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2006.12.31

NHK音楽祭のハイライト(モーツァルト)

今月放映されたNHK音楽祭2006のハイライトは、モーツァルトイヤーの掉尾を飾るものだった。


  1. 交響曲39番 ノリントン/N響
  2. レクイエム アーノンクール/ウィーン・コンチェントゥス・ムジクス&アーノルド・シェーンベルグ合唱団

***

ノリントンによるリハーサル風景はたいへんおもしろかった。彼はオケをのせるのがうまいのだな。
第1楽章の主部(アレグロに入ってから)、メロディーにものすごい抑揚を付けて歌う。続いて振ると、オケの演奏ががらりと変わる。
コンマスは「まろ」。ノリノリである。こういうのを受け入れるオーケストラに、N響はなったのだなぁ。

実際、この39番はとてもウィットに富んでいた。
第1楽章の序奏は速いのだが、明確なアクセントとフレージングにより、せせこましい感じがない。主部アレグロがあまり速くないことと相まって、序奏全体が緊張をはらみ(2度のぶつかる音が多いのだ)、それを解決したのが主部のように聴こえる。なるほど、調性音楽の極みを、こんな風に聴かせるのもありなんだ。
ヴィブラートを控え、音の響きあう様に耳を澄ませる楽団員の表情が、とても新鮮。こんなことが出来るオケだったんだ!
第2〜3楽章などは、先日触れたアーノンクール/ウィーン・フィルよりも魅力的なくらい。
おっとり進む第4楽章は、テンポが遅いため、フレーズの句読点が明確になり、始点から終点へと向かう弧がとてもきれいに響く。弾き飛ばす箇所がないためか、味わいが深くなる。もっと聴きたいと思うと、ちゃんと繰り返してくれる。

その楽しげな弾きっぷりを一番喜んでいたのは、振るノリントンだったのか。
曲の終わりと同時に、満面の笑顔で客席に手を広げて見せた。こういう人がもたらす音楽が幸せでないことなど、あり得ない。

***

アーノンクールのリハーサル風景はすごいものだった。
まず、あのギョロ眼である。怖いよ、あの眼は。
その眼で、主音ニで始まる "Requiem ..." と歌い出した途端、止める。

「もっと強く大きな声ではっきりと。大勢に聴こえるように。神にも届くように!」
神にも届くように、とはすごい形容だが、まさにその通りだ、だって鎮魂曲なんだから。
(断っておくが、アーノルド・シェーンベルグ合唱団は、ヨーロッパでも相当うまい合唱団である。)

そして続ける。
「日常生活でも、言いたいことは大声で何度も言って初めて伝わる」
(このあたり、記憶に基づいているので、完全に正確ではないかもしれないが、大体このような趣旨のことを話していた。)

彼は1950年代に古楽演奏をウィーンで始め、1960年代の数々の録音は賛否両論真っ二つに割れた。特にドイツ圏ではカラヤンやベームの全盛期だったことと相まって、酷評されることも多かった。
それでもバッハやモーツァルトを繰り返して演奏し、1980年代に入ると古楽器だけでなくモダン・オケを振るようにもなった。多くの理解を得られるようになったのは、1990年代からだろう。ウィーン・フィルやベルリン・フィルの客演で圧倒的な好評を占めるようになるまで、いったいどれだけの年月がかかり、それまで何度も演奏を通じて訴えてきたことか。
その生涯と重ね合わせてしまうような、一言。
また、アーノンクールのリハーサルは言葉が多いと聞くが、その形容・修辞の巧みさに改めて驚いた。ノリントンとは路線が違うが、これまたとてもすごい。

こんなだから、Dies Irae(怒りの日)の激しさは、押して知るべし。
他のことをしていても、耳をつかまれて聴かされてしまうような音。
その一方で、映画「アマデウス」にも使われて有名になったLacrimosa(涙の日)は、抑えた声量とクリアな発音が、胸を締めつける。
この凄みは、あの場にいてこそ本当に体験できた、彼の音楽は録音じゃないんだな。行けなかったことはやはり残念だった。
とにかく、儀式としての音楽を、楷書のようにきっちり書き上げた演奏。

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