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2009.05.26

溢れ出す動画は精神活動を変えるのか

ブロードバンドが安価に普及した日本では、多くの人がネットで動画を当たり前のように見ている。
基本的には活字やマンガのほうが好き、テレビはつけっぱなしにしない、ゲームはほとんどやらない…そんな私でも、YouYubeやニコニコ動画などは見ている。

ニコニコ動画はある意味、おそるべきサービス。
昨年社会学や情報学などで取り上げられたような、動画そのものだけでなく、コメント/タグ/市場の三位一体によるゲーム空間的な盛り上がりというのは当然として。
それ以上に、ユーザが大量に作り出す動画の中には、連続するストーリーを持つものがあること。
ゲームなどのキャラを活用して、架空戦記ものを作るのはもちろん、ソ連史だの、アンケート調査の分析だの、妙に専門的なものも生まれている。キャラが紙芝居のようなセリフをテンポよく応酬しながら、ドラマのように、バラエティのように、伝えたいことを文字/絵/動画/音・音楽で複合的に伝えてくる。

Blogで書いてもおかしくないような内容なんだけど、視覚と聴覚の両方に、しかも脱力的な表現が可能だから、あえてやってみたいと思わせるのかもしれない。

PCによるビデオ編集ツールが普及した上に、紙芝居を展開させるツール、既存の絵を切り抜くツールなども多数ある。しかも、動画テレビ番組の語法については、見る側も作る側も親しんでいる。
自分の手で簡易テレビ番組もどきが作れて、それを(努力はかなり必要だろうけれど)ブログ的に発信することができる。

ボーカロイドを活用した人気音楽家も出てくるし、連続ものへのファンもついたりする。
さらに、そういう動きを察知して、コミュニティを形成することもできる。

***

こうなってくると、ビデオカメラでちょっと撮ったおもしろ動画を通り越したものが、時々生まれる。
その実例は、動画共有サービスを見ればわかることなので、一々挙げない。

それよりも考えたいこと。
Blogで書いてもおかしくないことが、動画で現れつつある、ということの意味だ。

小説が映画からテレビに行き渡るには、だいぶ長いタイムスパンがあった。
最初のメディアは活字だった。まず、読めるようになる必要がある。しかも、経験は一度文字に分解され、それを読み取りながら頭で再構築していくという、その抽象的な伝え方に馴染む必要もある。
つまり、ある程度は文字を通じた思考を鍛える必要があり、それを土台にして、時間の流れにそって物事を把握する経験を豊かにしていった。
そこから、より直接的な映画へと広がり、より日常的なテレビへと移っていった。

また、哲学や学問に関わることは、論文や書籍によるところが大きかったが、教養講座のようなテレビ番組、ドキュメンタリー映画など、ノンフィクションとしての映像作品というものが生まれるようにもなった。
(ただ、この分野はやはり。論文と専門書がずっと中心にあるが。)

しかし、PC(広い意味でのパーソナル・コンピューター)の普及により、文字と音と静止画と動画を統合したものを、きわめて短期間で、ネットを介して広く視聴できるようになった。
文字を読む必要はあるが、断片としてわかるだけであっても、動画の流れ、音などを通じて、気配はより直接的に入ってくる。
文字を通じて、抽象的な意識の流れを頭の中で再構築する要素が、きわめて薄い。

しかも、作り手と受け手の境界が淡くなっていく。道具がきわめて先鋭化しているからだ。見ているうちに、ノウハウを覚えて、作り手になってしまう可能性が高い。
ここは、見る環境と作る環境がほぼ等価であることは、それまでのメディア体験とは決定的に異なる。

こうした事象は、情報というより、体験の伝達に関する革命的な出来事、であるはずだ。
情報というのは、体験をある程度抽象化したものであるイメージが、活字で育った世代には強いと思われる。しかし、自由に作ることができる動画は、そういうイメージを覆してしまう。

ただ、よく言われるような「文字による抽象的な思考が後退する」ことを指摘したいわけではない。
いや、そういうことが起きる可能性は否定しないが、むしろそれを捨ててでもほしいものは何なのか、ということが本筋。

映画、テレビ番組、マンガなどで培われた視覚・聴覚への時間表現を取り入れつつ、活字よりも直接的に語りたいことを伝える。
それが現在より普通に行われるようになっていった場合、視聴覚を統合したまったく新しい抽象表現を、人は生み出すのだろうか。
また、それにより言語的な抽象化は変化したり、後退したりするものなのか。
さらに、動画に端を発する新しい抽象表現が生まれた場合、学問に関わることもそれに切り替わっていくものなのか。

まだ始まったばかりのことだからわからない。
ただ、今インターネット経由で起きている文化的な現象は、実は人の精神活動に関する大きな変化を呼び出す可能性が高いということは、しばしば思うことだ。
この件、とりあえずは問題意識の提示まで。時々思ったこと、考えたことを出していく。

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