先祖帰りなのか
どの新聞でも日曜にやってくる書評はそれなりに楽しみだが、朝日新聞のカジュアル読書(毎週日曜日掲載)は、どうも私が読むマンガとかぶることが多い。山田芳裕「へうげもの」第1巻を熱く語っていたりするところもね。
(ちなみに、3/5の更新とはいえ、朝刊が来る前の深夜なので、今朝何が掲載されているかはまだわからん。)
ほとんどは知っている作品だが、時々「あ、こんなのあったのか」と思うことがある。つまり、連載雑誌を丹念に追っていない場合である。
ちょっと前に紹介されていた笠辺哲 短編マンガ集「バニーズ ほか」(小学館 IKKI COMIX)は、そんな作品。
近所に平積みされておらず、ジュンク堂池袋店で保護(?)した。
ちなみに小学館のコーナーで見つけられず、サブカルチャー系コミックス・コーナーにあった。ビームとか、つげ義春とか、そんな作品の中。
では、中身はどうか。読んでみて私が思ったこと。
無理矢理たとえれば、石森章太郎の短編テイストに、脱力とつげ系を足した感じかなぁ…でも読まんとわからんかなぁ、これは…
石森章太郎を連想したのは、氏の短編にある「あ、これで終わりなんだ、こういうのもアリなんだ」と思わせるようなテイストと共通するものをチラリと感じたから。
しかしもちろん、そういう系列 石森章太郎作品に直接、連なるわけじゃない。
SFというのでもなく、人情や教訓があるようで突き放していて、でもナンセンスやギャグとはなお異なり、読後は切ないわけじゃないのに物寂しさまで漂う。つまり、ジャンル分け不可能。
わけのわからないところが魅力だが、説明がきわめて少ないために魅力を感じない人もいると思われる。
こうね、1980年代以降のサブカル全盛、マンガは何でも食べて肥えていく紙メディア界の最終兵器、みたいな流れに直接連ならないというか。
1970年代以前にさかのぼって、何もないところに植民を始めたばっかりのような不思議さがある。
(逆にいえば、「へうげもの」なんかは1980年代以降の作品の系譜に連なって、熟成の極みにある。)
説明しても仕方ない。読んでくれ。
ところで、久住昌之・作、谷口ジロー・画「散歩もの」(フリースタイル・刊)も出ている。
名作「孤独のグルメ」を生んだコンビだ。(こちらに過去の記事あり。)
面白くて、絵も相変わらずの緻密さ。
ちょっと説明的にも感じる。
けれど、極端に凝らず、正面から描いていく姿勢は、なんというか原点回帰のような印象も受ける。
もっともこういう作品は、ゆっくり時間がある時に、ためつすがめつ絵の隅々まで味わっていくのが王道。
今の忙しさで読み落としがあったらイヤなので、感想はもうちょっと保留。
話題の「ドラゴン桜」なども、私には少年マンガの原点に戻っているような印象を受ける。(好き嫌いから言えばこの作品はそんなに好きじゃない。けれど、支持する人々がたくさんいるのはわかる。)
マンガがつまんなくなった、というおじさんは多い。だけど、読者が完全にいなくなったわけじゃない。
新しい読者のための新鮮さは、数十年前からやってくる、というのは大げさかな。
でも、どんなジャンルだってそうやって刷新してきたんだよな。
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