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2007.07.03

ETV特集・吉田秀和

先日放映された「ETV特集・吉田秀和」を、録画で見た。

吉田秀和氏は、90歳を超える現役の音楽評論家。終戦直後から一貫してクラシック音楽について書き、語り、教育に関わっている。
1950年代の二十世紀音楽研究所設立は、おそらく戦後音楽史の一つのエポックだろう(私はリアルタイム世代ではないが、様々な前衛音楽創作活動を横断する場、初演を行う場があったことは重要であり、その精神は、後に音楽祭で現代音楽が多数上演されることに引き継がれていると感じる)。
1980年代以降は美術評論も展開。最近は水戸芸術館の館長も務めている。昨年、文化勲章を受章。

個人的には、中原中也と東大で出会って以来、友人だったこと、鎌倉に暮らす鎌倉文人の一人であり、小林秀雄、大岡昇平らと交流があった、といったことを思う。
つまり、第2次大戦前夜から現代に至る、近現代文化史と音楽の生き証人である。政治家なら後藤田正晴氏、宮沢喜一氏らのような存在でもあるか。

そんな氏の軌跡を映像とナレーションで追いながら、作家・堀江敏幸氏によるインタビューを挟む構成。

マイクに対して、真摯に、しかし軽やかに応える姿は相変わらずであり、この方は老いてますます明るく研ぎ澄まされているのかと驚く。(生と死に向き合い、芸術について思考してきた、氏ならではだ。)

番組自体は、これまでの名文・名台詞の集約もあって、見応えじゅうぶん。

***

一方で、インタビュアーの堀江敏幸氏は、なぜそんなつまらないことをくそまじめに聞くのか、と不思議でならなかった。ホロヴィッツの初回の来日を「ひび割れた骨董」と評したことについて、あんなつまらないことを聴くなんて!
(堀江氏の小説やエッセイを、私はそれなりに楽しんでいるほうだと思うが、その印象と今回のインタビューはかけ離れている。なぜこんな上っ面を撫でることに終始したのか。新潮社の「考える人」で活字になっているそうだから、読んでみるか。)

吉田秀和氏は、演奏をする人(プロアマ問わず)からは、賛否が非常に分かれる。極端な言い方をすれば、演奏をする人々は、氏の評論が的外れで、時代遅れで、つまらない教養主義の見本、と思っている方もいる(いや、多い)、ということ。
私が氏の評論をずっと読み続けているのは、芸術論や作曲家論を通じて、この方はどう音楽をとらえており、そこに何を求め、感じ、考えているかが伝わってくるから。だから、自分の考える名演奏とはかけ離れた演奏を推奨されても、なぜそれを推すのかがわかる。そんな文を書く方は、少ない。
それ以上に大きいのは、人間は音楽や美術や文学などの芸術なしには生きてゆけない存在なのだ、ということを、生涯の底流に据えて、書き綴っているから。(でなければ、生・死・詩歌・芸術といった流れの発言など、出てくるわけがない。)

おそらく番組のディレクターや、堀江氏のような方には自明なことなのかもしれない。
しかし、長く音楽の地位が低かった日本という国で、これだけ音楽享受の広がりがあったのは、単なる経済成長だけが理由ではない。氏のような方が、音楽はただ一時の慰めを得るためだけのものではないと、しつこく声を上げていたことで、どれだけ多くの若者が高いLPレコードや演奏会費用を払うことに、勇気づけられてきたことか。(それを思えば、今のCDの価格は隔世の感があるが。)
そのような背景をぶつけていくことで、もう一歩深い番組に出来たのではなかろうか。(むしろ吉田氏自身が口にされたことではあったが、そのような瞬間こそインタビュアーが切り込むところだと思うのだが。)

おもしろかった。が、つくづく惜しい番組でもあった。

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