た。私は三島の熱心な読者ではない。おまけに中学〜大学では大嫌いを通したというところもある(もっとも大学に入ってからはさすがに、真面目に読もうとは思ったけど)。
自決や右翼が嫌いというわけじゃない(そんな脆弱な読み方はできない)。「君がこう言うなら僕はこうさ、この平凡人め!」とでも言いそうな、けれん味の権化のような文章が嫌いだった。もっと素直にいえば、三島を持ち上げる大人たちに対してつっぱっていた。もちろん、それこそが持ち味だと感じ取った上で。
それでも荒涼とした90年代を経て、私も年をとり、作品も風雪にあらわれて古典になった。いまならもっと素直に接することもできる。
そんな私は、若き三島が太宰治に対して「大嫌いだ」と言い放った記事展示を前に、ちょっと耳が赤くなったり。
といった恥ずかしい話は別にしても、これまで未公開の資料や創作ノートなどを含めて、かなり密度の濃い展示だ。
特に創作ノートを見ていると、「蘭陵王」ではちゃんと龍笛の指穴や、曲、調子などのメモをとっていたことがわかる。三島は綿密にノートで設計をしていくタイプの作家であり、その後継は村上龍にあるのかな、などと思えたりして、いろいろ想像の羽を伸ばす余地がある。
だけど、最大の収穫は、高橋睦郎の講演を聞けたことだ。
この詩人の肉声を聞くのは初めてだった。大きくはないけど浸透力のある声で、語り出した。
没後35年に触れ、生誕80年は別にしても、没後35年と初めて気付いた、西欧では没後20年を契機にして、包み隠さずに様々な資料を開示するものだ、三島もじゅうぶんにそうやって語られていい、という意味のことから始めた。
1963年に、詩人の出した詩集について、いきなり勤め先に電話がかかってきた時のこと。そこからさらさらと、時を巻き戻すように1960年代の、三島との交流が語られていく。そして、三島の死の意味を、詩人なりに語っていく。
肉声と立ち姿を知る者が、語る。それだけでおもしろいものだが、この日は鋭い批評眼と人物眼を持つ作家が、同じ空気をまとう詩人から語られるのだ。
あんまりおもしろくて、内容自体は書けません。
ひとつだけ。
高橋氏は、三島を重くて濁った人、そして彼と親しかった澁澤龍彦を澄みきった人と評した。もちろん善し悪しをいっているのではなく、そういう対照的な二人がすごく親しかったことを重要なポイントとみなしているところから、語り出した。
この短く清冽な評から、人と作品に話が進んで、三島が「いつも人に見られることを意識して緊張し、人生が作品であるような」ことに触れていく過程は、単に接していたからだけではない、批評眼と鋭い表現をもって交流していたからこそ生まれてくる話だった。
人は、ある行為の動機を、一つの最大の原因に絞り込みたがる。
しかし、人間は常に複数の局面で様々な自分が織りなしている。どれが本当の自分などということはなく、すべてが自分を織りなす。
言葉という、経験を時系列に整理する便利な道具は、そんな当たり前のことを撹乱してしまう。
しかし、小説というものは、そんな人間本来の存在の姿を、散文表現の威力で感じさせてみせるものだ。
そんな、これまた当たり前のことを、改めて思い起こした。
ちなみに、三島は単行本を、とある作家の新婚祝いに贈っており、展示物に入っていた。その作家、桂芳久氏の授業中に、ずっとリルケなどを読み耽っていたことも思い出したりした。
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