棚の前にいつも思う
規模の大きな書店に入る。文芸作品のあるコーナー(あるいはフロア)に行ってみる。
棚に大量の本が並んでいる。
たいていはSF・ファンジー・ミステリー・詩歌のような特定分野と、そのような分類にあてはまらない小説一般・文芸一般、といった具合に、まずジャンル分けされている。
それぞれのジャンルの中では、著者名あいうえお順に並ぶ。
小説一般について言えば、三省堂、紀伊国屋といった日本を代表するメジャーな書店で、男性作家/女性作家という棚がある。
実は何度行ってもこれに馴染めない。
そういうと「なんで?」と疑問を呈されることがある。
つまり、まず作家を男女に分けて、それから本を探す人にとっては、著者の男女別に分けられていると、買いやすい。ということらしい。
また「あたしは女だから、まず女性作家から見て、ついでに他の作家を見るから、男女別のほうがずっと楽」、逆に「どうせ女流の棚など滅多に見ないから」という方もいる。
私の場合、単純に著者名あいうえお順にとらえている。
そうなると、紀伊国屋などの場合「あ、これは男性作家コーナーか」「あれは女性作家か…」と頭でソートし直す。ちょいとメンドーである。
ちなみに、ジュンク堂書店などは、著者の男女による分類は行っていない。
こういった書店に行くと、私は探しやすくて落ち着く。
(著者男女別にとらえる方は、この手の書店はアクセスしにくい…という話はあまり聞かないような気もするなぁ…あまり気にならないのが普通なのか?)
文芸作品が多くを占める文庫では、著者を男女別に並べていない。
また、文芸以外のジャンルでも、著者男女別はまず見かけない。
タレント本、写真集などは著者やモデルの男女別に分かれていることが多い。雑誌もまぁ男性向け・女性向けのコーナーになっている。これは群がる読者の便宜に直結するからだろう。
つまり、文芸作品を男性作家と女性作家に分ける書店では、それが読者の便宜に繋がっていると考えているように見受けられる。
かつて作家は圧倒的に男性だった。女性の作家は少なく、というより作家というのは男の職だった(その頃は、女性は家庭に入るものでもあった)。
女性の作家が少しずつ増えてきたからこそ、女流文学という言葉が登場し、浸透していったのだろう(女流文学賞という賞だって存在する)。
その頃から既に、棚は男女別に構成されていたのだろうか。
普通に考えるなら、たとえば女性の作品を読みたがる世代の近い女性読者がいるから、著者の男女に分けるほうが探しやすい、ということで、現在の配置に落ち着いたのだろうけど。
いまや、あえて「女流文学」というわけでもないだろう。
それでもやはり買う側は「これは女性作家だから」と意識するのだろうか。
書店もやはり男女別に分けて配置するのだろうか。
(女性作家らしい細やかさなどというのは、実際の作品に触れると幻想だと思い知ることが多いんじゃなかろうか。もちろん男女の傾向は否定しないが、文芸作品に関してはむしろ、作家個人の資質に帰することが多いんじゃなかろうか。だって文芸は、社会学のサンプルからはみ出た事柄も多数扱ってこそ、なのだから。)
まー、みんなが便利というなら、むしろ私が特異体質なのかもしれない。
ただ、文庫の配置を思うと、いまさら著者男女別に棚を分ける意義をあまり感じないな。
控えめに、しかし確かに、そう思う。
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