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2005.06.11

京都の丸善

5月下旬、東京を離れて京都へ行っていた。
今回は自分だけで廻ったわけではなく、案内役だった。いつもと勝手が少々違ってはいたが、思い返してみれば1年以上訪れていなかったのだ。いつものペースでなくても、やはり嬉しい。
年に数回も訪れると、日常から地続きになってくる。間が空くと、日常化しかけていた街について、また別の新鮮さを味わえる。

たとえば、東京は至る所で白いヘッドフォンケーブルのiPodユーザを見かける。いつでもどこでも自分用BGMの人々。
だけど、京都ではあまり見かけない。大阪に行けばまた違うんだろうか。

街を歩けば、少しずつ店や建物が変わっている。寺町京極にあったdeviceは移転した。新京極の映画館が新しくなっていて、1階には紀伊国屋書店が入っていた。今回は覗かなかったけど、映画館のあるビルの書店として、何か特徴を打ち出しているのだろうか。

ところで、河原町の丸善が9月に閉店するというニュースを、4月に聞いた。
京都新聞による記事はこちら(3/31)。
前を通ったが、もちろん平常通り、営業していた。

梶井基次郎が短編小説「檸檬」が描いた有名なシーン。寺町二条の果物屋で買った檸檬を持って書店に入り、美術書を開いては積み上げて、最後に檸檬を乗せて出てゆく。そして、それを爆弾に見立て、木っ端微塵を想像する。
その書店が京都丸善なのだが、実はここに移る以前の話だとも聞く。
今の河原町の丸善はきれいな現代的なビルになっているが、これは改築されたため。その前は取り残されたような古い洋館だった。新しくなっても、どこか静かな空気があった。
丸善は書店、それも洋書も扱う書店として特に名高い。出版部門もある。けど、それだけじゃない。紳士服や小物も含めて扱う文化の百貨店だ。昔は海外の事情を、生活も含めて知ることが出来る場だったという。明治の田山花袋や国木田独歩の頃から、丸善は世界の窓のような役割を果たしていたらしい。飛行機もインターネットも当たり前の今を見たら、うらやましがられるかどうか。
その丸善、本店が丸の内オアゾに移って大胆に変化。東京駅は今、丸の内がホットで、人を呼び込むにはよかったんじゃなかろうか。
京都河原町店も、四条烏丸近辺の物件を探しているという。同じような変化だ。

ここのところ、河原町の変化は激しい。
一番大きな変化は、四条河原町近辺から人が減っていることじゃないだろうか。ビジネス街の四条烏丸を中心にするエリア、あるいは四条〜御池と河原町〜烏丸の間に、人の流れが動いているように見える。
丸善河原町店の変化も、こうした流れに応じた事業方針と推測する。

大学が多く、本屋も多く、それなりに人が入っている街。簡単にはなくならないだろう。

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