永遠を見つめ続けた作品達の、鮮やかな消失
先月、古い本を読み返していた。
水村美苗「私小説 from Left to Right」(新潮文庫)である。
英文を含むため、必然的に横書き。冒頭の英語に驚いて読むのをやめてしまう人もいるようだが、そこだけ慣れるべく心積もりをすれば、あとは推測でも読んでいける。
おそろしいほど静かな雪の降る夜、コンピュータに向かう主人公が受けた、いつもの姉から電話。そこから様々な回想が呼び起こされる。
まだ日本人が海外に出ること自体が珍しかった頃、父の米国赴任に伴って、家族で移り住んだ美苗。思春期を米国で過ごし、英語で教育を受けた美苗が恋い焦がれ、小説を通じて夢見てきた日本。その日本とはしかし、1980年代以降の(海外旅行が当たり前になり、街が徹底的に変わった)日本ではなく、自分が渡米する前の日本ではないのか。そして日本は本当に帰る場所なのか。
終了目前の博士課程の後に、日本に戻るかの迷いはさらに深まる。いや、もう日本に行くことはほぼ決まりかけている。どう姉に伝えればいいのか。音楽家になるのを諦めて、彫刻家として細々と暮らす姉の奈苗。自分が離れれば彼女を一人米国に残すことになる。
伸ばし続けた博士課程の口頭試問を前に、雪で閉ざされた部屋の中で繰り広げられる姉妹の会話。そして、そこから想起される濃密な時空の遡及。
日本とは、日本語とは、日本人とは、家族とは、教育とは、芸術とは、文学とは、そして自分とは、いったいなんなのかという問いが、何度でも波のように寄せてくる。
日本の私小説の伝統だけでなく、プルースト以来の20世紀小説の変奏曲にも連なるこの作品は、やはり今でも強く深く胸を打つ。
そうして、辻邦生氏との往復書簡集である「手紙、栞を添えて」を思い出した。
朝日新聞夕刊の連載時に読んでいた。20世紀末に文学の困難と、新たな希望を綴っていた手紙の数々を、もう一度読み返したくなった。が、手元に単行本がない。買いに出た。
神保町で単行本を見つけた。文庫は版元品切れらしい。
この過程でショックを受けた。
辻邦生氏の本は、いまや書店の店頭にはほとんど見当たらない。(もちろん東京堂書店のような店で作家別コーナーに少しあるが、三省堂などでもほとんど見かけないとは。)
確かに好きな人は図書館で全集を借りて読めばいいのかもしれない。しかし1999年まで存命され(もちろんその時点でも連載を持ち)、品格ある美しい日本語を綴る作家として独自の地位を保ち続けた方である。
歴史や芸術を通じて永遠を見続けた氏の作品が、これほど鮮やかに店頭から消えていくとは。
もうそれほどまでに読まれなくなったのだろうか。
探してみるとそれなりに(つまり書籍点数は少ないなりに)見つかる…オンライン書店に。
なるほど、利用されるわけである。
いや、それにしてもショックであることには変わりないのだが。
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コメント
本文、ちょっとだけ直しました。(言葉の連なりが悪い部分のみ、文意は変えず。)
投稿: Studio KenKen | 2006.05.23 01:40