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2006.05.25

ヨコハマ買い出し紀行・最終巻

石川雅之「もやしもん」の第3巻が出た。
特装版と通常版の2種類が出ている。立ち読みできない本屋だったので、特装版を購入。帯には「ほとんど一緒」と書いてあるが、表紙以外に何が違うんだろーか。
内容は相変わらず好調で、なにより。

個人的には、芦奈野ひとし「ヨコハマ買い出し紀行」が第14巻で完結したことを取り上げたい。
アフタヌーンの連載完結については既に触れている。最終回を含む単行本が出たことで、すべて完結した。

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連載開始は1994年。バブルが崩壊し、大企業の成績が軒並み低下し、加速傾向の政治経済の流れが減速していくような印象が漂う頃、そいてインターネット普及前夜でもあった頃に始まった。まだ「失われた10年」という言葉もなかった。
人の住む世界が水没していく未来、「夕凪の時代」。人と同様の感情を持ち、コミュニケーションが可能な「ロボットの人」が、人に交じって普通に暮らす時代。ヨコハマの国にある、カフェ・アルファが舞台。オーナーは旅に出ており、留守を預かるロボットの人、アルファさんの日々を描く。

しばしば来るおっさん、アルファにちょっと熱を上げる小学校高学年くらいのタカヒロ、タカヒロを慕うマッキちゃん。落雷にあったアルファさんを「手術」した先生。ムサシノの国に住むロボットの人、ココネ。こうした人々とともに、ゆったり流れる時間。
正体不明の裸の女、ミサゴ。ターポンという妙な飛行機。植物のようだが、脳波を持つ水神さま。人の住む場が水没するとはえてくる、街灯のような光る植物。謎が少し、いやおおいに含まれる不思議な存在達。

とにかくゆっくりと、てろてろと流れる時間。子供の頃のような時間が世界全体を覆う。ゆっくりと全世界の水没に向かって。
そんな日々であっても、人々は暮らしている。いや、暮らすしかない、それが人の生業(なりわい)なのだから。

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連載が数話進んだ時に思った。
「この話は、変化しないロボットが、変化してすぐに老いていく人を眺めていく様を描くつもりだ。単にゆっくり生きることじゃない、失うものの多い時代に何を見つめるかをさりげなく描いていくはずだ。問題はどういうペースで、どう描いていくかだ」
ゆっくりとした時の流れに沿うように、ゆっくりと世界が提示されていく。まるでそう簡単に何も変わったりはしない、とでも言いたげに。そんな中、他のロボット、ココネと初めて知り合いになり、自分達は何者かと少し考えたりする(ココネは深く考えたりする)。
一方、話が進んでいくと、カフェアルファの喫茶部が台風で吹き飛ばされたりもする。また決心して旅に出たりもする。そうこうしているうちに、子供だったタカヒロは大人になって街を出て行き、マッキも女性になっていき…
気がつくと、連載最後の1年はどんどん時間軸が巻き取られていく。初めがゆったりしていただけに、この加速は切ない。そして、それこそがこの作品のテーマだったことを思い出させてくれる。

最終巻、あたりにいる唯一の若い男女だったタカヒロとマッキは街を出て、そちらで子供ができた。
先生がまるで別れを告げるように、思い出の品を渡す。
139話「夕凪通信」で、アルファさんがカメラを高々と放り投げて撮った俯瞰ショットは、この穏やかで切ない世界とのお別れなのだ、きっと。そして、次の最終話への、時間のジャンプを告げるためにも必要だったのだ。
このショットは、第1〜2巻の、世界提示のために必要だった俯瞰の絵の数々も思い起こさせる。それが余計に切ない。

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ここ数年、ITによる加速が政経から生活全般に渡って当たり前になっていき、経済の復調も伝えられる。バブル崩壊から日本は立ち直ってきた、という。
この作品の持つてろてろ感に、そろそろ別れを告げる時でもあるのだろう。
付け加えるならば、5/25に発売されるアフタヌーン7月号で「げんしけん」も最終回を迎えるはず。これは5/24深夜に更新しているので、まだ同誌を手にしていないが、空気の流れが変わってきていることが、雑誌や作品のあり方にもはっきり出てきている。

ただし、いくら技術による時間感覚の加速が可能であったとしても、簡単に1980〜1990年代を過去として葬り去るわけにはいかない。あれがあって、いまがある。なかったことにはできない。
そんな時代の(ギスギスしていた時の)記憶を、やわらかに描きとめた作品として、静かに長く記憶に残されていい。そんな読み方もできる。

無事に完結したことを、心から祝福したい。大きな作品ではないが、名品である。

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