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2007.07.31

日本国は単なる会社じゃありません

前のエントリー「忘れ難き日だろう」の最後に、日本の戦後政治のメインストリームとして自民党や社会党、共産党などに少し触れ、メインとなる選択肢やオルタナティヴということを話題にした。
過去についての話だから、こうした枠組みに触れるわけだが、これからのことを考えれば違う話題に転ずることになる。

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党というのは、イデオロギーや政治経済の方向を共にする人間が集まり、そこから導き出される政策を実現するための組織だ。党が複数あり、さらに巨大な政党は内部に派閥があり、それぞれが政策のパッケージを示す。有権者はそれを選挙で選択する。
しかし、実際のところ、有権者の本音は「地域振興策はこの政策がいいけど、選挙制度はあれがよくて、税制はまた…」という具合に、一つの政党が示すパッケージだけで満足しないケースも多い。
それでも、経済成長と豊かさの享受が大きな目標だった1980年あたりまでは、政党のパッケージ政策を選ぶことでどうにかなってきた。より便利で豊かに、が暗黙の了承だったので、どこがそれをもたらすかを目安に出来たからだ。
ある程度の豊かさが行き渡り始めたのと、無党派層が拡大していったのが時期を同じくしている。現在重点を置いてほしい政策に対して、自分に合いそうな候補者を選ぶ、それがなければ仕方なく希望に近そうな政党を選ぶ。だから、時々大きく票が動く。以前は自民党から社民党へ、今回は自民党から民主党へ。

パッケージ選択の方法に関しては、結婚式の変遷が参考になるのかもしれない。
以前は、ホテルや結婚式場の示すパッケージがあり、式のランクに応じて料理も式次第もある程度決まっている。ランクの高い=料金の高い式は、料理もドレスも会場も引き出物もみんな高い。安い式はその逆。そこにオプションの希望を少し盛り込んで、あとは半ばオートマティックに動く。
それが、パッケージは一応あっても、料理はお金をかけるが、ドレスはシンプル、引き出物は簡素で邪魔にならないもの、といった具合に選択可能になっていく。会場も洋館貸し切りなどバリエーションが豊富。
おそらく、政策もそんな風に選びたい、と思っているのが、無党派層なんじゃないか。

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ただ、同じ選ぶにしても「この日本をどうするのか、どうしたいのか」に沿って考えるのが本筋であるはずだが、それをイデオロギーなどで集約しない(できなくなってきた)ため、ぼんやりしたまま選ばなければならない。
だから、民主党が菅・鳩山体制で最初に躍進した時、マニフェストという言葉に焦点が当たった。あれは従来の政策パッケージというシステムの見直しに見えたから、無党派層の支持を受けた。

逆に、コイズミ流の「自民党をぶっ壊す、既得権益をぶっ壊す」「郵政民営化は改革の柱だ」のようなわかりやすいメッセージは、政策パッケージに代わる意味を持ち、支持を受けた。マニフェストよりインパクトがあったのだろう。
そこを先取りされたマスコミは、むしろ民衆の支持を失ってしまい、政権チェックのための情報を提供する機能を果たしにくくなってきたのも、とても皮肉だ。

いずれにせよ、パッケージを選ぶことが難しくなった以上、選挙の争点は首相や党首が何を言うか(強調するか)にかかってくる。

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安倍政権の「戦後レジームの脱却」は、色々なことが盛り込まれているが、最終的には敗戦国として扱われている今の日本を脱却する、という意味合いなのだろう。
しかし、教育改革だのなんだの、精神論が中心で、具体的に何をどうするのかがはっきりしない。政治というのはそれこそが大切なはずなのに(まぁ具体的なものを切り出してうまくいかなかったら、すぐに責任問題に発展するし、具体的なことはもっと下々の者がやれってことなのかもしれんが、それこそ妙な話)。
そして、政策パッケージを示せないまま(というより小泉政権時代のものを借りたまま「憲法改正」を付け加えた)、年金問題を小さく見て対応を誤り、閣僚の相次ぐ失言とともに選挙に臨んで負けた、という格好か。

一方、財界からは安倍政権擁護の声も出ているようだ。
実際、安倍政権ほど効率よく様々な法案が通ったことはないくらいで、異常なくらい失点が少ない。ということは、衆議院の圧倒的多数を背景に、反対の声を「ムダな抵抗」と切り捨てたことも意味する。
選挙結果はその強引さに反発が出た、とも言えるかもしれない。

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こうした流れを見ると、会社を運営するように、効率よく政界も運営しなければならず、そのためにはムダを切り捨て、抵抗は排除すべし、という発想を持つ人々が増えているのだろうか(主に政界や財界に)。
会社というのは、企業理念や創業者・経営者の考え方を通じて、最大の利益を求めるために、人を選んで集める、また集まる側も(ある程度は)望んで入る組織だ。経営者が交替する、企業理念や経営方針が変わる、就業規則が変わる、といった節目により、そこにいられなくなれば、辞めて他を探すことも不可能ではない(難しいケースも多いが)。

しかし、日本語を話す人々が集まって形成している日本という社会は、好むと好まざるとに関わらず、そこに生まれ育っている人々が織りなしている。そこから出て行くことは、必ずしも容易ではないケースが多い(というよりムリな人々のほうが多いのではないか)。お前はムダだと排除されたら、会社組織とは違い、行き場がなくなってしまう。だからこそ、多数決であっても、少数派の意見もじゅうぶんに汲んで、というプロセスが必要になる。
そもそも民主主義によるプロセスは、議論を踏まえるから時間がかかるものだ。その最大の利点とは本来、最上を選べなかったとしても、次点くらいは選べるし、最悪は選びにくい、という点にある。だから、時間というコストを支払ってきている。ムダが多いというなら、切り捨てるのではなく、どうすれば先取りしていけるか、またそれが間違っていたらどうすれば速く直せるかに議論を集約すべきだろう。

社会全体を考慮してデザインされた政策を打ち出す必要のある政治の世界で、同じ言葉を話す民について、違う考え方は排除する発想がまかり通るとしたら、こんなにおそろしいことはない。
それは、基本的人権という日本国憲法の最も崇高な理念を排除することにほとんど等しい。あんなやつに人権はない、などとはいわない、だからこそ、お互いに生きやすくなるように協力しよう、そう(戦争の悲惨な体験を通じて実感してきた人々が)受け止めたからこそ、戦後の憲法は親しまれてきたんじゃないのか。

もちろん人は体型体格や知的能力、気質や感情の方向、行動の癖など、様々な違いがある。
そんなことは当たり前のことだ。
それを踏まえた上で、競争による経済的な向上をどう活性化し続けていくか、また最低の生活をどういう体制で保証していくのか、この二つの方向のバランスをどうとるか、それが国を治める肝要だろう。

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もうそんなことはうまくいかないから、覚悟してくださいね、という話になり、まさか自分はそうなるまいと思ってきた人々も多かったが、実際には予想以上に多くの人が切り捨てられる側に入ってしまい、不満が噴き出した、という状況にも見える。

つまり、参議院選挙の結果は様々に分析可能だろうが、安倍政権の選択がどうも現在の経済強者に顔を向けている、他へのバランスを考えていないようだ、というのも一つのポイントだったんじゃないか。
逆に言えば、それを期待された民主党は、きちんと提言・実行していかなければ、あっという間に見放されることも意味する。

亥年現象は起きなかった。ということは、今後の推移は、意外なくらい注目されるはず。
だからこそ、情けない状況にはならないでほしい、どの議員も、どの党も。

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P.S.
それにしても不思議なのは、政党がマニフェストを出している中、それに沿って議論を噛み合わせることがあまりない点だ。
双方、自分達の言いたいことを、言いっ放しで終わったようなもの。
この伝統(?)は、コイズミ流の浸透と関係しているように感じている。小泉首相の国会論戦は、取り合わずに大声でたたみかけ、次の話題へ移してしまうことが多かった。それを、与野党ともに倣うようになってきているのか?
言葉を軽視する政治は、そのうち言霊にしっぺ返しをくらうと思うんだが。

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