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2007.02.21

iPodと音風景−−前編

iPod、もしくはウォークマンなど、小型のデジタルオーディオプレイヤー。
いまや近所の住宅街でさえ、誰かしら使っている。つまり、10〜30代は言うに及ばず、かなりお年を召した方も、白いイヤホンを耳に当てて、散歩や買い物をしている。
それくらい普及した。1999年頃の携帯電話のようだ。

私の生活にiPodが入ってから、1年半は過ぎた。
ちなみに、それまでカセットやMDの携帯プレイヤーを愛用したことがない。そのせいか、PCを母艦とするプレイヤーも長らく買わないできた。
そんな私が購入にあたり思ったことは、まとまった分量の音楽を自由に持ち歩ける暮らしがどんなものかを体験する、くらいのつもりだった。

いざ使ってみれば、思いの外、楽しい。よく連れ歩いて、ひょいと聴き、また外す。
たくさんの楽曲を一気に持ち出して、聴きたいと思ったらいつでも聴ける。それは確かに幸せだ。
これが、曲の入ったディスク/メモリ/カセットを差し替えるタイプの製品なら、ここまで楽しいとは感じなかったはず。しかもiPodのホイールによる操作は、生理的にはまる何かがある。人によっては中毒に近い状況になるかもしれない。

実際のところ、なければないで困ることもない。が、あればやはり使う。
そう、よほどのこと(今後iPod以外では一切音楽を聴けない状況など)がない限り、なくても暮らしてはいける。家でゆっくりCDを聴く、という以前の生活も、そう悪いものではなかったのだし。
では、iPodのある暮らしは変化をもたらさなかったのかといえば、そうではない。
一番変わったことは、音環境について以前より鋭敏になったことだ。

***

最初の頃は、あえて歩きながら使ってみた。
よく言われるように、見慣れた風景にちょっと変わった印象が重なる。
でっかい都庁を見上げながら、バッハやヴィヴァルディを聴いていると、音の運動がたくさんの窓の規則的な配置に呼応しているように見えたり。
公園、庭園の緑を歩きながら、エンヤを聴くと、いかにもそれっぽいと思ったり。続いてフランスの電子楽器オンドゥ・マルトゥノをかけると、目前の池に渡る風の音に聞こえてみたり。あるいはU2なぞを鳴らして、これはこれでまた味わい深いと感じたり。
それなりに面白い。

特にランダム再生だと、目前の風景に対して、この曲がかかるのか、とびっくりすることもある(マッチする場合も、マッチしない場合も)。
緑の中を歩いていて、池にたどり着いて景色が開けた途端、曲も転調して一段上った感じがする時など、確かに「おぉっ!」と感嘆する。これがよくいうiPodの醍醐味なのか、と思ってみたり。

ただ、しばらく使っていると、周りの音が聴こえにくくなること、また周りの音で曲が聴こえにくくなることの両方が、ストレスになる。
それに、ずっと音楽が耳元で鳴り続けると、疲れることもある。音楽にマヒしてしまっては、何のために聴くのかわからない。
歩いている最中は、いつの間にか聴かなくなった。

特に旅先。新幹線、宿以外では、iPodを使わない。
せっかくいつもと違う環境で、いつもとは異なる空気に触れているのだ。つまり非日常の音や気配に包まれているのに、耳を塞ぐのはもったいない。

そう、耳は音だけじゃなくて、気配も察知する。
気配を感じとりたい時には、耳を塞がない。

そういえば、京都を歩く欧米バックパッカーは、iPodで耳を塞ぐ人を意外に見かける。
勝手ながら、もったいないと思ってしまう。が、欧米人と日本人では、文化的文脈から聞こえが異なる面もあるのかもしれない、とも思う。

後編に続く]

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