« 更新はちょっと停止中 | トップページ | 佐藤優氏の年か »

2006.08.23

交響詩篇エウレカセブン

真っ二つに激しく評価が分かれることがある。
小説の世界だと、たとえば舞城王太郎が思い浮かぶ。メフィスト出身のミステリー作家(?)、三島由紀夫賞受賞で純文学畑にも書いている(最近はやや静か)。熱烈なファンが多数つく一方で、「読むに耐えない!」と反発する人々もいる。

「交響詩篇エウレカセブン」もそんな作品じゃなかろうか。
テレビ放映された連続アニメ、全50話。DVDは全13巻で完結済。
(小説やコミックスもあるが、設定が共通で別の話。今回はアニメ版に限定する。)

普段からテレビアニメを見るクチではないのだが、たまたま、深夜枠の再放送を目にして、釘付けになった(28話:メメント・モリ)。
以降、できるだけ放映を見るようにしてきたが、今月から来月がクライマックスになっている。前半を知らないので、わからない仕掛けが多すぎる。
そんな折り、GyaOでお盆休みに向けて1〜40話を一挙公開。ノセられてるよなぁと思いつつ、見始めたら止まらなくなった!
こうして「エウレカ祭り」を自宅でやってたわけだ。

結局41話以降も見たくなり、(既に見ているにも関わらず復習のために)DVDをレンタル(Vol.11〜12)。さらに止まらなくなる。
Vol.13だけは貸出中ばかり。結局、買ってきた。
深夜の再放送を待たず、全部見てしまった。(でも深夜枠の放送も見続けると思う。)

面白い。失敗もたくさんしているんだが、それでもなお魅力に溢れている。
傑作とは呼べない。だけど、見る価値は十分ある。

作品そのものについては、公式サイトなどを参照していただきたい。(検索すればいくらでも出てくる。)
以下はネタバレを含む記述なので、まだ全部観ていない方は注意されたし。

***

一応ロボットアニメなのだが、作品の本質は Boy meets Girl。
というより、愛するという行為の発見、か。
主人公のレントン少年が恋した美少女エウレカは、なにしろ人間じゃない(そのことはかなり話が進むまで伏せられている。ほのめかされてはいるが)。
コーラリアンから発生した人間そっくりの知的生命体エウレカは、最初は軍に拾われることで軍人として人間社会に入る。そこで殺戮の怖れを知り、戦災孤児を引き取ることで母性愛を知り、さらにレントンを通じて恋という感情を学んでいく。
その縦軸に、異なる生命との共存共栄の可能性が絡み、さらに体制と反体制、自由と束縛、大人と子供、政治的現実と理想などといった二項対立関係がちりばめられていく。

サブカル(あるいはカウンターカルチャー)の名詞が出てきたり、作品世界の成り立ちが凝っていたりするようだが、おそらくそれは作品の本質じゃなかろう。(TR-606/808/909、LFO、Jobs&Wozといった音楽やコンピュータなどに関係する様々な語彙の遊びを有機的に展開しないのは、おそらく意識的なんじゃないかな。)
そんな遊びもあるが、基本は「レントン少年から観た世界が、エウレカへの一途な思いを通じた経験から広がっていく」様が描かれている。
世界の全貌はなかなか見えず、レントンと周囲の人との軋轢・いらだち・喜びと落胆ばかりが何度も波を打っていく。

このため、ガンダムのように戦記物的な世界にはならない。また、ロボット戦争アニメ共通の人物や政治に関する視点や話法もあまり使われない。
1〜2話はかなり有効に作用し、10〜12話は相当おもしろいが、回によって彼が乗り込んだゲッコーステイトの様子に踏み込みすぎたり、12話以降あまりにレントンが稚拙な男の子に描かれてしまったりして、必ずしもうまくいっていない回も出てくる。彼を引き込んだゲッコーステイトのリーダー、ホランドの扱いも、不安定に見受けられる。

しかし(かつてファースト・ガンダムでアムロ=レイがホワイトベースを飛び出したように)ゲッコーステイトを飛び出したレントンが、大人のビームズ夫妻(チャールズ&レイ)と出会う21〜22話あたりから、レントンの位置づけが安定し始める。そして、急激に見ごたえが出てくる。
ここから28話までの筋書きはファーストガンダムによく似ているが、内容が違う。レントンがエウレカを必要とし、またエウレカもレントンを必要とすることに気付き、離れた二人は追いかけあう。それは戦闘中に空で互いに手を携える美しいシーンへと結実する(人気のある26話:モーニング・グローリー)。ガンダムが下敷きになっているとわかっていても、おもしろい。
エウレカにベタ惚れのレントンが、エウレカからも想われるようになるここまでが、前半。
その直後、ゲッコーステイトとビームズ夫妻の死闘が続く2回に至る流れもすばらしい。特に28話:メメント・モリの、ビームズ夫妻のテーマ音楽を巧みに使った動と静の演出は出色。

***

後半、エウレカが人間でないことが明かされる。エウレカがコーラリアンという存在であること、そしてホランドの兄デューイ大佐が(レントンの父アドロックの名を引用しつつ)コーラリアン殲滅作戦を始動していく。二人の恋愛が、世界のあり様に直結する動きとなっていく。
一見すごく真面目な展開だが、むしろ「うる星やつら」の最終回に至る流れを思わせるところがある。
(↑筋書きや設定はまったく異なるが、ギャグと恋愛てんこ盛りの「うる星」において、諸星あたるもラムもそれぞれの想いを貫徹している。その方向性を連想させるということ。−−−翌日補足)

とはいえ40話以降、最終回手前の49話まで一直線に上昇して戦争アニメらしい熱も帯びる。真の約束の地へ赴いても、二人は何をするかさえわからず、ついていった子供たちとともに不穏な関係になる(44話)。そこに、コーラリアン殲滅計画の最終段階が発動される。
真の約束の地でやっと感情のもつれを解決したかと思いきや、エウレカの敵役であるアネモネと、最後の戦いを繰り広げる。この48話は、28話でのレイ・ビームズの哀しい死と対応するような構成(28話は特攻を決意したレイのハミングで始まり、48話は素に返ったアネモネの哀しい独白で始まる)。あの悲劇を繰り返さなかったことは、この作品の重要なポイントだろう。
さらに49話へと至る加速感を重視した演出は、欠点を補って余りある。

最終回はさらに急展開。ここまで大風呂敷を広げられた後だと、設定や伏線の消化具合が気にならないわけじゃない。
しかもラストは月に穿たれたハート。それまでの展開が好きな人でも、ここをどう捉えるかで、評価はかなり変わるハズ。

とにかく誠実だったのは、レントンがエウレカを想い、エウレカもその想いに応えて貫いたこと。それはアネモネとドミニクも同様。自分の見えないことに対して過剰なことを考えたり行動したりせず、目の前の存在を信じて、出来ることからやる、ということ。
(だからレントン主観で描く方向を選び取ったのだと思う。)

また、目の前の存在を信じることから始めると、同類でない者に出会った時、それを否定する方向に行くことがままある。レントンとエウレカは、異類も否定したくないということで一貫している。
(それだけに、最終回でエウレカを救いに行くレントンが、ニルヴァーシュ spec.3で抗体コーラリアンを殺していくシーンは、フクザツな心境。エウレカを選ぶために行った決意のゆえ、なのかもしれない。口でもはっきり謝っている。けれど、感情面での消化不良を感じるし、それは設定や伏線の未回収より目立つんじゃないか。−−−翌日補足)

最初に観た時、ハートの中に描かれた二人の名前はいらないんじゃないかと思った。
でも、それでは目の前にいるお互いを信じる、という出発点に重ならないし、二人は地球を救う愛の象徴になろうとしているわけじゃない。
だからスタッフは、月に落書き、を選んだのだろう。

このラストはおそらく、現代における Love and Peace とみた。

***

とにかくやっぱり、細かい不満などはあっても魅力に満ちた、得難い作品。


[トラックバック]
・さるぢえブログ「遠藤晶写真展」(2006.08.23)

|

« 更新はちょっと停止中 | トップページ | 佐藤優氏の年か »

コメント

言い足りない部分を2ヶ所補足しました。

投稿: kenken | 2006.08.23 10:39

人名誤記を訂正、また少し修正。

投稿: kenken | 2006.08.24 02:11

レンタルで今見終わってツアー中です。
二年以上たってからの今更コメントですが、
「失敗もたくさんしてるけど面白い、得がたい作品」ってとこ、同感です!

投稿: わお | 2008.10.30 23:11

わおさん、はじめまして。
2年以上経っていますが、最近はロボットアニメを題材にしたゲームに採用され、そちらから入ってくる方もいるそうです。
私は、いまでも時折見返します。
映像、特にライティングがとても美しいですよね。

投稿: Studio KenKen | 2008.10.30 23:34

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/16751/11566915

この記事へのトラックバック一覧です: 交響詩篇エウレカセブン:

« 更新はちょっと停止中 | トップページ | 佐藤優氏の年か »