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2008.08.12

アンビバレントな潮風

海に行くことは楽しい。
砂利が足にからんだり、時々足をチクッと虫にかまれたりはするけれど、水に飛び込んで、泳いで、砂で遊んで、広がる浜を見ていると、考えすぎていることが頭から離れていく。
広がる景色に向かうと、細かいことから離れて俯瞰する感じを思い出すというか。

海から上がり、ちょっと離れがたく浜を散歩していると(今はいい感じの浜カフェも結構ある)、潮風が意外なくらいひんやりと気持ちいい。9月よりはゆっくり暮れる紫色の空に、一日の終わりを実感する。
デスクワークばかりの私には、これさえ珍しい。

そういえば、堂々巡りに陥った時、海水浴に行かなくなってからどうしていたかといえば、横浜に行ったりしていた。これも似たようなもんだな、きっと。
(ちなみに、お台場は、私にはちょっと人工的過ぎます。)

***

だけど、海って気分じゃない時もある。
日本の潮風の、肌にまとわりつくような湿度が、うっとうしく感じられる、とでもいえばいいか。

そういう時、決まって思い出すのは、10代後半から20代前半、背伸び盛りの頃。
1980年代まで続いた、日本のポピュラー音楽の多くが纏う湿っぽさが、どうにもきらいだった。
ヨーロッパの音楽、とりわけ古典派以前の楽曲を好み、マーラーの合間に現れる過度に憂鬱な湿度もいやだった。フルトヴェングラーが日本でこんなにウケるのは、ド演歌一歩手前の情の濃さがあるからだ、とも感じていた。
海水浴に行かなくなったのも、その頃。多分、どこかで通底している。

ただ、マーラーやフルトヴェングラーなどについては、20代後半になってから、感じ方が変わってしまったように、素直に聴けるようになった。
日本のポピュラー音楽が好きかどうかは別にしても、竹内まりやのように上質さがあれば、湿っぽいかどうかばかりにこだわらなくもなった。
かといって、海水浴が復活しなかったのは、インドア・ライフを満喫し続けていたからだけど、やはり湿っぽい日本、への抵抗が、まったくなくなったわけじゃないのかもしれない。

***

2年続けて夏の海に行った。素直に楽しい。
それでも、湿っぽさに抵抗をいまだに覚える自分と、湿っぽい風をゆりかごに育った自分がいるのだという自覚が、同時にやってくる(注:私が幼い頃の東京は、海からの風の香りが時々、台地まで届いたものだが、それ以上に、日本という国は海の湿度にくるまれている)。
楽しいけど、アンビバレントな何かも感じている。

そういう地で育った、という事実は否定できない、逃げることもできない。
20代後半の、音楽の聴こえ方の変化とは、それは受け入れるしかないことであり、その上で自らどうするか考えるしかないのだ、という自覚の始まりだったのかもしれない。
でも、それを「大人になる」という一言で片づけたくない。大人という、ある止まったような状態になるわけではないのだから(ちなみに、子供も一概にくくることはできない)。
それからもまだまだ変化し続けている。人はきっと一生、変わりながら過ごしていく。

腕をすり抜ける潮風の感触を思い出し、そんなことを考えながら、でも乾いたところもいいな、と思ったりもするのだった。

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