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2006.05.16

ハルキの月が続いてる

先月紹介した沼野充義「ルポルタージュ ロシアの村上春樹」(文學界)、リチャード・パワーズ(柴田元幸訳)「ハルキ・ムラカミ−広域分散−自己鏡像化−地下世界−ニューロサイエンス流−魂シェアリング・ピクチャーショー」(新潮)。読了している。

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沼野氏のルポは本当に面白かった。

日本語を学んだ後、日本に9年も民間人として滞在したドミトリー・コヴァレーニン。新潟滞在中にクラブで日本人DJから推薦された本が、村上春樹だった。「羊をめぐる冒険」を一人でロシア語に翻訳し、Web上で公開してから熱心なメールを受け取るようになる。彼に始まり、いまやロシアで大きな人気を持つ村上春樹受容の広がりについて、複数の人に取材していく。
春樹はアメリカ的なのか日本的なのか、なぜ今ロシアで村上春樹が現代的な作家なのか。その果てに見えるのは、村上春樹がかつてのように「ポップカルチャー vs 純文学」といった国内での二項対立でとらえられる状況ではなくなり、世界文学の中にあるものだということ。

日本では(特に本をよく読む人々からは)、村上春樹に対して否定的なイメージも少なくない。まず現実にはあり得ない会話で、警句めいた言辞は適切に思えん、まるでニューエイジか神秘主義のようなわけのわからない事象を経て迎える結末は結局未解決のまんま、と欠点を並べ立て、まったく共感できないという人。内容はともかく長すぎる、あの三分の一で書けるだろう、という人。マーケットだけに顔を向ける作家になってしまった、という人。まぁいろいろ。
小説とは何か、ということに対して、romanceやnovelという言葉の生まれた地点に戻って定義をし、明治以降日本にどう導入されてきたかを考え、という文脈だけで考えれば、村上春樹はその美しい伝統からの断絶を日本全体に促したアホ作家という見方も成立してしまうかもしれない。
一方、小説がそれまで支配していた韻文から自由になっていく言葉の運動そのものであり、小説は常に自身の定義を更新し続ける存在と見れば、村上春樹は20世紀から続く小説刷新の中にいる一人であるとも見える。
どちらが正しいかということは問うても意味がなかろう。自分が生きる上で必要な言葉を食べるには、自分が何に空腹かに正しく気付いてさえいればいいのだから。

ただ、妙な喩えを一つするならば。18世紀後半のソナタ形式を極限まで押し広げて、19世紀音楽を切り開いたベートーヴェンは最晩年、ほとんどソナタ形式から逸脱してしまうような作品をたくさん書いた。交響曲第9番、最後のピアノソナタ6曲、後期の弦楽四重奏曲。たとえば第9が交響曲であるかどうかは議論が分かれるところであり、またこの作品の形式の不完全さを疑う人もいるが、圧倒的な重量をもたらす作品であることは確かだ。
村上春樹がそういう存在になるかどうかということではない。表現を芯から考え抜いていると、それまでの枠を超えてしまうという、ただそれだけのこと。

まぁしかし、本家日本ではこう評価されている(から、あなた方もそれを受け入れよ)、と伝統芸能のように言い立てることは出来ない地点に来ている、とはいえるか。いや、そういう言説が意味を持つのかを考えなければならない時、という地点にまで遡るべきだとも思うが。

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当然、リチャード・パワーズのような作家は、近年の大脳生理学、神経科学の発展から話を切り出す(「ガラテイア 2・2」の作者であるしね)。そして、村上春樹の一見荒唐無稽なエピソードや描写も、脳レベルで生起する事象をむしろ写実したもののように見える、という地点を通過する。
脳の中で驚くほど多くのモジュールが相互連結する脳世界のもたらす、自己像の不安定さ。そして、後期グローバル資本主義が奪っていく場所の固有性、人の居場所を曖昧にするメカニズム。そんな世の中を渡り歩いていく人々にこそ、彼の小説が読まれているという視点。
そして、彼の小説が描いていることは、これまで数多の叡知ある作家が描いてきたことと同じである、と結論付ける。

ワークショップの基調講演としては穏当。個人的にはもっとおもしろい話を期待していたが、それは期待しすぎだったか。
いえ、断っておきますが、つまらないわけじゃない、目にする価値はじゅうぶんあります。

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さて、今月7日発売の文學界6月号では、ワークショップ 世界は村上春樹をどう読むかにて、ワークショップの内容を収録している。もちろん現場での空気は参加者にしかわからないけれど、行けなかった人には読めるだけでもうれしい。
ただ、こちらはまだ読んでいない。今月の楽しみにゆっくりと。

今月は先に新潮6月号掲載の、梅田望夫と平野啓一郎の対談を読んだ。
今月は前編のようで、来月に続くそうである。これもなかなか読みごたえがある。なにしろ村上龍ではなく、平野啓一郎との対談というのがいい。
こちらはまた別の機会に。

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