« 日本国は単なる会社じゃありません | トップページ | 秋葉原の「ザ・コン館」、9月末閉店 »

2007.08.04

断固として夏が/レッテルで安心するな

本日、断固として夏がやってきた。
朝から暑い。風がぬるい。洗濯物は乾くけど、汗はまったくひかない。
セミが鳴きまくってる。ついでにどこぞのガキが金切り声をあげまくる。
しかたないんで、どっかに退散する。
夜、帰路でまだセミが鳴きまくってる。
ねっとりした風。あぁ、東京の夏。
せめて、猫だまりの子猫を思い出して和む。
(薄いグレー、白足袋履いたような、かわいい子。)

***

ところで、先日のエントリーで小田実についてちょっと触れたが。
こういうのを見た途端、延髄反射的に「あ、サヨク」と思う人って、いるんだろぉなぁ。

しかし、そうやってレッテルを貼って「サヨクとはもう話はできません」と言ってしまえば、それは思考停止と大差ないよなぁ。
(ちなみにあたくしは左翼ではございません。単に読んだ文献の中の一つに小田実があっただけじゃ。)

たとえば、小熊英二氏の仕事はすばらしい。様々な言説を読み解きながら、現在の視点じゃなく、当時その言説がどう受け止められていたかという文脈を掘り起こし、それが現在にどう繋がっているかを解き明かそうとしているところがいい。
小熊氏の仕事は、文献は単に読めばいいだけじゃない、日本語の意味がわかっても、それがどういう文脈で、どういう意味をもって使われていたかを読み込まないと捉え損なう、だからそうならないように整理しよう、という当たり前のことを、とても丹念に行っている。
ただし、そのような仕事についても「なんだ、売国奴達と結局同じこと言ってるんじゃない、こいつも売国奴だ」と思っちゃう人もいるのかもしれんね。
こういうのは、単にレッテル貼って安心してるのと変わらんのじゃないかな。

すべての区別が差別を生み出す、という何かの原理主義のような考え方には賛同できないが。
ある考えは、かならず何かの文脈の中で思いつく。そこを切り離して、あたかも思想や思考が人から独立したモノのように扱うのは、とても危険だ(便利な場合だってあるけど、暴走には注意しないといけない)。
レッテル貼って安心しそうになっている自分を見つけたら注意せよ、ということは、少なくとも自分は出来るだけ肝に銘じていたい。

***

さて、次回のエントリーあたりから、いつものペースに戻しましょうか。

|

« 日本国は単なる会社じゃありません | トップページ | 秋葉原の「ザ・コン館」、9月末閉店 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/16751/16008366

この記事へのトラックバック一覧です: 断固として夏が/レッテルで安心するな:

« 日本国は単なる会社じゃありません | トップページ | 秋葉原の「ザ・コン館」、9月末閉店 »