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2006.07.24

跳躍の前には大きくかがむものだ

[ベートーヴェン作曲:交響曲第2番 ニ長調]

前回(9ヶ月近く前だが)、テレマンの協奏曲で触れたフランス・ブリュッヘン。
21世紀に入った今、ブリュッヘンがリコーダーを吹いていた話をすると、ぎょっとして「冗談でしょう、指揮者が教育用楽器を吹いていたなんて」と真顔で答える音大生さえいる。
もはや彼は指揮者と認知されているようだ。

ブリュッヘンが笛吹きとして最後に来日したのは1980年の11月だった。
当時、彼は天下に並ぶものなきリコーダー(ブロックフレーテ)、フラウト・トラヴェルソのカリスマだった。

そして来日公演は、イタリアの17世紀初頭、器楽音楽のソナタが誕生した頃を中心にした、凝った選曲。伴奏はチェンバロ奏者の渡辺順生氏。当時はまだ録音が少なく、魅力的な演奏会だった。
一方、大学受験を控えており、また親と少々確執のあった当時の私は、なんとしても現役で入学したかった。
バイトをする高校生のほうが少なかったあの頃−−決してバブルで豊かだったわけではない、バブルが見え始めるのは1986年以降で、それまではオイルショック後の低成長時代であり、高校生は今以上に金がなかったし、LPレコードも音楽会も高価だった。演奏会に行く資金は小遣いでやりくりしないといけない。すぐに捻出するのは無理だった。
何より受験勉強がやっと軌道に乗りかけていた(わたしゃ音楽と読書ばかりで、ロクに勉強していなかった)。いま聴きに行ったら、また音楽熱にやられて勉強がおろそかになるかもしれない。

過去の来日スケジュールを調べてみた。
3〜4年に一度は来日している。
−−大学在学中、少なくとも一度くらいは聞きに行けるだろう。
1980年の演奏会は見送ることにした。
下敷きに演奏会のチラシを挟み、この次こそは行くと決意して。

***

音楽断ちをしてまで受験に没入した成果はあったようで、翌年の春には大学生という身分を確保できた。
さぁ、また音楽と読書だ!
その春に発行された雑誌(季刊リコーダー、全音)で、私はショッキングな記事を見ることになる。正確な引用ではないが、ほぼ以下のような内容だった。

フランス・ブリュッヘンはリコーダー及びフルートの演奏者としては完全に引退する。

そして、過去に共演したり教えたりした音楽家達を集めて、18世紀オーケストラを結成する。

楽器は18世紀後半に使用されたもの、レパートリーは18世紀後半から19世紀初頭にかけての管弦楽曲及び交響曲。ラモー以降、特にハイドン、モーツァルトが中心で、ベートーヴェンは第3番までとなる予定。

現在、奏者に声をかけて準備をしている最中であり、活動の詳細は未定である。

笛吹きとしてのブリュッヘンを知ったのが比較的遅かった私は、実際の演奏に触れるのを心待ちにしていた。彼は最後の笛吹きとしての世界ツアーで、日本も廻っていた。
自分の選択が間違っていたとは思いたくなかったが、モヤモヤはきれいに晴れない。
そうは言っても、古楽器によるオーケストラという、前代未聞の試みが始まる。今度はそれを聞ける日がやってくる、と思い直した。

18世紀オーケストラの活動の様子は、たまに音楽雑誌で窺い知ることができる程度だった。録音もなかなか行われない。
そうこうするうち、1983年になると、クリストファー・ホグウッドの指揮する、古楽器によるモーツァルト交響曲全集が発売された。これはたいへんな評判を呼び、ブリュッヘンやアーノンクールなどの古楽器演奏を否定してきた人々からも高い評価を受ける。
しかし、その演奏を耳にした私は、別の意味でショックを受けた。

「こんな薄い音、そしてベルトコンベアに載せた量産品のような演奏で、みんな、ほんとにいいの?」
しかし、世間はレオンハルト、ブリュッヘンらのオランダ楽派と比べて、はるかに聞きやすいイギリス出身の第3世代古楽奏者達をどんどん受け入れていった。いやむしろ、ホグウッドやトレヴァー・ピノックらによって、初めて音楽評論家や愛好家にも受け入れられた。
そして、そのまま大学を卒業する日がやってきた。笛吹きとしての最後の録音群(コレルリのソナタ集の録音など)に触れることはあったが、在学中に18世紀オーケストラを耳にすることはかなわなかった。

社会人になってから、18世紀オーケストラ来日公演の情報をつかんだ。主催者に確認してチケット売り出しを待ち構えていた。しかし…
来日公演、中止。
どうも、テレマンやヴィヴァルディなどを演奏してほしいという興行側と、あくまで古典派こだわるブリュッヘン側とで折り合いがつかなかった、という噂も聞いた。
リコーダーを芸術楽器に押し上げたカリスマとして、特に日本で絶大な人気を誇っていただけに、古典派音楽指揮者のイメージが根付いていなかったのかもしれない。
いずれにせよ、ヨーロッパのコンサートを耳にした方々が絶賛していただけに、残念でならなかった。

***

1987年のある日、オランダ・フィリップス・レーベルの輸入CDが店頭に並んだ。
ジャケットはブリュッヘンが指揮する写真。
曲は、モーツァルト交響曲第40番ト短調、そしてベートーヴェン交響曲第1番ハ長調。
しかも、演奏会のライブ録音だ。
「ついに出た!」
CDをつかむと、レジに走った。

帰路、袋から取り出してジャケットを眺める。
Spnsored by IBMの文字が躍っている。個人で運営するオーケストラだけに、財政難、会場難など多数の問題を解決していかなければならなかったのだろう。
しかし、フィリップスからCDが発売されるところまで来た。
帰宅すると、呼吸を落ち着けた。ヘッドフォンに耳を当て、おもむろにCDプレイヤーの再生ボタンを押した。

モーツァルトからだった。それまでの古楽器オーケストラとは次元の違う、コクのある弦の響き。木管楽器の音は陰影が濃い。ホルンのフォルティッシモがオーケストラに実によく馴染む。速いテンポで一気呵成に進む音楽は、ホグウッドらの爽やかな表情とはまるで異なる。20世紀前半の巨匠指揮者のような趣さえある。
しかし、ハイライトはベートーヴェンだった。ひそやかに下属調で始まる序は、すぐにトランペットとティンパニが加わるトゥッティに至る。すばらしい間合いと音色の序奏、その先に待っていたのは、アレグロの圧倒的な力強さと推進力。
現代のオーケストラと違い、打楽器の音色は硬く、トランペットの音量は小さい。その分、弦楽器と一緒に強奏してもバランスはきちんと保たれる。現代の楽器で演奏する際の、金管と打楽器を抑え気味にする音色とは異なり、ほんとうに力強い響きになる。また、どの楽器もフォルティッシモとピアニッシモの音量差は現代楽器より緩やかだが、音色の差ははるかに大きい。その音色の変化がぞくぞくする興奮を生み出していく。
まるで今現在、そこで音楽が生まれてきたような新鮮さ。
実はCDを焼く際のミスで左右の位相が逆になっていたのだが、そんなことが気にならないくらいすばらしい演奏だった。
この演奏はレコード芸術の巻頭言を担当していた吉田秀和氏の「今月の一枚」に取り上げられ、あっという間に日本中に広まった。

***

そして1988年、ついに18世紀オーケストラの来日公演が実現する。
興奮した私は、東京公演のすべてのチケットを買い求めた。今度こそはキャンセルがありませんように。祈りながら当日を待った。

最初の公演(御茶ノ水カザルスホール)は、忘れられない。
ハイドンの生き生きとした響きもさることながら、休憩後のベートーヴェンの第2番のすごみ。

ベートーヴェンの交響曲は第3番から飛躍すると言われる。しかし、スコアをよくよく読めば、第2番こそ大きな飛躍であり、そこに盛り込みきれなかった大きな何かを突破しようとして、第3番が生まれてきたような印象がある。
たとえば、ベートーヴェンがモーツァルトやハイドンともっとも異なるのは、クレッシェンドしておいてすっと盛り上げずに引っ込めてしまう「ベートーヴェン・クレッシェンド」とともに、楽器がたっぷり重なった厚みのある音のままで、地響きのするような転調を繰り返すことだ。
その特性はたとえば、第2番の第1楽章コーダによく現れている。
このコーダでは、再現部で力強くしめくくられたニ長調から、弦楽器と木管楽器がどんどん遠い調性に赴く。短調の不安げな旋律に続いて、音が濁ったような、暗く不安な感じが濃厚に押し出されるように、楽器が積み重なっていく。そこに一筋の光が差し込むようにトランペットがニ長調を思い出させると、全楽器が一気に本来の調になだれ込む。その輝きの設計の見事なこと! 力強いフレーズの掛け合いが始まり、それはティンパニも交えた全楽器によるテーマの力強いユニゾンで決着を見せると、ニ長調の開放的な響きがこれでもかと駄目押しをして、楽章を終えるのだ。

この音楽構造が正しく音になった瞬間を、完全な形で実演で耳にしたのは初めてだった。余裕のあるフォルテを鳴らしていた弦楽器群は、コーダに至ってなりふりかまわぬ強奏に打って出て、それに反応する全管楽器が遠慮なく音を空中に飛び交わす。頭上に散る美しい音の交錯は、最後のユニゾンに力強く収束し、ニ長調の和音がホールを圧する。
畏怖するような強い音が残響の中に消え入るまでの数秒間、ブリュッヘンは手をおろさず、会場の誰もが身じろぎもしない。呼吸を完全に飲み込まれていた。おそるべき緊張が解けた直後、会場から漏れたのは咳払いではなく、感嘆のため息だった。
有名音楽家、評論家を多数まじえた客席はびっくりするほど音楽によく反応していたが、この第1楽章でツアーの勝利は確定したようなものだった。第4楽章まで微塵も乱れない一筆書きのような音楽に、会場からは熱心な拍手が送られた。

そして、アンコールにかかった「フィガロの結婚」序曲はまた、極上のシャンパンのようにプチプチと音が弾ける。あぁ、このまま幕が開いて、オペラが始まってしまえ!と終わるのが惜しいくらい。
その後、サントリーホールで聞いたハイドンとモーツァルト(交響曲39番)も実にすばらしかったが、室内楽編成のオーケストラに向いたカザルスホールの演奏会こそ、一生に何度も出会えないくらい、かけがえのない時間だった。
このときこそ、大学1年以来のモヤモヤが晴れ渡った瞬間でもあった。

この世界ツアーの最後、オランダで収録されたライブがCDとして発売されたが、第1楽章に関してはカザルスホールのほうがインパクトがあった。
そのカザルスホールももはやかつての形をとどめず、日大の管轄で新たにスタートを切っている。

***

ベートーヴェンの交響曲は、1番と2番の間のほうが大きな飛躍がある。
形式に大きな違いはないが、テクスチャははるかに豊かになり(つまり複雑にもなり)、クレッシェンドと転調の振幅も大きい。
恰幅のいい第1楽章、よく歌う第2楽章(快心の出来だったろう)、メヌエットをやめてスケルツォを初めて名乗らせた第3楽章。こうして出てきた3つの音楽をとりまとめるためにベートーヴェンが持ってきたのは、跳躍と転調の激しい第4楽章。
この曲で確かな手ごたえをつかめたからこそ、そしてわずかな欠点を克服するだけに留まらない道を見出したからこそ、第3番「エロイカ」を呼び出せたはずだ。つまり、ハイドンやモーツァルトらの開いてきた道から踏み出す力を、第2番で得ている。
そのことをブリュッヘンは、1993年の来日公演で証している。東京芸術劇場でやった第3番は、50名弱とは思えぬ響きで大ホールを制圧し、音楽の重量感と運動性の両立を見事に証明してみせた。このときの満場の喝采も忘れることができない。

音楽家の作品を追うとき、大きな跳躍の前こそおもしろい響きが隠れている。
ベートーヴェンの初期作品、また何よりハイドンの90番前後の交響曲の楽しさ(ハイドンがロンドン交響曲の前に書いた作品がいかに明晰で溌剌として美しいことか)。これらを説得力ある音で経験できたこの演奏会は、日本の音楽愛好家に古楽器オケが受け入れられることに大きく貢献したはずだ。

***

現代の楽器では平面的に響きやすい古典派作品は、古楽器と調律に気を配るだけで、大きく印象が変わる。
こうした古楽器オケのインパクトは、モダン楽器のオーケストラにも大きな影響を与えている。

それは先日触れた、パーヴォ・ヤルヴィ指揮/ドイツ・カンマーフィル・ブレーメンの演奏にも明らかだ(記事はここここと、こちら)。
というより、一周した影響はここまで来たのか、と感じ入った。それを如実に感じた1番と2番の演奏だった。

この先、演奏の想像力はどこまでゆくのか。曲が決まっていても、人によって読みも響きも異なり、また演奏会ごとに変わる。一般には重要視されにくい曲のようだが、第2番のような作品でこそ、その面白さが出る。

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