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2005.12.19

パパ・タラフマラ「Gold of Hearts--百年の孤独」

独特の時空間を醸し出すパフォーミング・アーツ・グループ、パパ・タラフマラ(以下、パパタラと略する)。
彼らがガルシア・マルケスの名作「百年の孤独」をベースにした公演を行った。これは行かねばならないと、東京公演(世田谷パブリックシアター、12/10)を観てきた。

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パパタラの代表作はおそらく「青」、「島」、「SHIP IN A VIEW」などだろうが、他の作品でも身体の動き、声、音楽、舞台美術を総合した、独特の舞台を経験させてくれる。

ダンスではあるが、単なるダンスというより、身体の動きの連鎖によるイメージの連なり。
そこに、セリフを伴わない声がのり、音楽がかぶっていく。
美術は通常の舞台美術だけでなく、プロジェクターによる映像、自走式のオブジェ、発行するオブジェなども動員して、身体の動きに対抗するシンプルな空間を作り出す。

その舞台はダンスが主役のように見えるが、単なるダンスカンパニーではなく、ましてや演劇でもない。
あえて喩えるなら、身体の動き・音・インスタレーションによる詩、としかいいようがない。
かといって、難解ではない。豊かなイメージの連鎖が舞台に広がり、その中で心を遊ばせているうちに、淡い筋書きから登場人物達の感情の動きが生々しく浮かび上がってくる。

そんな舞台を作る彼らが、20世紀後半の巨大な小説「百年の孤独」に取り組むという。プログラムによれば、むしろこれに取り組むために25年前にパパタラを結成したのだという。
「百年の孤独」の持つ時空間の広がりが、あの詩的世界で展開する…これは見に行くしかない。

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非常に興味深く、おもしろい経験だった。
[以下、ネタバレあり、注意。]

あれほど巨大な原作世界をせいぜい2時間半ほどの舞台で上演すること自体が難しい。さらに、原作の最後は、滅びゆく一族の悲劇が、まるでパタパタと世界が折り畳まれていくような縮退であり、その味わいをどう表現するかも気になった。
このためか、ドクター・アオという小説にはない人物が設定され、最初に書き手であるドクター・アオから物語が始まる(逆に錬金術師メルキアデスは出てこない)。すぐにブエンディア一族の物語が延々と続いていく。ラスト近く、ブエンディア一族の始祖ホセ・アルカディアは、ドクター・アオを探して歩いているにも関わらず、同じような姿形から同一視されてしまう。
メビウスの輪のような循環には、小説の最後に提示されていた蟻と赤子も加わる。その蟻は巨大な自走式オブジェであり、光る赤子(人形)は死者となった最後の子孫達と、円を描くように踊る。
この静かなラストは原作とはまったく異なる味わいを引き出した。縮退していくというより、世界が閉じると同時に別次元に移行するような印象。その次元とは、現代の我々の住む世界。
小説では、中世的な世界から近現代への転変を、一気に時間短縮によって押し流されるように経験したラテン・アメリカの苦悩が、独特の形で練り込まれている(もっと言えば、日本もそのような苦悩の中にある)。それを抽出し、今の世に照射する意図は感じられた。そこは見応えがあった。

循環構造は小説の特色でもあり、先祖から名を引き継ぐと、その名に応じた性質が宿って、何度でも一族の悲劇をなぞる。
それを、俳優のダブル・キャスト、トリプル・キャストでうまく表現していた。
また、あまりに多数の登場人物を、人形でうまく表現していたのもおもしろかった点。

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一方、今回の公演では「百年の孤独」が描くブエンディア一族を、意外なくらいきっちりとなぞっていった。
ラップに織り込まれる筋書きの展開、歌詞のある歌、俳優が出演して口にするセリフ。また、プロジェクターに提示される外国語の翻訳等々。
パパタラにしては、言葉の多い舞台でもあった。
言葉に触れるたびにどうしても頭の中で、マルケスの小説を追い始めてしまう。はっと気づくと、イメージではなく、言葉の磁力が意識を縛っていたりする。
また、言葉の多用がかえって、事物をきれいに整理しすぎてしまう嫌いも感じられてしまう。
初めて触れる小説や舞台・映画などは、まず序盤で提示される世界にどう馴染んでいけそうか、ということを感じながら入っていくものだが、今回はひどく時間がかかり、前半のほとんどをそれに費やしてしまった。後半、やっと落ち着いて観ることができるようになり、そこからはラストに向かう緊張と解放を心地よく受け入れることができた。

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実に興味深かったし、出演者達の熱演、すばらしい美術と音楽など、見応えある舞台だった。
それだけに、前半にうまく世界へ入り込めなかったことが心残りだ。もっとはっきり言ってしまえば、今回は小説から自由になって、オープンな気持ちで観るのが難しかった。ただ、それは自分が小説にとらわれて、うまくパパタラ世界にチューニングできなかったからなのかが、いまひとつよくわからない。
この後、海外公演が予定されているようだ。もし可能なら、その後で再演を見てみたいとも思った。

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