昨日の記事への補足
昨日出した「村上春樹氏が文藝春秋4月号に寄稿」だが、読み返してみて、重要な問題に触れていないことに気づいた。
それは、現役作家の手書き原稿が高値で流通してしまうことだ。
「原稿をそのまま古書店に持ち込んだほうが商売になるではないか。筋の通らない、品性を欠いた話だ」と。
この問題提起は当然である。
同時に、ちょっとした不安も感じる。
というのは「なんでそれが問題になるわけ? 作家の原稿は鑑定団で取引されてるじゃん?」と不思議に感じてしまう方がいたりするのだろうか、とまで思ってしまったから。
たとえば、亡くなられてからも永く名が残るであろうと、評価がほぼ定まった作家の場合。そういう作家の原稿や手紙、書類などは、没後しばらくの時間を経て、貴重な資料として収蔵すべき状態になっており、そのことに価値がつく。
一方、どんな書籍でも雑誌でも、編集と著者の間には様々なやりとりがあり、その末に作品や情報として読者に届く。それは村上氏の文章でも触れられていることだ(というより、そのことを示すために、数多のエピソードを盛り込んでいる)。作家と編集者はよりよい作品を、あるいはより正確な情報を届けるべく、まさに力を尽くして生み出していく。そうやって生まれた原稿を、印刷して多くの方に読めるようにする、それが出版という営為だろう。
これが崩れてしまうことへの提起であることは、知られるべきだ。
昨日、触れ損ねてしまったので、補足します。
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