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2007.02.23

iPodと音風景--エピローグ

前編および後編を先にお読みください。]

iPodを使っていると、むしろ耳につくのは都会の騒音であり、過酷な音環境、ということを書いた。
まぁ、格別に新しいことではない。多くの方が経験しているだろうし、様々な感想が出てくることだし。

たとえば、私は歩く際には使わなくなっていったが、10代前半から携帯型音楽プレイヤーに慣れた層は、むしろ積極的に使って自分の耳に入る音をコントロールするから、あまり音環境に不満を感じないのだろうか、と想像することもある。

また、私はイヤホンと環境音が打ち消しあうように感じて、不満を覚えたが。
デートの最中、彼氏あるいは彼女だけがイヤホンを着けていて、しかもそのまま普通に会話しているのを、繁華街で見かけるということは。
イヤホンをして、その音が周りの音と混じることをむしろ歓迎しており、さらに外部音を遮断している意識など毛頭ない、という人々もいるのかもしれない。

***

一方で、ノイズキャンセリング・ヘッドフォンはここ数ヶ月、いきなり製品の種類が増えてきた。
支持する人々が増えているのだろう。

ただ、これを使って周囲の音をなかったことにする、というのは選択肢の一つであって、本来の解決策ではない。
耳に過酷な状況なら、そうでなくなるようにすることに、もっと注目が集まってもいいんじゃないかと思う。

新幹線の車両は、新しくなるたびに、風切り音が減っている。出張や旅行で、古い車両と新しい車両の両方を短期間に乗れば、より新しい車両のほうがiPodを快適に楽しめると思う。自動車でも高級車には静粛性を売り物にするケースもある。
PCだって、数年前から静音モデルが増えており、また省電力設計の進んだノートPCも動作音は静かになってきた。
地下鉄は原理的に難しいだろうが、音の発生源を技術的に静かにさせることは、もっと標準的な装備になっていっていいと思う。

技術ではなく、運用も考慮しなければならないのが、広告音の発生源など。
あまりに何度も繰り返される音は、むしろ環境音になってしまって、あまり意味を持たない(iPodで同じ曲を数千回繰り返して暮らしてみれば、一聴瞭然)。
そういう音を流し続けることはむしろ意味がないだろ、という問いはもっと出ていいんじゃないだろうか。
(利用者は店の前を短時間通過するだけだから、むしろ意味がある、というのだろうけれど、日常そこを通る人々にとってはむしろジャマだろう。)

さらに、繁華街のビルに取り付けられたでかいディスプレイとスピーカーが、複数でそれぞれ音と映像を出し合い、交差点で交じり合うのは、醜い音風景だと思うのだが、そういう人はあまりいないのだろうか。

(もっとも、音がガンガン混じり合っても平気なのは、アジアに住む人々の特徴なのかもしれない、と思うことがある。もしかすると、こうだから複数の宗教が並行して存在できるのかもしれない。。。)

***

美しい風景を見て、それに合う音楽や響きが流れて喜ぶ人々が増えるのなら。
繁華街にも、場固有の空気があって、それに合う音楽を各自が選んでいる。それを尊重して普段は大きな音は流さない。利用者が必要を感じてアクセスすると、文字や音の情報を得られる。
その際、マイクを通じて、アクセス先に質問をすれば答えてもくれるとか。
それなら、ひそやかな話し声を特定の人とかわすことも可能とか。また、知人複数名に声をブロードキャストしたり、なんてこともできたりとか。(切り替えは自動とはいかないだろうし、制御の方法は考えるべきだろうけど。)
きちんと設計すれば、眼や耳が不自由な方々へのサポート技術にもつながるだろう。。。

妄想はそのへんにするとしても。
携帯音楽プレイヤーと、通信機の融合があるなら、音環境/音風景のために目が向けられてもいい。

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