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2009.02.16

室内楽こそ

少し前の話題だが、お茶の水にあるカザルスホールが2010年3月をもって閉館される。

バブル期を迎え、演奏会に足を運ぶ層が増えていく中、サントリーホールなど優れた音響空間を持つ大ホールが、再開発の一環として建設されていた。
お茶の水という落ち着いた街には、主婦の友社が建設したお茶の水スクェアの目玉施設として、室内楽専用のホールが生まれた。チェロの神様、パブロ・カザルスの名を冠して、カザルスホールと命名された。
ホールとして独自の企画を立てて運営し、そのためにも定期活動する弦楽四重奏団と契約するなど、今のクラシック音楽運営の走りとなる事業形態をとってきた。実際、とても面白い演奏会が多かった。日本で最初のフランス・ブリュッヘン/18世紀オーケストラの公演はここだったし、古楽普及期の1980年代後半から1990年代前半の演奏会はここを使うことが少なくなかった。ヴィオラを中心にした演奏会も独自の企画だったし、カザルス後のチェロの王様、ロストロポーヴィチも演奏した。十周年にパイプオルガンも設置した。
その後、主婦の友社はこの地を去ることが決まり、ホールの去就は話題となった。日本大学がお茶の水スクェアごと取得、名前を「日本大学カザルスホール」と改めたが、室内楽専用ホールとしての活動は継続してきた。

大編成のオーケストラとはまったく違った魅力が、室内楽にはある。
迫力や音響スペクタクルではなく、静かにたたずむ朝や夕べ、ふと感じるすてきな何か。
大人数のの統制がないからこそ溢れてくる、一人一人の息吹。
親密で、ゆったり話しながらも、突然人生の深淵に触れるような瞬間。
そんなものがあるからこそ、ハイドンやベートーヴェンの弦楽四重奏曲だけでなく、モーツァルトやブラームス、あるいはメシアンやプーランクのように管楽器を含む様々な編成の曲だって、多くの人々に愛されている。
室内楽こそ音楽の本質を秘めている。

しかし、ここを維持できないほど、日本では室内楽編成の客層は定着しにくい、ということなのだろうか。また、お茶の水から神田の書店街にかけて、かつてほどのにぎわいを見せていないこともあるのだろうか。
今は室内楽専用ホールが他にもある。特に王子ホール、トッパンホール。
だから、カザルスホールがなくなっても、室内楽専用ホールがなくなるわけではない。
ただ、こうした運営形態を始めたホールがなくなるということが、最大の衝撃だ。一度は閉鎖されかかったホールをあえて買い、運営してきた日大なのだから、他に選択肢がないと判断してのことなのだろう、そのことを一方的に非難することもできない。

それでも、指揮者の大野和士が、NHK「プロフェッショナル」で話していたことを思い出す。
過酷な状況の中でも、演奏会に人々は集まってくるのだ、人間は音楽を必要とするのだ、と。
言葉と音楽は、人間の生み出した最大の産物だと思う私も、同感だ。
だからきっと、新しい試みを始める人々が現れるのではないかとも思う。

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