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2007.02.06

自由意志と人間

人間に自由意志はあるのか、それとも意志は本来計量および予測が可能であり、自由意志などないのか。

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これは脳神経科学・生理心理学や科学哲学などの発展を待たずして、答えはほぼ出る。
純粋な意味での自由意志は、おそらくない。

人間という有機体は、その皮膚内で(外部と接触しつつ作用し続ける)閉じた系である。行動も内面も、みなその有機体内部の作用により、引き起こされるはずである。
そこにおいて、脳神経系を含んだ肉体作用をまったく超絶するような自由意志、というものを想定することはできない。
もしも肉体作用を超絶してしまう魂のような存在を想定するならば、それは一体自己なのだろうか。それこそが自己だとするなら、肉体とは何なのだろうか。
心身二元論の先を考えなければ、おそらくこの問題は解けないはずだ。

ちなみに、池谷裕二氏(脳科学者、医学薬学系出身で脳科学の幅広い分野を横断する研究者)は著書の中で「身体を動かそうという意志が生じるわずか前に、脳神経系は既に作用し始めている」という研究を引いて、どうも純粋な意味での自由意志はないようだ、と触れている。
(これは既に専門課程の入門書などではよく知られているようだ。)

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ただし、自由意志などないから、それを尊重する必要はない、ととらえてはいけない。それはやはりマチガイである。
自由意志はないとすれば。
遺伝と、環境や経験の積み重ねと、それによる神経系の現状を把握し、また今現在その人がいる環境で目立った刺激が何かを特定すれば、かなりの確度で行動や思考・感情を特定できるかもしれない。
しかし、そのすべてを完全に把握することは、ほぼ不可能ではないだろうか。可能だとしても、ものすごくコストがかかる。

さらに、自由意志がないとしても、人は「自由だ」「自由意志を持って決めている」と感じる瞬間がある。
自由意志の存在の有無とは別に、人は自由意志を発揮している瞬間を自覚する。そういう状態で好奇心を持って行動することは、快さをもたらし、心身を活発にする。(茂木健一郎氏を始めとする様々な脳科学の入門書でも触れられている。)

つまり、自由意志がなかったとしても、自由意志を感じる状態とはどのような状態かは捉えることが可能だろうし、それを大切にすることもできる。
そのほうが、自由意志を無いものとして各人の行動予測を行い、さらにそれを強制的にコントロールする方法を考えるよりも、はるかに安いコストで、人々に幸せをもたらすだろうと想像できる。
それに、社会構成員の各個が可能な限りよい状態を維持できるほうが、社会全体としても安定した進展を期待できる。それが、民主主義社会における「文化的生活」というヤツにも思える。

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この手のことを考え出すと、果たして脳が脳のことをすべてわかり尽くせるのか、などと考え出すので、このへんでいったん終了。

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