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2005.07.23

寒い!/「半島を出よ」という問題

お昼は汗をダラダラ流して、あんなに暑かったのに。
用事を済ませて、夜の街に出てくると。
風が冷たい!
いや、寒いぞ、これは!

7月も下旬に入って、ここまで気温に上下差があるとは。

***

ところで、今年上半期の小説において、村上龍「半島を出よ」は問題作である。そのことは間違いない。

ただし。
おもしろく読むことは出来たが。
おもしろいだけで終わってしまい、残念な気持ちも相当強く持っている。

なにしろ最大の問題は、たとえば現代のアラブ諸国や北朝鮮など国際的な政治・経済・軍事の専門家がそのリアリティを激賞する一方で、(文芸)評論家が内容の荒唐無稽を指摘している点じゃなかろうか。
上巻の前半で、小説家としての技術と膂力を尽くして、衰えた日本の状況と、攻め入ろうとする北朝鮮部隊を冷徹に描く。特に、北朝鮮のコマンドが船で博多湾に望むシーンは強く引き込まれる。こうした描写がいかにも現実的に見えること、そして現在の日本を攻略するのに多大な戦力を必要としない事実を踏まえていること、有能なのに無力な日本の政治状況などを描く説得力などから、それ以降の様々な荒唐無稽を含めて、魅惑されたまま読み終える場合がある。しかし、村上龍氏一流の力技を「またか」と思う場合もある。
つまり、政治・軍事・経済など、扱う諸情報に関する専門家の中には、小説家の描写力に圧倒されたまま、興奮して読み終える方が多いのかもしれない。一方、人の心と行動の襞に敏感な評論家達は、ダマされないまま読み終える方も多いように感じる。
それは、嫌みな言い方をすれば、新興宗教が実演して見せる奇跡のトリックを見破るよりもダマされてしまう科学者に、ちょっとだけ似ているのかもしれない。(もちろん、奇術師はダマされない。)

おそらく作者は、荒唐無稽など百も承知で、むしろそのような事態を積極的に想定することで浮かび上がる、日本の政治や経済の無策を冷徹に書いている、と見受ける。作品を書く際に扱った情報を開示しているのも、それを明示するためだろう。
また、作者はかねてから、近代小説の終焉の後、何を書くかに腐心してきてもいる。
その意味で、この作品は「情報が質量ともにおそるべき密度で入ってくる時代の小説」に対する、村上龍氏からの一つの凡例を提示されたということになるのかもしれない。(それまでの諸作品ではいまひとつ噛み合っていなかった歯車が、この作品では作動している。)
また、ゲームやコミック、映画に奪われてしまった活力を、文章ならではの行動と心理描写の組み合わせで書き尽くすことも狙っているのかもしれない。
そうである場合、これは小説なのか、それとも新しいナニかなのか? 新しいナニかであるようには思えないが、だとしたら、人というよりシステム活写に寄り添ったこの作品は、いったい何なのだろうか。

「ライン」以降は、氏の作品を心から楽しめなかった私は、久々に読み終えることが出来た。
しかし読み終えて、後半の拙速、さらにはみ出した少年たちの描き方に共感できないこと、何より「相変わらず」と感じて失望する自分もいた。

一方で、無視しきれぬ何かがあるようにも感じる。
少なくとも、ここ最近積極的に読もうとは思わなかった氏の作品とは段違いの高い密度が存在している。
そして、それに敏感なのは評論家諸氏よりも、作家の方々のように思う。(書評や文芸時評などを読む限り。)

この小説は問題作であるとは言ったが、むしろ、この小説は問題を提出したのかもしれない。
そして、本当の問題作は、この後(もしかすると別の作家によって)書かれるような予感も強く持っている。

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