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2008.10.31

ニケ指揮、ル・コンセール・スピリテュエルの東京公演(2)

前回の続き]

ところで前回、「水上の音楽」第1組曲の冒頭で、思わず微笑みが浮かんでしまう、と書いた。
より正確に言えば、胸の内の真の感情は泣き笑いだった。楽想と緊密に結びついた演奏のあまりの見事さ、それゆえに生じるはかなさに、うれしくも物悲しくなり、微笑みながらも涙をこぼさんばかりだった。
彼らによるCDを数えきれないくらい聴いてきたのに、こんな気持ちになったことはなかった。いや、演奏会に通っていて、10年に一度あるかないか。
そうして鼻水をこらえながら掌を口元に寄せ、耳を澄ませるうちに、微笑みが支配的になった、というのがほんとうのところ。

今回の演奏会を「事件」だと、ファースト・インプレッションで書いた
その意味は、規模の大きさや祝祭性だけにあるのではない。この滅多に経験できないなにものかにこそ、あったのだと思っている。

いや、話を急ぎ過ぎてはいけない。
響きの華であった金管楽器や打楽器にも触れておこう。

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2008.10.30

ニケ指揮、ル・コンセール・スピリテュエルの東京公演(1)

先日触れたが、エルヴェ・ニケ指揮、ル・コンセール・スピリテュエルの東京公演が終了した。
2005年に一度企画されたが、助成金がおりず、やむなく中止となった
今回は3年越しの実現であり、まずは関係者および出演者に感謝したい。
特に、入り口できちんとした解説の書かれたプログラムが、無料で配布されていたことは特筆に値する。

長くなりそうなので、今回は複数に分けて書いてみたいが、まずは全体的な印象から。
すごかったのは、大編成による音量だけではない。それだけなら、現代のオーケストラを聴けばよい。
大編成のユニゾンがもたらす表現力の豊かさ(音量、音色、和声のすべてにおいて!)、それをバネにしたバロック時代のロイヤルな音楽の巨大さを如実に体験できる美の祭典になっていた。こんな演奏会は、一生に何度も体験できない。

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さて、今回の曲目。

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ちょっと独り言(?)

今年に入って少し近しくなった数名の人と、距離を置くことにした(まとまって数名というわけではなく、それぞれまったく個別)。
現在、これ以上接する分野を増やすのは難しい状態であり、こちらが無理をしてかえって迷惑をかけることになりそうなので、そうした。

ただ、少し前に、私の在り方に、心配をしたり、こうすればいいだけじゃないのかな、といった意味のことを(個人が特定されないように配慮した状態で)ネット上に書いてあるのを見かけて、(距離をとったはずなのに)反応してしまった。
相手はこちらのことがすべてわかるわけないのは当然だし、その範囲で書かれているのだから、こちらにとって適切に感じられないのも当たり前。気にせず流せばいいだけではあった(過剰反応だった)。

もうだいじょうぶ(過剰反応などしない状態)ではあるが、それ以上に、いま適切に対処できるのは、私自身とその分野のプロしかいないので、肩の力を抜いて、必要なことを選びながら、深く広く考えていくのがいいよ、と自分に言い聞かせた新月(10/29)であった。

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2008.10.28

ニケのヘンデル、東京公演終了!

右翼に9本のトランペット。
左翼に9本のホルン。
両翼に配置されたティンパニ(つまりツイン・ティンパニ)。

ひな壇中央は、木管群。
18本のオーボエ、8本のバッソン(そのうち、13名がリコーダーと持ち替え)。
天地を貫く巨大な2本のコントラ・バッソン。

その手前は弦楽合奏。
ヴァイオリン16、ヴィオラ6、チェロ6、ダブルベース4。

エルヴェ・ニケ(Herve Niquet)指揮、ル・コンセール・スピリテュエル(Le Concert Spirtuel)の来日公演の陣容だ。
総勢80名によるヘンデルの祝祭音楽、つまり「水上の音楽」および「王宮の花火の音楽」を中心とするプログラムは、GLOSSAレーベルから出たCDが日本でも話題になった。その東京公演が10/28、無事終了した(東京オペラシティ)。

2005年の企画が中止となり、今回やっと実現。
直前まで行けない可能性が高かったが、なんとか時間をこじ開けて、行ってきた。

豪奢な響き、自然なフレージング、柔軟な表情が、これでもかとタケミツメモリアルホールを満たす。
贅沢の極みを味わい尽くす2時間15分。
詳細な感想は後日書くが(追記:ここからどうぞ)、この公演は、フランス・ブリュッヘン指揮/18世紀オーケストラの初来日、あるいはニコラウス・アーノンクール指揮/ウィーン・フィルおよびウィーン・コンチェントゥス・ムジクスの初来日に匹敵する「事件」だ。

ほんとうにすばらしい時間だった。
そして、ニケ氏、誕生日おめでとう!

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2008.10.26

プロフェッショナルを観た(2):柳家小三治

前回に続き、「プロフェッショナル 仕事の流儀」の話。
100回記念の60分拡大版(通常は45分)は、柳家小三治(以下は小三治として敬称略いたします、他の方も敬省略)。
放映は10/14および10/20深夜(再放送)だったから、だいぶ前。その間、数回見た。

この番組は、同じフォーマットで番組を進行するだけでなく、必ず同じ質問をぶつけて、ゲストから(言葉にすることが難しい部分まであえて)話すように仕向ける(少なくとも私は、そのように受け止めている)。
即座にまじめに答える方もいらっしゃれば、微妙な表情をしつつ間をおき、少しずつ言葉を紡いでいく方もいらっしゃる。このあたりの間合い、やりとりそのものが、実は言葉に劣らぬほど重要だと思う。繰り返されるうちに、視聴者の側にもその受け止め方が、蓄積されていく。
繰り返すこと、継続することは大事であり、それは学習の基礎でもあることは心理学でも脳科学でも生物学でも言われること(もっとも、学習が成立する瞬間は一回であるとも言われており、それまでは試行錯誤、その後は忘れないようにするため、と考えることも出来る)。それを実践しているようなものだろう。

だけど、小三治の回は、そんなものをひっくり返してしまう凄みがあった。

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スルー力

いつもだったら流せてしまうことに、反応してしまう(悪意などないとはわかっているのに、それは違うと思うことを書かれていると、反応してしまうこと、2件)。ちょっとナーヴァスになってるか。
今現在足りないのは、スルーする力だな。
つか、今は己の深部に集中しとけ>自分。

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2008.10.24

プロフェッショナルを観た(1):脳活用法スペシャル

プロフェッショナル 仕事の流儀」(NHK)は、様々な分野のプロフェッショナルの現場を取材、そして脳科学者の茂木健一郎氏、アナウンサーの住吉美紀氏が、プロの仕事ぶりについて尋ねる形式のドキュメント番組(以下、敬称略いたします)。
などと紹介するまでもなく、ご存知の方が圧倒的に多いか。
毎回ではないが、思い出すと観る。

この番組、質問があまりに素朴で、上から目線で失礼な聞き方だと、立腹している人も時々いるが、これは意図的にやっているのだと思う。
たとえば心理学的なインタビューをする場合、できるだけ同じような条件で質問をして、その結果を(言葉だけでなく、表情や動作の変化も踏まえながら)分析する。そうやって定性的なデータを収集することは少なからずある。
テレビ番組だから学問的な統制をとるのは不可能だとしても、脳科学者である茂木がスタッフとともに、番組構成と質問のパターンを考え、ゆるい形ではあっても、定性的なデータ集めを行っているのではないか。
だから、あえて素朴な(普通そんなこと尋ねたら答えようもないし失礼だよ、というような)質問をパターンとして発し、ただしあまり解釈を加えず、隣の住吉や視聴者とともに感じていく形をとっているように見受ける。
というより、そうやって視聴者自らが感じ・考えてもらえることを、視聴者を期待し、また信用しているのかもしれない。

めでたく100回を迎えたが、その時のゲストは柳家小三治。
この回はすごかった。笑って笑って、そこから金言がいくつもこぼれてきた。
ふだんテレビをつけない私だが、この時ばかりは本当に観てよかったと、放映を思い出したことに感謝したくらい。
これはまた次に書くとして、本日はその次に放映された100回記念「プロに学べ! 脳活用法スペシャル」について。

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2008.10.21

わかる、への一つのとらえ方(2)

「わかる=作ることが出来る」というとらえ方について、書いた

その際、あえてこうも書いた。

たとえば工学畑の人は、こうとらえることが多い。

そして、特に文学や経済学を学んだ者には、あまりなじまない考え方かもしれない。

このあたりの違いが、文系/理系の間で齟齬が生じる時の、一つのパターンのように感じる。

ただ、私はいわゆる文系/理系の違いが、その人の根幹そのものであるとはまったく考えていない。
もしもそう感じるなら、いわゆる「文系」や「理系」に対して、過剰適応した結果なのではないかとさえ考えている。

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2008.10.16

わかる、への一つのとらえ方

わかる、とはどういうことか。
こう尋ねられたら、どう答えるだろうか。

ごく一般的には、ある事物について、それが何であるか、またどういう意味を持つのかを、きちんと説明できることだろう。
その際たるものが辞書、あるいは事典であり、多くの人は辞書や事典を引いて調べる。
もうちょっと高度な知識に関しては、専門的な解説書を数冊読んだ上で、背景を含めて説明する。(ま、あくまで一般レベルの話であって、本格的に知りたい場合は、専門書や論文などに目を通す研究を始めるしかないわけだが。)

ただし、こういうとらえ方もある。
「もしもわかっているなら、それを作れる、少なくとも同じ結果を再現できる」
たとえば工学畑の人は、こうとらえることが多い。
そして、特に文学や経済学を学んだ者には、あまりなじまない考え方かもしれない。
このあたりの違いが、文系/理系の間で齟齬が生じる時の、一つのパターンのように感じる。
分野をまたがった研究開発に携わったことがある身として、よく感じたことだ。

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突然、秋らしく晴れる

先日、ニュートラルがずれていて、散歩したら少し戻ったと書いたが。
15日の水曜、午前に忽然と戻った(満月が過ぎてからだね、そういえば)。
でも、油断せず、ストレッチなどでケアしていくほうがいいな、しばらくは。

15日は暖かかった。翌日、日中は暖かいが、夕方の涼しさがなんとも心地よい。
空気が冴えてきて、夕方がすごく短くなってくる。金木犀が香り、オレンジの花が夕陽に混じり合う。
やっと秋らしくなった。この気候、もうちょっと持ってほしい。

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2008.10.12

耳をすませて

金曜から土曜はもちろん、今日の昼くらいまではごく普通だった。
のだが、午後はなんだか落ち着かない。感情の乱高下というか。
ちと妙な気がして、午後6時半を過ぎてから、買い物を兼ねて外に出た。

歩いてみると、どこか正中線がずれているような。
いつもなら気になった時点でストレッチしたりするのに、気付かなかったとは。
歩きながら身体を揺らして、時々ネコを眺めたりして。
帰宅するとだいぶ普通に戻っている。
少しケアを怠ったか。もっと耳をすませていよう。

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2008.10.05

CEATEC Japan 2008 雑記

CEATEC Japanは通信、音響や映像などの家電、それらを通じての各種サービス、各種電子部品、カー・エレクトロニクスなど、家電や通信、電子工業に関する日本最大の展示会+コンファレンスとして続いている。幕張メッセは(東京ビッグサイトや有楽町フォーラムより)遠いけど、データショーをここに統合したのは正解だったのかもね。
ちなみに、ゲーム関連は東京ゲームショーで別途展示されるが、今年からはそれとコンテンツ関連(映画、アニメなど)も含め、10月を日本の基幹産業展示会のように位置づけている。

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大声の「ありがとう」

9月最後の一週間ほど、ちょっとクサクサするというか、苦いというか、要するにあんまり気分よくない日がしばしばあった。(CEATECを見に行かねばならないし、片づけなければならないこともいろいろあったし。)
そんな9月末、急いで新宿の地下を突っ切って行こうとするも、団子状に固まった人たちが流れをせき止めている。
あ〜ぁ、と思い、こんなことで怒りに巻き込まれてはもったいない、と思った時。

「おぉぉい!」

かわいらしい声が響いた。目が勝手に声の主を探した。
ベビーカーに乗せられた子が、地下街に出てきたところだった。目がくりんとしたかわいい男の子、3歳くらいか。母親がたしなめる暇もなく、声を発したのだろう、何か子供に言って聞かせている。
が、おかまいなしに、行き交う人たちへ、満面の笑みで両手を振っている。

思わず手を振り返した。
微笑んだ瞬間、自分の頬がすごく強張っていることに気付いた。
ふと気付くと、誰も彼を見ていない。
改めて微笑み直して、手を振った途端。

「ありがとう〜ね〜!」

再び大きな声。
なんてことだ。あんな小さい子供にお礼を言われるなんて!
単に人の反応がおもしろくてやっただけなのかもしれない。だけど、憮然とした顔で地下を歩いていた自分は、顔を強張らせないでね、もっと微笑んでね、と教えられたようなものだ。

手を振り、「ありがとう」と言いながら、こちらも歩き出した。母親がこちらに一礼してから帽子をかぶせた。人さし指を立てて話しかけている。子供を諭しているのだろう、もちろん母は穏やかな顔で、子供も微笑んだまま。

改めて、ありがとう。君のおかげでとても大事なことを思い出せた。

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