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2009.02.05

こんな夢を見た

立春が来た。そうして、空気は薄ぼんやりと白っぽく潤んできた。
かえるがいっぱい出てきて、びっくりした。
ということは、もうじき花粉の季節か。

***

電脳コイルというアニメについて触れた
いい作品だとは思うが、もうちょっと話数をとって、直接台詞にせずに伝えることが出来なかったか、とは思う。もしかして、そうすると今の子は飽きてみなくなってしまうのかね。そのあたり、どうなんだろう。

それはともかく、主人公のヤサコが幼い頃に迷いこんだ電脳空間で、田園風景のお地蔵さんの祠から出てきた黒いイリーガルと連れ立って歩き、そこから先の記憶がなく、現実世界に戻ってきたことだけが事実としてある。イリーガルは通常、あまりよくない存在ととらえられているが、この記憶にはその禍々しさがほとんど感じられない。これが、謎解きの最後の鍵につながっていた。
そういえば、私も夢で道に迷った時、お地蔵さんの祠とわかるところで、道を教えられたり、そっちへ行っちゃダメだよ、と止められたことがある(たいていは人間の姿をとっていて、職業もいろいろなのだが、決まってお地蔵さんの祠で、自分も「あ、お地蔵様だ」と思っている)。
もちろんお礼を述べる。危ないからと、分かれ道までついてきてくれることもあった。

つまり、このお地蔵さんの祠って、ある種の共通イメージなのだろう。迷っている人にヒントを差し出す、あるいは守る、という形の。

そういえば、こんな夢をみたことがある。

道に迷ったというわけではないのだが、親しみがわきつつも厳かさを兼ね備えた暖かい存在(そうとしか呼びようがない)が、ちょっとしたことをいくつか教えてくれた。
忘れてしまったこともあるのだが、その中で、妙に印象に残ったこと。

祈りや願いごとをするのは、心の有り様を整えて行動に現れていくからいいことではあるが、「〜〜になりますように」という形でなく、「〜〜になりました、ありがとうございました」とあたかも完了したように願うのがよい。未来のいつかではなく、今やって出来てしまったととらえるほうが、力がわいてくるもの。
ただし、人についての願いは届かない。自分について願うように。たとえば「仕事で○○さんが、私に対して〜〜してくれました」と願っても、相手が同じように願わなければ打ち消されてしまうようなものだ。
こういう場合は、自分が仕事でなりたい状態を考えて「〜〜ができました、ありがとうございました」とだけ願うのがよい。相手の行動や心の有り様を変えようとすることが元々無理なのは、わかるだろう。祈りや願いは、自分についてだけ、するのがよい。

おおよそこんな趣旨だった。
こうして文章にしてしまうと、そのへんで売っている自己啓発本の一つみたいな印象になってしまうが、確かに人について願ってしまうと、その相手に対して妙に期待値が上がってしまい、それが損なわれるといらだったりすることになるのは、納得できる。
願うだけではなく、願いをバネに行動せよ、という含みがあり、夢の中ではある種の暖かい流れの中に「当然でしょう」という空気として感じられた。
不思議ではあるが、妙に実感を伴う夢でもあった。

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