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2008.04.09

いまごろ「ウェブ時代をゆく」について

実は昨年末の記事の今後の予定には「11月に発売された『ウェブ時代をゆく』雑感」が入っていた。
とっくに読み終えていたのに放置した理由は単純、3月末に向けて集中すべきことがあったためで、他意はない。

「ウェブ時代をゆく」は、Webが情報というより生活のベースになる時代に、いかに働き、生きるかについて、梅田氏流の見解をまとめている。
仕事術のような気配も少し混じり、他の著作のような、シリコンバレー発の新しい空気が流れ込んでくるような内容ではない。人によっては、特に新しい知見はなかったなどという感想も出てくるだろう。

でも、この新書の目的はそもそも、これまでのようにエッジで走り続ける人々の言動を紹介したり、それらに共通することを氏なりにまとめることにはない。
自らの半生を顧みながら、エッジには立たなかったこと(そういう人にはかなわないと感じたことがほのめかされている)、エッジに立った方々と話をしながら旧来の組織とも付き合う仕事をしてきたからこそわかることを書いている。そこが重要。
だから、旧来の組織がいきなりなくなるとは毛頭考えていないし、そういう場が活きる人ならば逸脱しないほうがいい、とも書いている。
さらに、エッジを突っ走る人々の行く「高速道路」から降りることを選択する、つまり「けものみち」(この喩えも氏らしい)を通ることを選択するにはどうするか、ということに触れている。新しい時代に、自分の関心のある業界でエッジに立つ人々と交流しつつも、まだ見つかっていない道を歩く方法のヒントを、自らの経験を交えて語る。私はこうやってきた、それをまとめてみるので、自分に続く人たちの参考になれば、という思いが伝わってくる。
そういうところを読み落としてはいけない書籍だと思う。

***

一方で、この書籍が(おそらくあえて)触れていない、日本での事実がある。
多くの場合、IT関連業というのは「IT土方」と呼ばれる、ということ。

たとえばある大規模なシステムを構築する必要が生じた、とする。少数のトップ企業(通信関連会社やシンクタンク)があって、そこがインテグレータに話をする。インテグレータは、実際に作業をする中小企業群をとりまとめる。その中小企業各社は、それぞれさらに下請けに出す…
建築業界的なモデルであり、多くの実作業に携わる人々は、建築業でいうところの「土方」そのもの、という意味。

建築業の場合、歴史上の長い経験の果てに、設計と、実際の建築現場の作業の分担が、ある程度明確になっている。また、設計においても、いわゆる意匠的な側面と、実装における構造計算、といった分業も出来上がってきた。
その前提として、建築においては、人間が手に取れるブツがあり、ものを作る時の物理特性や組み合わせ方や限界は、その時代においてははっきりしている、ということがある。もちろん技術革新で材料が変わり、新しい建築方法が開発され続けてはいる。しかし、いきなり数日〜数ヶ月で変わってしまうことはない。

コンピュータ・ソフトウェアの場合、画面やボタンで人が操作する裏側に、膨大なソフトウェアが動いている。それらはハードウェアがあり、その上で動作するOSや通信環境といった様々な、直接は見えないブツの組み合わせの総体だ。
これらソフトウェアなどの設計と実装、さらに複数のソフトウェアの組み合わせなどは、おそるべき速度で技術革新が進む。建築や自動車のように、目に見えるブツではなく、CPUが処理可能なバイナリの束を、その時代の最先端の通信回線で流していく。非常に抽象度の高い世界であるため、ハードウェアや通信環境の変化と並行して、数年も経てば設計や実装の手法が変化してしまう。数年前どころか数カ月前の常識が覆ることだって、あり得る(まぁそれは極端な場合ではあるが、少なくとも建築や工場の組み立てよりはずっと速い変化)。
この激しい技術革新の中で、数ヶ月〜数年の下積みをやれば、業務全体が見える、あとはそれに沿って優秀な頭脳が設計をしていけばいい、という体勢の業務は、もはやあり得ないはずなのである。
ただし、現実のソフトウェア開発では、1980年代あたりまで通用した建築業界モデルが、相変わらず続くケースも少なくない(大規模開発ほどそのような傾向を帯びる)。

日本のソフトウェア技術者が、特に米国に比べて劣ることは、まったくないはずだ(少なくともこれまで研究機関や産業界での経験やつきあいがある身からすれば)。
ところが、日本の建築業界的なモデルで構築していく習慣は、ドラスティックな変化を取り入れにくく、優秀な人を(嫌みな言い方をすれば)飼い殺しにしてしまう傾向があるのではないか。(また、技術者は意外なくらい、自らの仕事ぶりに関しては保守的だ、ということも関係しているかもしれないが。)
またこういう体勢ゆえに、大学、ひいては院卒の優秀な人々が、あまり現場に降りてこないし、また現場は現場で抽象的な議論より一刻も早く作業を終えることに終止する傾向があることも、拍車をかけているのかもしれない。
こういう分離が長く続くとすれば、おそらくこの国の仕事そのものにとって、あまり幸福なことではないように、かねてから思っている。

梅田氏がこれまで紹介してきたシリコンバレー流儀の考え方や仕事、さらに「ウェブ時代をゆく」で描いた自らの仕事との関わり方は、おそらく上記のことを横目に睨みつつも、あえて正面切った批判をしていないように感じる。
むしろ「つまらんことで悩んでいる若者たちよ、あるいは中年たちよ、なんでもしたかにやってみなはれ、やってみないと変わらないよ、私も日々悩んでいるけど、楽観的に生きてるぜ、グチをいうのはやめようや」と言うために書いたのではないか。
つまり、氏の流儀はまったく変わっていない。というより、今度は自らをさらした上で、今はどこにいても変わっていけるんだよ、と話しているようにさえ見える。

30〜40代の中堅層ではなく、むしろそれより上の年齢層こそが本来の読者層であるべきなのかもしれない。
将来的には文系/理系という区分ももっと緩くして、知的かつ活発なやりとりに発展させたい、そういう希望も見える書物である。

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コメント

こんにちは。ぼくもしばらく前にこの本読みましたよ。前半の感想はぼくも大体同じような受け止めでしたが、後半の「IT土方」の話は、さすがに現場を知ってらっしゃる方の読みだなぁ、と思いました。

投稿: dozeu | 2008.04.12 18:29

IT土方については私も常々憂いを感じていました。現在そのような働き方をしている若者、そのような仕組みで上に立って仕事をしている人間、どちらにとっても不幸な仕組みだと思います。
私はITの技術が開かれたものであるため、ITに関わる人間の価値が下がってしまったのではないかと思っています…。

投稿: 鳥子 | 2008.04.12 20:33

dozeuさん、コメントありがとうございます、お久しぶりです。
まっとうに読めば、おおよそ前半のような感想になるかとは思うのですが、情報量が今回は少ない、という方も時々いらっしゃるのですね。どういう切り口で書くかを考えていたら、忙しくなってきて、時間が経ってしまいました。
IT土方というのは、自嘲を込めて言われる言葉なのです。私の場合、研究寄りの仕事が多かったので、土方的仕事はほとんどなかったのですが、最初にこの言葉を聞いたとき、あまりにも実感がこもりすぎて笑えないな、というのが私の第一印象でした。
ここをどうやっていくかは、今後の問題のはずなんです。それはまた別の機会に、何らかの形で触れてみたいです。

投稿: KenKen | 2008.04.13 01:39

鳥子さん、コメントありがとうございます。
ITに関わる技術はオープンなものが多いですが、オープンでなくとも教育を受け、技術を磨くうちに、技術が普及すればコモディティ化するものです。そうなったら、次に進まなければいけないのですが、成功モデルが出来るとしがみつく、ということが問題なのかもしれません。
IT土方とはいいますが、むしろ日本のあらゆる業界で、上流の仕事だけをする人と、土方的作業をする人と、その中間に立つ人を、割合きっぱり分ける傾向が元々強い印象も持っています(もっとも、西欧も含めて、歴史の長い国というのは、そういうものかもしれません)。
米国は、目に見える階級として学歴や出身がある一方で、やらなければならないなら立場もクソもなくやる、というダイナミズムを持つ人が時々、大事業を成し遂げる。それが20世紀を牽引してきたのでしょうね。
もうちょっと細かい問題は、またの機会に書いてみたいと思っています。

投稿: KenKen | 2008.04.13 01:51

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