言葉狩りが鎮まったのはよかったけど
先日「内向きは日本のお家芸だけど」で触れた、柳沢厚労相の失言問題。ほぼ予想通りの展開になった。
先日のエントリーを書きながら懸念していたのは、言葉狩りになっては困る、という点。
一連の発言をした大臣が適任かどうかは問われるべきと考える一方で、発言の前後の文脈をとらえず一人歩きさせることに違和感も抱いていた。一番冷静だったのはニュースを見ている国民、というのはなかなか。
柳沢厚労相のような方はおそらく、企業で部長や役員にあれば、それなりの人望を集めるタイプだろうと思われる(企業ならば、面接などで選んだ人員で構成されているし、目的がはっきりしていることもある)。
ただ、社会全体について議論する時は、非常に様々なケースが出てくる。国会はそのような場であり、そこでこういう方を内閣において、少子化対策、労使関連法案を扱っていくのは果たしてどうか、いやそれ以上に、与野党ともに国民の本当の声を吸い上げた上でこの問題を議論しているのか、は未解決のまま。
本来、静かに(マニフェストに基づいて)議論をすべき点は、こちらだ。
たとえば教育関連法案改訂は、家庭での教育に期待するところが増大している。パートや派遣社員の位置づけなどを扱う労使関連法案は、賃金で正社員との大きな格差を減らしていく一方で、非正社員をその地位に留める(つまり正社員への昇格はない)内容を含む。
女性は教育をバッチリやり、家のこともやって、今のご時世らしく世帯の副収入も頑張る(専業主婦じゃない女性がどこまでそんなに時間を割けるか…)。
で、男性はいままでどおり仕事に邁進、父の背中を見て育て、というお父さんに戻っていく。
なんて雰囲気が醸し出されている気がするんだが、どうなんだろう。
あの一連の発言には、そういう背景が透けて見えるから、引っかかりを感じる人が声を上げ、逆にそれをおかしいとなじる人も出てきてしまう…
でも、大切なことは、各自が精一杯生きて、それぞれに適切な家庭や仕事を見出していくことだろう。
戦後社会、ことに1980年代以降に様々な制約が法律・社会習慣とも自由になっていったのは、戦後の廃虚から経済成長に邁進し、そのために企業や家庭に対する規範にはまってないと後ろ指差される、そんな世の中はかえって居心地が悪い人々をたくさん生み出す、という考えが底にあったんじゃないか。
現在は逆に、そんなことをしたから、若者はバラバラになってしまったし、オウムみたいのも出てくる、だから昔のような日本に戻すんだ、という方向に見える。
それで本当に解決するんだろうか。
たとえば、女性が労働力に組み込まれたまんま、子供の教育に対する要求水準が上がってしまい、それを男性がどう捉えるかに関する議論がないがしろにされている点が、問題なんじゃないか。(スーパーママに、誰もがなれるわけじゃない。)
また、もしも再チャレンジを重視するなら、教育を家庭や個人の資質に移管していくだけでは無理で、ゆとり教育でなぜ底上げが難しかったかを真剣に考えた上で施策を打ち出さなければならないし、社会に出てからも技能を積む場を増やす必要があるだろう。
その点を踏まえた上で、政策を通じた質疑応答をしつつ、進退を問うのが野党本来の筋。それをやらないで、言葉尻をとらえてばかりいるから、呆れられてしまう。
(民主党は寄り合い所帯だから、まとまりにくいんだろうけれど。)
そのまんま東氏が宮崎県知事になったのはおそらく、選挙民に「この人はマニフェストを掲げ、本気で筋を通そうとしている(んじゃないか)」と受け取られたからだろう(実際に知事としてどうかは、当たり前だがこれからである)。
これに危機感を持てないなら、野党は機能しなくなってしまう、そのほうが国会をおそろしい場にしてしまう…大丈夫なのかな。
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・銀河望遠鏡のBook-Cafe:「生む機械」と「働く機械」(2007.02.15)
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