小林信彦「日本橋バビロン」
文學界5月号(4月7日発売)の中篇小説をいくつか読んで、なんだか全然すっきりせず、ため息をついた。
そういえば、先月の積ん読として、文學界に小林信彦「日本橋バビロン」が載っていたことを思い出した。
同時に、先月の新潮に古川日出男「ゴッドスター」が掲載されていたことも思い出した。
まずは、おそらく落ち着いた日本語を読めるであろう、前者を先に手にした。
「親父さんは男の子二人と両手をつないで、銀座を歩くのが夢だったんだって……知らなかっただろ?」
弟が突然言った。
「知らない」
私はそう答える。
「お袋さんから聞いたんだ。それが親父さんの夢だったんだ」
時間が経つにつれて、父の<夢>が心に食い入ってきた。
なぜ、そうなるかについては若干の説明を要する。時代背景というものがわからなければ、弟の言葉はどうということもないからだ。
書き出しは、弟の語る、自分には知らされなかった、父の夢。
そこから「父親につれられて親子四人で<銀座を歩いた日>のこと」を、たぐり寄せる。
そう、<銀座を歩く>ということの意味、ニュアンス。さらに、東京の、街の、時間の遡及が始まる。同時に、和菓子の老舗の跡取り息子だったという父の立場と、父自身のこと。
生まれ故郷の「東日本橋」が、かつては「両国」であったこと。そして両国橋を東に渡った今の「両国」は、最初は「東両国」だったこと。
「旧日本橋区」に関する資料を紐解きながら、時間は一挙に明暦大火に飛ぶ。
重心が低く安定した、よどみない語り。
あぁ、五臓六腑に染み渡る。
しかし創作らしさはすぐに消え、資料を元に時空を大きく江戸に巻き戻す。そこから両国(および柳橋)という地区の活況を描き出す。
小説というより、まるで氏のいつものエッセイを読むようだ。この江戸〜東京の話芸は、ジャンルの意識を飛ばして、いつの間にか氏の世界へと誘ってくれる。
(これを知るか、または代々東京住まいとして下町の歴史をいくらか聞いているのでなければ、旧制のナンバースクールに両国中学があった理由は、おそらく実感できまい。)
歴史を辿って一度明治に至り、そこからやっと天保生まれの祖父の話に入る。
これで家族の様々を描くクロニクル(時代を追う大河小説)になるのかと思いきや、クロニクルを拒絶し、祖父、父、そして自分と、東京市(後の東京都)の変遷とが、DNAの二重螺旋のように絡み合う。
このあたりから、ページをめくる手を止めることができない。
確かな和菓子職人であり、商機に目ざとく、婿入りした店を発展させ、さらには暖簾分けした人々を集めて立花会をまとめていく八代目の祖父。
関東大震災を生き抜き、新築した店には地下に倉庫と工場まで設け、さらに東京市復興にも尽力する。
その息子(父)は、自動車が好きで、エンジニア志望だったろうが、和菓子屋の長男という立場の手前、師範学校を出てから親の跡を継いでいく。
作者である私の話はその後、昭和に入ってから。戦前の、成功している商家の息子の、豊かで穏やかな生活。映画や観劇を通じて肌で感じる、銀座や丸の内の質感。
やがてやってくる太平洋戦争。祖父の死後、父は必死になって(おそらく向かなかったであろう)和菓子屋を維持しながら、疎開先も探す。
敗戦と、家業の困窮(十代目までは何もしなくても食べていけるとまで言われた店が!)。
本家をいじりにやってくる親族。そんな中の、大学進学、病に侵されていく父との会話。必然のごとくやってくる、廃業と父の死、引っ越し。
筆致は淡々とする中にも、容赦ないものがある。愛憎などという生やさしい言葉で表現できるものではない。
そう、これはエッセイなどではない、紛れもなく小説の大きさだ。
そうして時は、一気に現代に追いつく。
情報雑誌の編集者に依頼され、待ち合わせの少し前、かつて自分が住んでいたあたりを辿る。
失われていた地理感覚に驚きつつ、喫茶店で休む。
入った喫茶店が、かつて自分の知る牛乳店だったことに驚く。
お茶を買った店で聞いた、かつて自分の住んでいた場所から出てきたもの…
これは本編を読んでいただくしかない。
その重さに呆然としたまま、作品は「了」となる。
江戸から東京に至る下町文化の変遷と、その変化に押し流されていく三代記。
内容は過去のエッセイと重複する箇所も多いが、時間と場の変遷自体が、随所に主人公一家との伏線を形成している。以前に触れた場所や店のこと、映画や演劇その他のイベントなどが、後にツイと効いてくる。
それだけでも読み応えがある。
ただ、個人的にまったく別のところで琴線に触れてきた。
私の家もかつては商家であり、東京下町の商家を、少しは肌で知っている(私自身は下町で育ったわけではないが)。
下町がかつて文化的にも壊滅的な打撃を受け、1970年代後半からやっと盛り返してきたことも含めて、だ。
親の命令がある種の絶対性を帯びがちな商家における、親子の会話。それがまさに変わっていく様。
ちょっと時が変われば、これはオレだったのかもしれないという実感。
九代目の父との会話が、何度も胸に迫ってくる。
東京に生まれ育ち、芸能に知悉し、至芸の語りを持つ作者ならではの、珠玉の一篇だ。
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