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2005.07.03

爆発する音の自由

[ヴィヴァルディ作曲:4つのヴァイオリンのための協奏曲 ロ短調]

いま、私は1枚のCDを前にしている。
ジャケット写真は、一人の女性がこちらを向いている。
知的で端正な顔立ち。細身のようだが、楽器を支えるであろう腕はしっかりしている。
セクシーではないかもしれない。しかし、若い頃から美女として通ってきた。

女性の名はヴィクトリア・ムローヴァ (Viktoria Mullova)。
1982年のチャイコフスキー・コンクール優勝で名を轟かせ、翌年の亡命以後、着実に歩みを進めてきたヴァイオリニスト。
目前にあるCDは、彼女の弾く最新のアルバム、ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集である。
もう1ヶ月くらいになるが、折りに触れて聞き、しかも飽きない。

CDのリリースは、今年に旗揚げした英国のレーベルonyx。
第一弾はパスカル・ロジェの弾くドビュッシー「前奏曲集」が入っていたりして、なかなかおもしろい。
しかし、試聴して抜群におもしろく、さっとレジに持っていってしまったのは、ムローヴァがイタリアの古楽アンサンブルのイル・ジャルディーノ・アルモニコ(Il Giardino Armonico)を指名して実現した方だった。

猫、いやチーターのように敏捷なイル・ジャルディーノ・アルモニコの音を、とても魅力的に録っているし、その上でほんとうに楽しげに羽を広げるムローヴァのヴァイオリンがすてき。
こんなに魅力的なCDには滅多に巡り合えない。

***

だいたいまっとうに音楽を演る/聴く人の間で、ヴィヴァルディほど人気のない作曲家もいないだろう。
有名な「四季」をクズ扱いする人も多いし、いくつかのパターンに沿って大量の音楽を産み落としまくった彼をバカ呼ばわりする人にもたくさん出会ってきた。バロック音楽を専門に演奏する/聴く人にだって、そういう人は少なくない。

「四季」に関しては、私もそういいもんだとは思わない。
だけど、これは絵画的な表現が空回りして、響きがこけおどしなってしまったからだ。フルート協奏曲作品10に入っている「春の嵐」や「夜」など、絵画的な要素が入っていても、面白い協奏曲だってある。
それに、似たようなパターンの曲が多いとは言っても、18世紀の音楽は19世紀以降と異なり、スタイルを習得して曲の骨組みを作っていくのが普通だった。演奏者は「曲をさらう」のではなく、「スタイルやパターンをさらう」ものだし、そうした音楽イディオムに基づくからこそ即興に火花を散らすことも可能だった。加えて作曲家と演奏家がいまほど明確に分離しきっていなかったため、曲を書くことも、初見で他人の曲をいきなり弾くのも普通だった。
音楽上のイディオムがある程度はっきりしていて、半ば職人的に様々な曲を奏でていくのは、どちらかといえばジャズの方法に近い。ジャズも曲ではなく、スケールやコードのイディオムをさらいつつ、その場でどんどん新しい音を生み出していく。
18世紀の半ば、そういう面で確かに、ヴィヴァルディは少なくとも並み以上の作曲家だったはずだ。

またヴィヴァルディは、室内楽編成による協奏曲(つまり、弦楽合奏を伴奏にせず、複数のソロ楽器が丁々発止と渡りあう曲)で楽しい曲をたくさん残した。その多くは、ほとんど現代の車社会にも合うスピード感さえある。同時代の作曲家と比較しても相当変わった存在だったのではなかろうか。

バッハは、イタリアの活発な協奏曲様式に魅せられて、ヴィヴァルディの曲を編曲しながら学んでいる。もともと作曲家は編曲をしながら、ある音楽のスタイルや流儀を学ぶことがある。バッハは特にこの道の名人であり、しっかりと各種協奏曲に活かしている。
一応バッハの作品に加えられている「4台のチェンバロのための協奏曲」は、原曲がヴィヴァルディの「4つのヴァイオリンのための協奏曲」である。4つのソロが、音の追いかけっこをしながら動きの美しさそのものを築き上げていく。
若いバッハが、この音に魅せられても不思議はない。これを4台のチェンバロによる豪奢な響きに置き換えたところが、鍵盤楽器を好んだバッハらしい。

ムローヴァとイル・ジャルディーノ・アルモニコのCDでは、その原曲が納められている。
そして、おそらく数多くの録音でも、決定的な演奏の一つになるだろうと予感している。
四人のソロ・ヴァイオリンは、古楽器を使い、古楽奏法で弾いていて、一貫性あるアンサンブルになっている(注:後に触れるがムローヴァは古楽器専門の出身ではない)。全員の音のスピードが速い。おそらく弓の性能を最大限に引き出しているのだろう。
一方でそれぞれが、音色と弾きっぷりの特徴もきっちり出している。正確で清楚ながら運動性能が高い第1ソロのムローヴァ。より清楚な印象の第2ソロ。アタック音を少し強調するためか、アクが強い第3ソロ。音に粘り気があり、フレーズの息も長い第4ソロ。
それぞれが音を渡しあいながら、相手の弾きっぷりに反応して、より踏み込んだ表現を引き出していく。同時に、この曲の簡素な繰り返し構造は、まさに個々の演奏者の悦びを引き出すようになっていることもあぶり出されていくのだ。
演奏している姿が彷彿としてくる。

***

それにしても、ムローヴァの変貌はどうだろう。

旧ソ連出身のエリート・ヴァイオリニストとしてコンクールに出てきた彼女は、1980年のシベリウス・コンクール、1983年のチャイコフスキー・コンクールで優勝。その頃から知的な音楽作りではあったが、やはりソ連系の膂力あるヴァイオリニストの系譜に入っていた。
1983年に自由な音楽活動を求めて、西側に亡命。以後、有名指揮者(アバドや小澤など)との共演による協奏曲、室内楽などを通じて、トップ・ヴァイオリニストとして歩み続けている。

ヴァイオリンにおいては、特に協奏曲で「男性奏者にはなかなかない独特の官能性」のような表現を好む人も少なくない。
ムローヴァは決して色気むんむんの演奏をするタイプではない。その容貌を裏切らない、知的で安定感ある演奏が特徴だ。技巧がしっかりしていて正確、しかもそれを音の構造を解き明かしていくことに使う。20世紀の最後の25年ほどで、特に好まれた方向かもしれない。
しかしそれは、場合によっては特徴の目立ちにくい音楽家と捉えられかねないこともあり得る。実際、時折見せる神経質といってもいいような細く鋭い音が、音楽を痩せさせてしまうような印象を与えることもあった(ブラームスなど)。

彼女が独特の方向を模索し始めたとはっきりしたのは、やはり、古楽奏法に接近した成果を織り込んだ、バッハの無伴奏ソナタ、パルティータを納めた録音あたりからか。
力まず、さらりと爽やか。しかし、バッハの持つ響きの裏に宿る、陰影の濃さや細やかさもきっちり音になっている。
これを耳にした時、単に古楽を愛するのでなく、音楽そのものを愛する人々はこう言ったものだ。
「クイケンの古楽器録音も悪くないけど、やっぱりモダン・ヴァイオリンでがっちりやってきた人が技術と表現力を駆使すると、すごいねぇ」
いまとなっては、レイチェル・ポッジャーによるバロック・ヴァイオリン演奏を始めとして、古楽奏法による素晴らしい盤が多い。だけど、ムローヴァが切り開いた地平は大きかった、それははっきりしている。

特に古典派以前の音楽では、新しい響きの追求の手を止めることがなかったようだ。
ベートーヴェンとメンデルスゾーンの協奏曲を再録音する際には、古典派以降の古楽器オーケストラを組織しているガーディナーと組んだ。モーツァルトの協奏曲ではエイジ・オブ・エンライトメント・オーケストラ(啓蒙時代管弦楽団という意味の団体名)を自ら指揮しつつ弾いている。
おもしろいのは、こういう方向性が意外なくらい彼女に合っているように聴こえたことだ。清楚で知的な音楽を奏でる彼女は、古典派のように構成力で勝負できる作品を、古楽器で俊敏に奏でるのに向いている。

今回の録音は、感情の発露に任せたり、色気の発散に巻き込まれたりせず、響きと真摯に向き合って正確に演奏するムローヴァの流儀に、爆発的な解放感が加わっている。
それまでの演奏のどこかに残っていたお行儀のよさだけでなく、「己の欲するところに従いて規を超えず」と言いたげだ。
音の織りなす運動から自然に沸き上がる、爆発するような愉悦に身を委ねても、それをきっちり律する技術と、曲の構成を示す見通しがある。また共演者との信頼が深く、お互いに微塵の遠慮もなく会話していく。
だから、ノリがよくて、爽快で、しかもまったく下品にもならず、嫌みもない。
こんなに安心して楽しめるヴィヴァルディなど、まず滅多にない。

1990年代に現れた彗星、イル・ジャルディーノ・アルモニコ(バロック音楽の合奏団)は、スピードと起伏の豊かさ、強靱な合奏性能で18世紀音楽の演奏を変えてしまった。
この自由闊達な伴奏を得たムローヴァは、確かな音の運動がもたらす美しさを、爆発的な解放感で弾きまくる。どんなバロック・ヴァイオリン奏者にも出来ないような強さとしなやかさでもって音になっていくヴィヴァルディ。知的で腕力もあり、ガリガリ弾いても下品にならない彼女のための作品にさえ聴こえてくる。
この解放感こそ、彼女の得た新しい世界なのかもしれない。ソ連から西側へ亡命し、なお音を求めて変貌を重ねる女性が、体制や経済の変化を越えて得た音の自由、と言いたくなってしまう(的外れかもしれないけれど)。

彼女の、鉄人ヴァイオリン女史風から、柔軟で解放感ある演奏家への25年の変貌を思う。それは同時に、西欧音楽演奏の変化が袋小路に陥らないようにする道の、一つなのかもしれない。

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コメント

イル・ジャルディーノ・アルモニコのコンサートマスターを長年つとめる、、といえば、エンリコ・オノフリ氏。
その彼が今年12月に紀尾井ホールでヴィヴァルディの四季を全曲演奏するそうです。ムローヴァ女史も彼からピリオド楽器についてのノウハウを沢山学んだであろうことは、想像に難くないところかと。ちなみにオノフリ氏の使用している弓と、その後 彼の紹介によりムローヴァ女史が発注し、現在使用しているバロック弓は同一作者のもの...。

投稿: diminutione | 2009.09.20 18:40

diminutioneさん、コメントありがとうございます。
そうそう、オリノフ氏のヴィヴァルディ四季は、今年の暮れでした、情報もありがとうございます。
四季そのものは、実はヴィヴァルディの中ではそれほど好きな方ではないのですが、彼が弾くとまた違った味わいになりそうです。楽しみですね。

投稿: Studio KenKen | 2009.09.22 01:29

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