村上春樹氏が文藝春秋4月号に寄稿
本が好きな方ならもうご存知だろう、三大新聞でも記事になった「村上春樹の手書き原稿流出事件」に関して、村上春樹氏自身が思うところ、考えるところを発表している。
安原顯氏が中央公論社で編集者をしていた1980年代、村上氏は翻訳や創作の原稿を渡していた(マリー・クレール誌がなかなかおもしろい原稿をたくさん載せていた頃だ)。その頃とのよい思い出に触れ、後年訣別したまま安原氏が亡くなるまでの経緯に触れる。続いて、件の事件についての考えを述べていく。
直接の内容は発売中の文藝春秋をご参照いただきたい。新聞記事では得られない様々なエピソードが綴られていて、より立体的に感じられるはずだ。
ただ、村上氏の推測が、安原氏自身の指示によって原稿が売却されていったのではないかと踏み込んでいる点については、ちょっと引っかかった。
中央公論社在籍時に手にした手書き原稿をそのまま保有していたことは、問題があるだろう。ただし、実際に売却する意志を持っていたかは、結局わからない。すでに故人となり、遺族に聞いてももはや真相はわからなくなってしまっている。
辻褄合わせだけで売却の意志あり、とまで踏み込んでいいのかわからない、というのが本当のところではなかろうか。
いや、全体としては味わい深い文章だ。
人間とつきあうということは、相手のいい面も悪い面もあわせて味わうことであり、それは自分が相手に与えることでもあり、そのことを淡々と、しかしきちんと引き受けることでもある。そんなトーンに貫かれた、村上氏らしい読み応えのある原稿だ。
それだけに、傍証から安原氏の売却意志を感じるところまで踏み込む点は、チクンと引っかかる。
そこに様々な感情や思考が渦巻いてしまう村上氏の痛みも表れているように感じられてならない。
読後、無意識に漏れ出た言葉は「人間的な、あまりに人間的な」。
原稿の所有権を明らかにすることは大切。出版事業システムの問題として、運営されていく必要がある。それは、この文章が提示する問題の一つであり、事務的な解決策を見出すこともできるだろう。
ただ、それにまつわる、人間という存在について、いろんなことを考えてしまう。
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・アルカリブログ「村上春樹「ある編集者の死〜安原顯氏のこと」(文藝春秋4月号)」(2006.03.13)
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コメント
はじめまして。
私も、編集者の端くれとして、この事件には、いろいろなことを考えさせられました。
私は、『ヤスケンの海』を読んで、安原氏にはどちらかというと好意的な印象を持っていたので、彼が“盗品売買”的に原稿を売り払ったとは、にわかには信じにくいものがあります。
真相は分かりませんが、彼が一方的に糾弾される形にならないことを祈りたいです。
(というか、もう既にそうなっている!?)
投稿: ちょいハピ | 2006.03.19 04:06
コメント、ありがとうございます。
村松友視氏の「ヤスケンの海」は残念ながら読んでいないのですが、リテレールなどを時々読んでいました。
面識はまったくありませんが、テキ屋のオジサンみたいな(失礼)威勢のいい書評・音楽評も含めて、とても振幅の深い方だったのだろうと思っていました。盗品売買的なことまでなさる方かなぁ、どうなのかなぁ、と感じていますが、おっしゃるようにもうわからないことばかりでしょう。
むしろ作家の原稿を文学研究の資料として扱うことと、生前から死後しばらくの間は関係者によって保管されることの間について、何らかの合意のようなものが形成されればいいと思っています。
投稿: Studio KenKen | 2006.03.19 14:52