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2008.12.08

日本語が亡びるとき、読了

暖かい秋だったが、やっと冬のにおいのする日々がやってきた。
水村美苗氏の「日本語が亡びるとき -- 英語の世紀の中で」、先週やっと読了した。
11月に購入。新潮9月号(2008年8月7日発売)で前半3章が掲載され、既に読んでいたが、せっかくの単行本である、頭からゆっくり読んでいった。
他の章もあえてゆっくり読んだ。時には後戻りし、矯めつ眇めつ。

要約するのがもったいないくらいだ。
言葉の歴史とあり方、ことに言葉の流通と広がり方。書き言葉の本質と、そこに蓄えられていく叡智、また<言語の図書館>という概念。二重言語者という存在こそが、本来の書き言葉のあり方であること。そこに絡む社会的な問題、ことに近代の国民国家の成立と国語、植民地支配とそれを免れた地域のこと。
翻って、日本の近代文学の成立の、奇跡のような過程。第二次大戦後に世界を覆った英語と、それをさらに加速させるインターネットという存在。脆弱化する日本の言葉の教育、未来への提言。

個別で分厚い書物になるような問題を、いくつも扱っている。それら複数の大きな問題を概観しつつ、言葉を扱う人間という生き物の宿命に挑むような、大柄な問題意識が示される。
前半3章から大きく踏み出した終章は、今後の日本語や英語の教育に向けた提言であるが、著者がそう意図したわけではないにも関わらず(それは積み重ねられる文言でわかる)、言語ナショナリズムのような結論に到達する。その是非に鋭く反応する方は多いだろう。
また、人によっては<叡智を求める人>、<読まれるべき言葉>、<普遍語>、<現地語>、<文学の言葉>といった概念に、反発を覚えるかもしれない。著者が2000年以降の現代文学をほとんど視野に入れていないことに不満を持つ向きもあるだろう。

こうした反発や不満、あるいは個別の問題への間違いがあるかどうか、結論が正しいかどうかを気にするならば。
それは読み筋が違う。
ここに出てくる概念と提言をどう受け止めるかが大切だ。それを考えるためにも、とにかく読まねばならない書物であり、これこそが今現在<読まれるべき言葉>なのだと強調しておきたい。

***

ちなみに、12月7日発売の文芸誌では、新潮、文學界がインタビューを掲載している。
新潮は「ウェブ進化論」の梅田望夫氏との対談(これはインタビューではないだろう)。アマゾンの好調な売れ行きの発端となった方ではあるが、むしろ平野啓一郎との対談(新潮新書に収録)の延長上にあると考えたほうがいいのではないか。
文學界では翻訳家の鴻巣友季子氏のインタビューを通じて、著作の重要なポイントの要約と、インタビュアーによる確認が進む。読み応えは新潮のほうがあるかもしれないが、これも重要な補助線になっている。

それにしても、最終章は結論を急いだ印象を持ったのだが、新潮の対談を読んでいると、著者が最終章を書きながら考えていたことに触れられていて、興味深かった。
内容はあえて紹介しません、直接どうぞ。

[追記]それぢゃぁこれを読んでどう思うのか? それはまた別途、エントリーをあげることにいたします。本日はインタビューの紹介まで。

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