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2009.03.13

スピーチ全文付きの、村上春樹インタビュー@文藝春秋

先日行ってみた都立日比谷図書館は、特別に混雑することもなく、淡々といつものごとし。
書架の図書は、大量に戻ってきているようだ。貸出中が多いあの本やこの本も、いまならオッケー…
返却が間に合うかも、読み終えるかもわからないので、貸出はしない。大きな事典類や古い資料など、図書館ならではの調べものをして、出てきた。

それにしても、3/8 (日)から花粉アレルギー発症中。
鼻水も出るけどむしろ、目がかゆい、重い。
木曜は小休止みたいだったけど、今日からまた増えている。体調のせいなのか、花粉増量のせいなのか。たぶん両方だな。

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文藝春秋4月号に、「独占インタビュー&受賞スピーチ 僕はなぜエルサレムに行ったのか 村上春樹」が掲載されている。
COURIER Japonにも掲載されているが、文藝春秋は村上春樹本人によるスピーチ原稿(日本語と英語)あり。

ちなみに、記事には以下のようにある。

本来なら自分でひとまず英語にするのですが、時間がなかったので、日本語で書いて僕の翻訳者のジェイ・ルービンさんに急いで英訳してもらい、自分で読みやすいようにいくらか手を入れて、それを事務局に送りました。

このスピーチだけを読んだとする。ブログでも新聞でも雑誌でも取り上げられた「卵と壁」という比喩が、様々な状況や立場のイメージを喚起する。直接的なイスラエルへの非難は出てこない。
なので、イスラエルのガザ空爆を非難しているのかしていないのかどっちだ、といったことをモンダイにする人もいたようだ。

でも、小説家の仕事には、そういう直接的なメッセージを発しなくても出来ることがある。それは、政治的なことに対して距離をとりつつも、作品(と存在自体)がある種の政治的思考を織りなす村上春樹氏自身の活動でもあったろう。
今回は、スピーチをしに行くために受賞したようなものだ。その間の判断の揺れなども掲載されている。絶妙な補助線。

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ところで、彼がずっと問題にしてきた「システム」について、このスピーチでももちろん触れられている。
寄り合って暮らすしかない人間という生き物が、作らざるを得ないにも関わらず、絡みとられてしまうことも多々ある「システム」。
このことを考えるにあたって、イスラエルから賞が出るとは、なんという逆説か。だから、そのような場で「システム」と「個人」との関係を語ることが出来るならば、そして本人が受賞するというならば、周囲が止めるのはむしろ愚か、と思っていた。

スピーチでは「システム」に触れる前に、僧侶でもあった父について語る。彼の祈りに漂う死の影を感じながら、といったあたりから、私は当然のように、個々の人々はまじめに考えていたのに二次大戦に突入していった日本やドイツの経緯、それが折れて別の方向に解かれた両国を思った(もちろん連合国側にも問題があったことを含めて)。
そして、その後に生じたシオニズム国家イスラエルのことも。

しかし、今回のインタビューを含めると、この作家の広がりがもっとよく見えてくる。
イスラエルの正否だけが問題なのではなく、人とシステムの関係について、より強くやわらかく考えることについて触れたかったのだ、と。

たとえば「イスラエルという国自体が、個人と同じレベルでトラウマを背負っているんです」「正しい正しくないとは別に、我々はその心理システムを理解する必要があると思います」という言葉。
こういうことは、いえそうであっても、なかなかするりとは出てこない。

短く読みやすく、そして当然のことがきちんと書かれた記事だった。

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コメント

スピーチ内容について少し触れた最後のパートは、前後関係がわかりにくくなっていたので、整理して直しました。

投稿: Studio KenKen | 2009.03.14 11:03

KenKenさん、こんにちは。

村上春樹さんのスピーチは良かったですね。吹きさらしの世界の舞台に立って、真っ当なことを真っ当に言っている日本人の姿を見ることができてじんわりと感動しました。
彼を生み出したんだから、全共闘世代も捨てたもんじゃない(?)、とか思ってしまった。まぁ、世代論は短絡的に過ぎますが。
でも、55歳以下で、信頼に足る言論人がどれだけいるのか。僕にはよくわかりません。

投稿: どぜう | 2009.03.15 12:35

どぜうさん、コメントありがとうございます。
私もいいスピーチだと思いました。文藝春秋のインタビューでも、ネット上に広がる正論原理主義のこわさを、全共闘世代の経験から思う、という趣旨のことを述べています。総括に走りはしないけど、この世代は一度立ち止まって考えてみていいと思う、とも述べています。
もちろん世代論はあまりに図式化しすぎるので、注意が必要ですが、ある世代で当然とされたものが次の世代ではそうでなくなっていく、という事実はあるので、無視することもできませんね。

ところで、55歳以下の言論人で信頼するに足るかどうか、というのは、言論に何を見いだし、何を求めるかによっても変わってくると思っています。
55歳以下で言説を張っている人の多くは、それ以前の世代と比べて、自分の専門分野からあまり越境しない特徴があるように思います。そのため、社会全体に対して強烈なインパクトを持ち得る人が出にくいのかもしれません。個人的な感想ですが。

投稿: Studio KenKen | 2009.03.17 23:54

文芸春秋のインタビュー、まだ読む暇がなくて未読ですが、読んでみたいと思います。

「自分の専門分野からあまり越境しない特徴があるように思」うとのこと、面白い観点ですね。さて、どうなんでしょう。確かに言われてみれば、そんな気がしないでもないですね。
その理由としては、単純に、世界の全体像を把握することがますます困難になったこと、が挙げられそうですね。もしかすると、世界を把握できる(理解できる、改変できる)と曲がりなりにも信じられた最後の世代が彼らの世代だったということなのかもしれません。

投稿: どぜう | 2009.03.18 22:23

どぜうさん、文藝春秋のインタビューもいい記事ですので、ぜひどうぞ。

「自分の専門分野からあまり越境しない特徴があるように思う」というのは、個人的な考えです。
団塊の世代の振る舞いは、上の世代に抗い、下の世代にも口を出す、という印象があります。
そういう行動傾向に善し悪しは特にありません。
ただ、人口が厚い層をなす世代に、口うるさいタイプの人がたくさん現れたことで、下の世代はその圧力にどう対処するか、という発想が備わったように思うんです。

たとえば、細かく正確に積み上げた事実や証拠で、じんわり攻める、とか。
または、斜に構えつつ、論点がずれないようにじっくり攻める、とか。
つまり、正面から歯向かうと、熱気と数で押されてしまうので、全体像そのものではなく、専門性の高さで勝負に出る、というか。

こういう傾向が、後のノンポリ世代の行動傾向、さらにオタク文化を生み出す背景の一つになったのではないか、とも感じています。
あくまで個人的な感想ですが。

投稿: Studio KenKen | 2009.03.19 23:35

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