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2005.12.13

承認されたがっているのか

以前から気になってきたことがある。
もしかすると、今この国に住んでいる多くの人々は、自分の存在や行動を承認されていない不安を感じているのだろうか。

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実際に細かく資料にあたっていったわけではないから、思いつきレベルの話でしかない。
ただ、書店に並ぶ大量の自己実現・自己啓発の書物、議論を噛み合わせようとせずに大声で主張を繰り返す大人、批判に腹を立てるとWebや掲示板に書き込んで同意見の人を見つける行為、与党の大量得票といった、いまの大人達の言動の背景は、ある共通した感情に支えられているように感じている。
それが「オレは/あたしは、承認されていない」という気持ちなんじゃないか、ということ。

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自分が両親からよく承認されていると感じられず(もちろん両親は両親なりにちゃんと育てようとしたはずで、何かの拍子にうまく受け取れなくなったのかもしれない)、自分への信頼を育みにくかった。
そして、成人以降も不安を感じる際には、自分で自分を信頼するよう承認せずに、どこかで誰かに承認してもらうことを考えやすい。
ハウツー本を通じて自分を承認する、同じ意見の人を見つける(今はインターネットを通じてすぐに見つかる)、えらい誰かに自分の意見を寄せて、違うことを言う人を攻撃する、逆にやたらと自分を肯定しまくる、といった言動は、自分を信頼せず不安にかられて行っているように思われる。
だから「癒し」でふわっとした気分が必要になったりする。

様々なことをいっぺんに論じたり対策を考えることはできないけれど、少なくとも自分を信頼する(自己中心主義になるという意味ではない)ことを通じて、毛色の違う相手をいきなり拒絶しない寛容さは、身に付くんじゃないかとは思う。そこには不安を他人に投影したりしない、ということも含まれていく。
こういうことに気づいていくだけでも、殺伐としたものはいくらか薄まっていくんじゃないかと思ったりする。(もちろん、自戒も込めて、だが。)

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直接関係はないけれど、オノ・ヨーコの作品って、この自分への信頼を、何度でも課しては次へ進んでいくことを通じて生まれるように思える。または、そうした過程で行われる、激しくも穏やかな対話の道程のように見えることがある。
そう思うと、Love and peaceやImagineって、ひとりひとりが自分を認めることを通じて他者も認めよう、ということを凝縮した言葉だ。
ノーテンキだけど、やっぱりいい言葉だと思う。

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