もうすぐ2008年も終わり
自分なりに2008年を振り返っておこう(そんな時間があるなら他にすることが、などと考えるとかえってストレスたまるし)。
米国発のバブル崩壊が今年最大のニュースだろうな、やっぱり。
同時に、オバマを大統領に選出したことも、大きなニュースだ。あの、政治経済における史上空前の実験国家は、いまだに実験の途上にあるのだと実感させる選択。
世間的には北京オリンピックも話題なのだろうが、一度見逃すとなし崩し的に見損ねた。
むしろ、オリンピック開催中の夏は、えらく長い小説がバンバン出てきたのが印象的。
町田康、舞城王太郎、池永栄一らだけではない。翻訳されたリチャード・パワーズの、上下2巻それぞれの分厚さ(この方は元々大長編を数年に一度出すものだけど)。まだ読んでねぇぜ……
それから、米国バブル崩壊と(たまたまであろう)時を同じくして出版された水村美苗「日本語が亡びるとき」のインパクト。
そういえば、コミックビームでは「エマ」が、春に階級を超えた結婚を描いて完結。この冬には「機動旅団八福神」も完結した。現在の重量級作品は「イムリ」なのだろうが、むしろビームの別冊として「Fellows」が隔月刊として出てきたことが事件なのかも。
青年誌は相変わらず講談社大好調、少女ものは相変わらず小学館好調。
ただ、羽海野チカ「3月のライオン」は、ヤングアニマルの白泉社。この方は、高橋留美子のように一作ずつが名作、というタイプなのでしょう。
よくも悪くもカラヤン生誕100周年が続いた2008年のクラシック音楽。
20世紀後半の録音がいまだに力を持つのは、やはり聞き所をわかりやすく整理された後だからなのだろう。
そういえば、グールドが改めて見直された年でもあった。
温故知新といえば聞こえがいいが、本気で新しい人を発掘する動きが減っているのか。むしろ世界的な人材枯渇なのか。
かつては(20世紀後半は)前衛だった古楽も、逆に特殊な枠として固まりつつあり、以前よりつまらなくなってきた印象があった(それでも好きですけど、古楽だけを聴いているわけではない)。
ただ、やっと実現したエルヴェ・ニケ指揮、コンセール・スピリチュエールの「大ヘンデル・バンド」を聴いたりすると、まだまだやることはあるよなぁ、と思う。
むしろ、古楽枠で意識を固めてしまう聞き手のほうがモンダイなのかもしれない。
ちなみに、大井浩明氏が録音を開始したベートーヴェンのピアノ・ソナタ集。(この方はクセナキスのピアノ曲で、日本よりヨーロッパでよく知られているのではないでしょうか。)
ベートーヴェン時代のピアノが変化していく様と、楽曲の変遷を、8台のピアノを駆使してたどっていく、という楽しみな企画が始まった。
ぶっ飛ぶほどすごい出来。フォルテピアノの響きとベートーヴェンの楽譜や指示が、これほど深い意味を持って響いたのは、聴いたことがない。必聴盤。
ここ数年、ツールとして使ってきたフランクリン・プランナーは非常に参考になったが、ここらで鞍替えをして、GTDをベースにもっと自由に考える準備を始めた。
すると、パターン化してしまったため、見過ごしていたことがあり、それを見直す機会を得ることが出来た。
こうなると、アプリやWebサービスなどのツールが多いiPhoneが、一番便利に使えそうだ。ということで、年末に乗り換えた。
稼働して数週間の感想。従来の携帯電話で不自由していない人は、あえて乗り換える必要はないと思う。
けれど、ここには何か新しい息吹がある。ソニーがCLIEでやろうとして頓挫し、myloで再挑戦しようとしてなかなか進まないところを、軽々と乗り越えてしまった何かが。
それはおそらく、PCほどの大きさは必要ないけど、これまでの携帯電話のように極限まで切り詰めたソフトウェアの枠組みでは処理しにくいこと。
手帳、メモ帳、小遣い帳、音声メモ、出先でのちょっとしたメール読みと簡単な返信、短時間で済ませたい調べもの(ネットと辞書と地図の統合)、そうした細かい雑務を、移動中の隙間に気持ちよく片付けること。そのためにPC/Macとデータの同期が可能であること。おまけにちょっとしたゲームや読書ができること。
このポイントを衝いたのだ。
個々の処理は、日本の高機能な携帯電話ならば、みんな出来る。むしろ進んでいる部分もある。
けれど、使い心地がまったく異なる。PC/Macとの統合、いつでも同じデータを眺めることが可能になると、とても頻繁に見て処理するようになる。おそらく携帯電話は、本来の比較対象ではないのだとさえ思う。
ネットブックが流行るのも、PCがコモディティ化しただけでなく、従来のノートPCのフォーム・ファクターではとらえきれない分野があり、そこを思いがけぬ形で掘り出された、ということだろう。
それは、iPhoneが話題になることと表裏一体だ。
コンピュータが、誰の目にも明らかに文具になってしまう時代が、本当にやってくる。それが実感されているからこその変化。
そう思えば、意外に日本のメーカーにもチャンスが潜んでいるのではないだろうか。iPhoneはAppleだけのもので、アプリ制作者しか参入できないけど、Androidのようなプラットフォームならどの国のメーカーが作ってもよい(メーカーごとの差別化は必要だけど、プラットフォームがあるからこそ差異が出せるのではないか)。OSと切り離したWeb上のAPIをうまく活用する手もある。まだまだやることはたくさんありそう。
変化の多い年だったし、来年もそうだろうが、逆にけっこうおもしろい年にも出来るのではないか。
というか、自分としてはそうしたいし、そうする。
個人的には体調万全とは言い兼ねる年であったが、いろいろ振り返って考え直し、こうしようと決意する年でもあったからね。
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