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2007.04.29

ロストロポーヴィッチ氏、逝去

チェロ奏者、指揮者のロストロポーヴィッチ氏、逝去。享年80歳。

Yahoo!ニュース、毎日新聞提供の記事(4/27)

旧ソ連(現アゼルバイジャン)出身。20世紀後半に君臨し続けたチェロ奏者であり、後に指揮活動を中心に置くようになった。
若い頃から神童として注目され、数々の国際コンクールを総なめにして、パブロ・カザルスの後継者のような位置に立つ。1960年代に反体制分子として国外活動を禁止された。
1974年、謹慎が解けて西側の演奏旅行に出るや、英国で亡命を宣言(後にソ連市民権を剥奪される)。チェロのソリストとして活動する他、1977年より米国に定住、ナショナル交響楽団の音楽監督として指揮活動にも力を入れ始めた。
ソ連崩壊をきっかけにして、1989年には故国での市民権が復活、その後は文字通り世界を縦横に動く活動を続けた。

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線が太く、雄渾。超絶技巧を楽にこなし、息の長い旋律を紡ぐ。何を弾いても、スケールの大きな流れを醸し出す。
中国の部将が詠む詩のような世界。
男らしい、という言葉が大変似合う音楽の造形。

私がクラシックに触れ始めた1970年代半ば、シューマンやドヴォルジャークのチェロ協奏曲、ベートーヴェンのチェロ・ソナタ、バッハの無伴奏チェロ組曲、チャイコフスキーのピアノ・トリオといった手始めに聞く曲の数々で、何度も彼の音を耳にしてきた。
それは、誰もがひれ伏してしまうくらいの力を一時期、持っていた。
あの頃、リヒテルのピアノ、ロストロのチェロと言えば、多くの人々が黙って耳を澄ませるものだった。
作曲家のショスタコーヴィッチと親交があり、またブリテンら20世紀を代表する多くの作曲家から、初演曲を捧げられている。

一方で、音楽家という言葉以上の存在であり、日本の野球界にたとえれば長嶋茂雄のような存在感があった。
ソ連時代には作家ソルジェニーチィンをかくまったし、亡命後も楽壇のあり方に心を砕いてきた。また世界の王族・皇族と親交があり、それを通じて、音楽と、自由・平和とを結びつけていく活動へのヴァイタリティもあった。
存在自体が、音楽の枠を超えた影響力を持つタイプの音楽家だったとも言える。

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好きな音楽家だったかと問われれば、必ずしもそうではない。
ただ、旧ソ連の音楽英才教育から生まれ出た傑物のすごさがあればこそ、1970年代の楽壇を引っ張っていけたのだ、ということも感じていた。

クラシック音楽の演奏は1970年代以降、ピリオド楽器(古楽器)、ピリオド奏法、重厚長大の極点に達した演奏からの離脱(大編成でないマーラー演奏)、オケでの室内楽的な微細なフレーズ表現など、様々な変化と分岐があった。
それはしかし、中央にどっしりした柱として、カラヤンやロストロポーヴィッチのような国際的音楽家の活動が成り立っていて、それが覆い尽くす政治性へのアンチテーゼ的な意味合いも少なくなかったように感じることがある。
とはいえ、1990年代以降、いわゆる中央楽壇のような存在はどんどん相対化され、様々な演奏が録音で溢れていくにつれて、ラトル(はたまた若いハーディング)のように、曲ごとに様々なスタイルをとれる新しい指揮者や演奏家を生み出すようになっていった。

音楽を演奏するということはどういうことか、これからはどうなっていくのか。
改めて、そのことを思い起こさせる訃報だった。
合掌。

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