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2006.03.19

1995年から丸10年以上を経て

1995年はインターネットのブーム、Windows 95の発売、Javaの誕生と、主流の技術やインフラが登場した年だった。あれから10年以上を経て、インターネットは世の中にかなり浸透しつつある。
インターネット普及による大きな変化は、メールでの連絡が日常生活にとけ込み、何かあればWebブラウザで検索する世の中に変わったこと。
さらに、マイナーな趣味だと思っていても、同好の士は意外に世の中にいる、とわかることかな。

たとえば私が時々ここで触れるウィンドシンセサイザーや古楽器などは、それなりに愛好者がいる世界だ。一方、自分でやってみる人はそう多いわけじゃない。世に埋もれた作家・画家・写真家などの熱烈なファンはさらに少ないだろう。
そういう趣味でも、検索してみれば意外にいろんなページに出会える。一言だけ触れている場合がほとんどだろうけど、繰り返しWeb日記で触れるページもあれば、特集ページだって見つかることがある。

同じ考えの人だって、世間の所属や生活での出会いよりは素早く見つけられる。
会社で同僚や上司に否定された考えや行動、学校で友達と食い違った思い。そんなことに出会っても、ネットで検索すれば自分と似た考えの人を発見できることは多いだろう。支持する歌手、音楽家、俳優、作家、画家、考え、政党、政治家等々も同様。
画面を見ながら「そうだよねぇ、ちょっと言い過ぎたかもしれないけどさぁ、間違っちゃいないよね」とつぶやいたり、「やっぱそうだよ、アタシ、正しいよ!」と叫んでみたり。
掲示板でもあれば、そこに書いていくうちに、ページのオーナーと言葉を交わすこともあるかもしれない。

同じ意見の持ち主と「そーだよねー」と相槌を打つのは楽しいだろうし、もちろん悪いことじゃない。
一方、違う考え、違う感じ方に出会い、相手の何がそうさせるのか、自分と何が違うのかを考えるのも、とっても大事なこと。
それをすっ飛ばすために同意見を求めまくるのは、簡単に自我肥大を引き起こして「世の中バカばっかり」と思っちゃうかもしれない…(現実には、躾の過程で自己否定を学んじゃう人がたくさんいる、というのもありそうなので、何ともいえないが)。

仲間を求めやすいインターネットが、同じ意見の人々によるたこ壷化を招くとしたら、思考という面では衰退につながるのかなぁ、なんてことを思う一方で。
そんなことは杞憂であって、人間はもっとバランス感覚があるものだ、多くの材料を得てより考えようとするはず、とも思ったりする。
2015年頃、世の中はどうなってるだろうね。

そんなことはまぁいいとしても、Winnyをネット利用の第一危険要素に仕立ててしまえば問題が解決するような談話を、内閣から発表するのはどうかと思うなぁ。

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