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2008.04.23

法規制より、教育だろ

“青少年ネット規制法案”がしばしば話題になる。
自民・民主の双方から議員立法の動きが続いてきたが、ここにきて反対意見の表面が出てきた。
とりあえずは、新聞記事としてアサヒ・コムの記事(4/23)を、IT専門日刊紙としてInternet Watchの記事(4/23)をリンクしておこう。(日経やITmediaなどもそれぞれ記事にしている。)

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この手の問題は、インターネットのある暮らしでは、どのようなことに注意し、どう振る舞うべきか、ということを親や教師が伝えるのが、本来の姿だろう。そしてそれは、世間一般の常識的な応対と著しく異なるものでもないはずだ。
また、子供を守るという掛け声のもとで、規制して目に触れないようにしてしまうことは、教育的な機会を失うことでもある。
有害情報とは何かの定義だって、とても曖昧だし、そもそも出来ない。そこを考える機会を奪うことが、ほんとうに青少年のためになるのか。

青少年はしっかりしている面と、そうでない面がデコボコの状態であることが多い。基本的には大人が信用した上で、判断の訓練をする機会を持つ、そんな教育を通じて、凶悪な情報に出会っても、自らの心身を守ったり、また友人と励ましあったりすることなどを身に付けていく…はずじゃないのか。

少なくとも、Internet Watchの記事にもあるように、無菌室のような環境は出来るわけがない(たいていの大人は、いくらか悪いことに近づいてみたり離れたりするうちに、自分なりの生き方/付き合い方を学んできているはず)。
そもそもフィルタリングをしたところで抑止したい情報を完全に抑えることはできない。むしろ中途半端なフィルタリングは、見せたくないものが検索結果に入ってきてしまうこともあるため、害になりかねない面もある。
世の中にはいろんな人がいる、そういう人々とゆるく同居しあっていくのが、ある国や地で生きるということなんだし。

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そもそもインターネットは、情報と、それを扱う道具(つまりPCやモバイル通信機器)を解放することを通じて、情報と選択肢を増やし、自由な振る舞いの上でよりよい方向を皆で選択していく、という楽観論が根底にある。ある種の究極の民主主義か。研究機関専門のネットワークから、一般に解放されてからも、変わっていない価値観だ。
逆にいえば、多少面倒であっても、人と教えあったりする機会を持ち、相互にコンセンサスを作り上げていく過程を重視する、ということでもある。

フィルタリングや、プロバイダへの有害情報削除の義務化などは、インターネットを展開してきた考え方とはほぼ反対に位置するだろう。もっとひどい言い方をすれば、考える機会を奪ってでも、面倒なことが起きないようにしたい、という風にも見えてしまう(そこまでは考えていないと思いたいが)。

議員は法律を制定することを通じて、世の中の運営に当たっていくから、議員が何かしようと考えれば、法案提出ということになるのだろう。
ただ、掲示板の読み方や書き方なども含めて、ネットを通じた言説をどう扱うかは、本来は教育によるものであるし、子供に考える機会を与えるほうが、自らまっとうな答えを生み出すものだと思う。
考えさせない法案なんて、むしろ一時言われた「人間力」を減少させかねないんじゃないかね。(人間力、ってのもよくわからん概念だがな。)

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