最近のマンガつれづれ・2(陰陽師)
さて、マンガのイディオムを駆使してすばらしい作品を生み出す多くの雑誌がある。
その一方で、マンガという枠組みを突き破りつつ、やはりマンガとしか呼びようのない作品もある。
9/29、岡野玲子「陰陽師」13巻が刊行された。7月末刊行の12巻とあわせて、全巻無事完結した。
清明晴明と道満の射覆対決に正面から取り組み、原作(夢枕獏の小説)と史実と伝説とを踏まえて、自身の清明晴明像へ高く昇華させた終結。
夢枕獏の清明晴明は、光と闇の間を往還する男を、直感と音で描写している。それは本来の意味での呪術師だ。
最初は原作をベースに描いていた岡野玲子の清明晴明は、内裏炎上とその再建のあたりから、数理と形による世界の原理を把握する男である。名前の本来のあり方と、数と、形を踏まえ、身をさし出して調和を実現する姿は、本来の意味での魔術師だ。
ただし、魔術師の世界と行為をそのまま描いても、誰も理解できない可能性さえある。
理解できないものは、似たものと対比して、比喩を発生させるしかない。
そこに、古代エジプトと、アレクサンドリアへの言及が生じる。
12〜13巻は、それまでの平安京に終始せず、急に別の国、別の時代の話が挿入されるように見える。これは破綻したのではなく、小説とも映画ともそれまでのマンガともまったく異なる世界を描くために行われたに違いない。
そのラストは、もはやマンガのコマ運びからも飛び去って、絵と音と言葉による詩的世界に泳ぎ出す。
数理と形への洞察がある清明晴明が、その仕事を完了した世界は、踊りによる肉体の詩歌をもってしか描き出せない。
こうして、従前の詩歌や絵本と異なる、マンガによる詩が誕生した。
私たちは新しい表現を切り開いた作品に立ち会ったのだ。
意識を深く広く高く拡張させながら、なお身体を通じて意識をブレさせず、この世に筋を通す男の物語が、完結した。
読者はそれを読み、作者を賛嘆し、作品を祝福しつつ、逆に作品を通して魔術師からの祝福を受けることになる。
これほどの幸せはあるまい。
[付記]
コミックビームと陰陽師について書いた記事をまとめて出したが、あまりにも毛色が違うので、2つの記事に分けた。こちらはその後半部分。
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・手塚眞の絶対の危機 「YIN YANG」
・北斗柄の占いについて思う「この課式は変」(2005/10/09)
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コメント
清明ってtypoですか?
浄瑠璃だと清明なんですけどね。
投稿: 北斗柄 | 2005.10.05 01:06
ご指摘ありがとうございます、お察しのとおり、typo−−−というより変換ミスです。
んー、なんで間違えたんだろう。
というわけで、直します。
投稿: kenken | 2005.10.05 01:32